第117話 歩み始める信頼「関係」~信頼の積み木5~ Aパート

文字数 8,479文字


 それでも優希君が待ってくれているのだからと咲夜さんを見送った後、二人の元へ戻ると、
「どうしてアノ人と空木君が人気の少ない場所から歩いて出て来るの!」
 普通なら他の女の子と、人気の少ない校舎裏を放課後に歩いていた優希君を怒る場面のはずなのに、一瞬の迷いも無く私を叱り出す蒼ちゃん。
 今回は私から優希君にお願いした事だから別に間違ってはいないけれど、
「防さん。愛美さんを叱るのは程々にしてあげて欲しい」
 その蒼ちゃんから優希君が私をかばってくれた事に、また複雑さを感じる。
 彩風さんや中条さんはいつも私の味方をしてくれるのに、蒼ちゃんだけはいっつも優希君の味方をする。
 さっきまでの優希君は雪野さんばっかりに甘くて、“雪野さんの気持ちは分かるよ”なんて私の目の前で雪野さんの耳元で囁いていたクセに。
 あの時の優希君のデレッデレした表情を見てから、私を叱るなり、怒るなりして欲しい。
「……」
 さっきは雪野さんの味方になって、今は蒼ちゃんが優希君の味方になって。これじゃあ私が優希君の敵みたいになっていて全然面白くないと言うか、なんだかムカついて来た。
「空木君も愛ちゃんを甘やかしてどうするの!」
 しかも優希君が甘やかしているのは、私じゃなくて雪野さんの方なのに。
「でも男の僕からしたら、好きな女子に甘えてもらえるのは自信にもなるし、嬉しいけど」
 蒼ちゃんに言い返して、私に照れくさそうにはにかんでくれる優希君……その笑顔と気持ちは嬉しいけれど、さっきまでの雪野さんの甘やかし方には納得なんてしていないんだから。
 それに“好き”とか“嬉しい”とか私を喜ばせてくれる言葉を並べてはくれるけれど、私は優希君に甘やかせてもらった記憶はほとんどないんだけれど……そこんところはどうなのか。
「じゃあ昨日みたいに、会長さんが愛ちゃんに大好きアピールをしても空木君は平気なんだね。言っとくけど愛ちゃん本気出したらもっと可愛くなるし、周りの男子が放っておかないよ」
 私の不平・不満に全く耳を傾ける事無く、普段の引っ込み思案の蒼ちゃんからは考えられないくらい、矢継ぎ早に優希君に質問を繰り出す。
 それにしても大好きアピールって……だから倉本君のその気持ちは彩風さんの物なんだってば。それに私が本気を出したらもっと可愛くなるって……蒼ちゃんはどうしてそう言う恥ずかしい事を簡単に口に出来るのか。
 もう私、恥ずかしいから先に帰りたくなってきた。
 私たちはスーパーに寄って行くって事で、蒼ちゃんと二人で今日の事を少しでも聞けたらと思って、帰るつもりだったのに、帰る方向が逆になるにもかかわらず、優希君が私たちの方について来る。
「そんな事は僕だって分かってる。だから嫌な思いもたくさんしてるけど、それでも愛美さんの持つ魅力の一つだから、愛美さんを好きな僕としては、そこは広い心で愛美さんの側にいたいって言うか……守りたいって言うか……」
 にもかかわらず蒼ちゃんとばっかり喋ってる優希君。本当はその文句も言いたかったのだけれど、私の方を見ながら何とも嬉しくなる言葉を並べてくれる優希君。でもそっか……やっぱり他の男子と仲良く喋るって言うのは嫌な気持ちになってくれるのか。そこは嬉しくもあり恥ずかしくもある。
「……」
 違う違う。今日は騙されたらダメな気がする。
 さっき自分で思ったばかりなのにすぐにそうやって優希君の言葉に(ほだ)される。
 さっきの統括会の時も今もそうだけれど、雪野さんと喋ってばかりで、今は蒼ちゃんとばかり。そして放課後には私から頼んだとは言え咲夜さんと二人っきり。そう考えると今日は優希君とあんまり喋っていない気がする。
「優希君。帰る方向逆だけれど大丈夫?」
 だからって言うのも変だけれど、一応私が優希君の彼女なんだからと思って一声かけたつもりなのに、
「愛美さんの一番の親友だったら、仲良くしておきたいし、僕の事も信用して欲しいから今日くらい遠回りでも良いよ」
 さっきの統括会で、私がどれだけ激しい嫉妬の炎を燃やしていたのか全く気付いていない優希君が、蒼ちゃんと仲良くするために遅くなるのはかまわないと言う。
 幸い蒼ちゃんだからそこまでの嫉妬とかは無いけれど、そんなに私の周りにいる女の子と仲良くしたいんなら私はもう知らないっ。
「……愛美さん?」
「……あ・い・ち・ゃ・ん?」
 正門を出た私たち三人が、優希君の隣じゃなくて蒼ちゃんを挟んで優希君とは遠い場所の反対側に私が並び立ったところで、それぞれ私に声を掛けてくれるけれど、蒼ちゃんは私に少し冷たさを持った半眼を向けて来る。
「だって蒼ちゃん聞いてよ! 優希君はさっきの統括会の間ずっと“雪野さんの気持ちは分かるよ”とか“雪野さんに対して暴力は駄目だ”って言って、雪野さんを守るように私の前に立ちはだかったり、今日は終始雪野さん、雪野さんだったんだから」
 私の親友と私が大好きな優希君。二人には仲良くして欲しかったから、今日の事は蒼ちゃんには言わないでおこうと思ったのに。このままだと私が燃やした嫉妬の炎の事は全く気付いて貰えなさそうだからと、少しだけ今日の優希君の所業を口にする。
「愛ちゃん! 前に蒼依が先生の前で愛ちゃんに言ったこと忘れたの?! 愛ちゃんはこの先の為に今も頑張ってるのに、蒼依の言った事はどうしたの?」
 あ。やばい。そう言えば前に私は駄目だよって言って、蒼ちゃんが私の代わりに先生をひっぱたいてくれたんだった。
「防さん。大丈夫。愛美さんは誰にもなんの暴力も振るってないから」
 今日は何とかして蒼ちゃんからの話を少しでも聞き出して動こうと目論んでいたのに、どうも雲行きが怪しい。
 それどころかまさか今日、蒼ちゃんから説教を貰うのかと思い、頭を抱え始めた時、
「それに愛美さんが統括会、倉本の事を考えての行動って言うのも、昨日の昼休みを見て分かったから」
 私をかばってくれるのかと思ったのに、まさかの燃料投下の発言。
 私が思わず優希君の方を見ると、どうにも優希君の方にも私に不満っぽい何かがあるみたいだ。
「空木君。愛ちゃんを止めてくれてありがとう。愛ちゃんは意地っ張りで分かりにくいけど、愛ちゃんが他人にこれだけ甘えるなんて初めてだし、多分空木君くらいかもしれないから、愛ちゃんを大切にしてあげてね」
 しかも今度はよりにもよって優希君の前で私が意地っ張りだと言う。
 これでもし優希君に距離を置かれたらどうしてくれるのかと、蒼ちゃんに抗議しようとしたら、
「愛美さんの意地って可愛いよ? 僕がお願いしたら初めこそは渋々でも最後には嬉しそうにしてくれるから、そう言う愛美さんを見るのは僕は好きなんだ。だから二度と先週のような顔を愛美さんにさせないように愛美さんを大切にする」
 まさかの優希君からの決意。
 それを私の一番の親友に言い切ってくれたのはやっぱりすごく嬉しく――あれ。さっきまで私、身を焦がしかねない程の嫉妬をしていたはずなのに……やっぱりこのままじゃどう考えても今後に影響しかねない。

 これ以上優希君を遠回りさせる訳にはいかないからと、立ち止まって話してはいても、優希君の帰る時間がどんどん遅くなるにもかかわらず、まだ帰る気は無さそうだ。
「先週の事は蒼依も忘れずに覚えておくから。次に他の女の子や雪野さんにお手付きしたらもう愛ちゃんには会わせないつもりだから。それだけは覚えといて」
 そして蒼ちゃんの言葉を聞いて、やっぱり心配をかけてしまっていたんだなって事を実感してしまうと同時に、蒼ちゃんが私の事をいかに大切にしてくれているのかも改めて伝わる。
 私が蒼ちゃんの思いやりに心を震わせていると、
「それで空木君。愛ちゃんに本気になっている会長さんはどうするの? 会長さんの為に愛ちゃんが頑張るのは良いの?」
「ちょっと蒼ちゃん?!」
 質問と同時に、蒼ちゃんと優希君の間に私を無理やり引っ張って来る。
「空木君の気持ちは愛ちゃんが聞くんだから、いつまでも意地張ってないでちゃんとしなさい。空木君の気持ち、聞きたくないの? ――会長さんは愛ちゃんの手を握ったり『ちょっと蒼ちゃん!』――会長さんからのデートのお誘いもすごいよ? なのに愛ちゃんは会長さんに平気で笑顔を向けるし、空木君は本当に愛ちゃんにカッコ付けたままで良いの? 言っとくけど愛ちゃんを狙ってる男子、他にもい――」
 私が蒼ちゃんの言葉を止めても止めても止まり切らない蒼ちゃんの言葉。それを止めてくれた
「――いくら愛美さんの親友でもそう言うのは辞めて欲しい。格好つけようが何しようが、僕が愛美さんの一番でいたい。他の男がどうとか言うより、愛美さんにとって僕が一番だったらそれで良いし、そう言う束縛はしたくない。僕は他の男と違うって、僕だけの魅力と、僕と愛美さんの間にある信頼「関係」で愛美さんの心を束縛したい」
 優希君の言葉と、私を見る優希君からの熱のこもった視線に、私の心臓が忙しなくなり始める。
「ただ、前にも言ったけど僕以外の男にカッコ良いって言うのだけは辞めて欲しい。愛美さんが相手の事を思って力になろうとするのは、倉本相手だとムカついて仕方ないけど、それは愛美さんらしさだし何とか僕自身を納得させることは出来る。それから愛美さんの僕に対する気持ちは伝わって来てるから、出来るだけその都度僕の気持ちを愛美さんだけには伝えて分かって貰えるようにはしてる。だけど、今日みたいに倉本相手にカッコ良いとか口にするのだけは、どうしても駄目だからそれだけは辞めて欲しい。それだけはいくら信頼「関係」があったとしても、愛美さんの気持ちを知っていたとしても、僕は自信が無くなる」
 前も言われた事だったし、その時にも言われたけれど、優希君は雪野さんの容姿を含めて一度たりとも褒めてはいない。
 いくら人は見かけじゃないとは言っても、やっぱり自分以外の異性の容姿を褒めると言うのは、好きな人に対して自分が一番でありたいのだから、良い気がするわけがない。そう思うと優希君に対して少し申し訳なさが出て来る。
「ごめん。今度からは私ももっと――」
 言葉の途中で私の頭の上に置かれた優希君の手によって、私の言葉が止まる。
「――僕は愛美さんにそんな顔をさせたいわけじゃない。ただ僕の気持ちを愛美さんに知って欲しかっただけだから。だから今まで通りの愛美さんで大丈夫だから」
 私の言葉を引き継いだ優希君が、そのまま私の短い髪を梳くようにして頭を撫でてくれる。
「それと愛美さんの笑顔自体、愛美さん自身を想う僕の気持ちと同じくらい、独り占めしたいくらいには好きだって事も合わせて覚えておいて欲しい」
 結局は優希君から私への気遣いと想いの両方によって、さっきまで燃え上がっていた嫉妬の炎の半分以上が消し飛んでしまう。
 私が欲しい言葉、気遣いを分かってくれていて、それをそのまま実践されて、私の心が満たされて行く。
 本当に優希君ってずるいなって思う。毎回こんな調子だし優希君相手に怒ったり喧嘩したりできる気がしない……
 いやまあ、喧嘩したくない私にとっては願ってもない話だから良い事づくめなんだろうけれど。
 そう言えば、
「今日優希君が私との事を統括会で言ってくれたのは嬉しかったけれど、帰りしなに倉本君と雪野さんから、私たちの事はそんなに簡単に諦められないって言われた」
 いくら私たちが立ち止まっているとは言っても、さすがにそろそろ優希君も帰らないといけないとは思いながらも、これだけはと思って、まだ一波乱ありそうなことを先に優希君には伝えておく。
「空木君と愛ちゃんの事って?」
「詳しくはまた後でゆっくりと話すけれど、今まで色々あって言えなかったんだけれど、今日の統括会で優希君から私と恋人同士だって言ってくれたんだよ」
 蒼ちゃんにあらましだけを説明したところで、
「それって愛美さんが倉本の事をカッコ良いって言ったから?」
 優希君が私にまたイジワルを口にする。
 何でイジワルって分かるかって言うと、さっき優希君が私の頭を撫でてくれた時に、気にしなくて良い、ありのままの私で良いって言ってくれたからなんだけれど、
「雪野さんは、優希君が心の深い所で雪野さん自身を理解してくれているから、優希君を諦めたくない、渡したくないって言ってたよ?」
 私のは違う。女二人きりになった時に堂々と口にされたのだから。
 思い出してきたら再び嫉妬の炎が上がり始める。
 しばらく二人無言で見つめ合っていたのだけれど、
「さすがに時間も時間だから今日はこの辺りで帰るけど、この話はちゃんとしたいからまた今日の夜のうちに電話する」
「あ。ちょっと――」
 分が悪いと思ってくれたのか、それともまた何か優希君の方も私の鏡映しのようにヤキモチを妬いてくれたのか。不満そうな表情を浮かべて帰って行ってしまう。
 今日は蒼ちゃんが泊まるから多分電話できないと思うのに。
「じゃ愛ちゃんいこっか。愛ちゃんにはまだアノ人の事でお説教しないといけないから」
「……」
 そのままの私で良い。優希君は甘えてくれて良いって言ってくれているのに。
 昨日の昼休みのような愚痴を心の中で零しながら、さっきまでの話はいったん置いておいてスーパーへ寄ってから帰宅する。


 スーパーへ寄って帰った分、統括会で遅くなったりした事も相まっていつもよりもかなり遅い帰宅になる。
「ねーちゃん腹へ……」
 珍しく早く帰って来ていた慶が、文句を垂れながら私の所へ恐らくは食べ物をねだりに来たのだと思う。
 ただその文句と共に食べ物をねだるつもりだった慶の言葉が蒼ちゃんの姿を見て止まる。
「こんばんは慶久君。今日はお姉ちゃんの誘いで泊めてもらうね」
 脱いだ靴を綺麗にそろえながら慶に挨拶をする蒼ちゃん。
「今日! 今日って事はまさか泊っていかれるんですか?」
 どう言うテンションなのかは分かるけれど、日ごろ使い慣れていない丁寧語のせいで日本語がなんかおかしな事になっている気がする。
「はいはい。慶にパンとおにぎり買って来てあるから、それ食べて部屋で大人しくしてなよ。ご飯できたら呼んだげるから」
 さっきみたいな日本語で、おかしな事を口走られたら恥ずかしいだけだからと部屋に追い払おうとしたら、
「はぁ? んだよそれ。いつもそんな事言わねーじゃねーか」
 蒼ちゃんラブの慶がごね始める。
「蒼依たちは着替えて来るから、慶久君はそれ食べながら大人しく待っててくれるかな」
「分かりました蒼依さん」
 私がどうしようかと思っていたころに、蒼ちゃんがごく自然な感じで慶を説得する。
 そう言えば蒼ちゃんの言う事なら慶は何でも聞くんだったなって思い出しながら、先に蒼ちゃんに着替えてもらおうと、鍵だけを渡す。
 先に蒼ちゃんに着替えてもらっている間に、買い物袋をリビングに置いて買って来たものの整理をしながら、蒼ちゃんとの約束を果たすために、少しだけ慶と喋って時間を潰す。

 着替えるにしても、女同士である私の部屋なのだから恥ずかしがらなくても着替え終わっていると思ったのだけれど、私が部屋に追いついた時にはまだ着替えていなかった。
「……着替えなかったの?」
 私に腕を見られたくないから先に着替えていると思ったのだけれど、恨めしそうに私の方を見ながら一言。
「蒼依、何着たら良い?」
 確かに。
「ごめん。私の部屋着でも大丈夫かな?」
 身長に関しては私よりも少しだけ蒼ちゃんの方が高い。少しだけだから丈に関しては良いと思うのだけれど、
「……」
 どうにもやるせない気持ちになる。
「蒼依は大丈夫だけれど、愛ちゃんの視線がおじさんみたいだよ」
 そんな事言ってもこの気持ちは絶対に蒼ちゃんには分からない。そんなところで人間の価値が決まる訳が無いとわかってはいても、どうにも気持ちが納得しない。
「……じゃあ見ないから早く着替えよう?」
 なんだかんだ言いつつ着替えない蒼ちゃんを見ていると、腕のアザの事を気にしているのかもしれない。
 ああ、だから今しがた私に恨めしい視線を向けて来たのか。
 本当なら鍵のかかる部屋に二人だけ。さっきは優希君との事でうやむやになりはしたけれど、言いたい事も聞きたい事もたくさんある。
「蒼ちゃんには少し小さいかもしれないけれど、今日はこれで我慢してね」
 でも私は蒼ちゃんがまだ言いたくないのなら、今にもしがみついて聞き出したいのを我慢して、腕のアザには触れないように、違う理由で着替える事を促す。
 それにせっかく来てもらったのに、嫌な気分になんてなって欲しくない。
 だから蒼ちゃんのセンスに比べたら目劣りはするかもしれないけれど、部屋着を一セット出して、蒼ちゃんの着替えを間違っても見てしまわないように先に下へ降りる。

 「おいねーちゃん。今日蒼依さん来るなら言ってくれよ」
 蒼ちゃんの姿が無いのを良い事に私に文句を垂れる慶。
「何が“言ってくれ”だっての。普段から電話にもメッセージにも反応しない人間が何言ってんの?」
 自分勝手な事ばかり言い出す慶に、私も悪態をつく。
 取り敢えずいつまで文句ばかりを言う慶に付き合っているわけにもいかないから、先にお風呂の準備と夕飯の支度を始める。
「愛ちゃん。言ってくれたら蒼依も手伝うよ」
 途中下りてきた蒼ちゃんも気を遣ってくれるけれど、蒼ちゃんはお客さんなんだからと丁重にお断りをする。
「蒼ちゃん。今日はタイのあら切り身にするつもりだけれど、蒼ちゃん食べられないとかアレルギーとか大丈夫だよね」
 その夕食の準備の際に蒼ちゃんに聞くも、幸いにして大丈夫との事だったけれど、本当なら献立を決める際に聞くべきだったかもしれない。

 その後、慶を先にお風呂に入れてタイの煮込みが終わるのを待つだけの時間、蒼ちゃんがぽつり
「愛ちゃん毎日これやってるの?」
 と一言。恥ずかしそうに聞いてくる。
「これって炊事の事? だったらそうかな。慶があんなだから私がやるしかないし。それに慶に洗い物させてもガサツだから良く洗い残しもするし」
 その気持ち自体は嬉しいのだけれど、結局二度手間になるのなら、私がした方が早い気もするし。
「それもそうだけど、愛ちゃんってひょっとして普通に出来るだけじゃなくて、お料理得意だったり?」
「得意ってそんな事ないけどどうして?」
 ただ必要に迫られてやっている間に出来るようになっただけって言うのが一番正しい。
 だから好きかって言われたらそんな事もないし、家にお母さんがいたら私もこんなこと多分していない。
「だって蒼依。家でお母さんのお手伝いをした事ないのもそうだけど、今愛ちゃんが作ってるようなお料理なんて作ったことなんて無いし、作れないよ」
 そう言って今、煮立ち待っている鍋を見やる蒼ちゃん。
「いやこれそんなに難しくないよ? ある程度はスーパーで下処理してくれてるから、後はお醤油・みりん・料理酒、後は臭みを取るためにしょうがとかワインとかを入れたりとかするだけだし」
 鍋物、煮物なんて蒼ちゃんが作るお菓子に比べたらはるかに簡単だと思うけれど。
「それで成績もこんなにも良いんだもんね。蒼依なんて家の事なんにも手伝ってないよ」
 私の気持ちなんて他所に、蒼ちゃんが私をうらやんで来る。
 それに成績に関してだってそうだ。私がどうこうって言うよりも、朱先輩からの手ほどきと言うのか、勉強に対する考え方が大きいだけに過ぎない。
「でも家でお菓子作って、蒼ちゃんのご両親も喜んでくれているし、そのまま蒼ちゃんのやりたい事でもあるんだよね?」
 好きな事を将来の目標にする。
 先生の話も当然頭の中にあるけれど、その先生もやっぱり好きだからこそ人よりも頑張れるって言っていた。
 頑張るだけではいつか心が折れてしまうだろうけれど、それでもやっぱり“好き”って言う気持ちは大切なんだと思う。
「そうかも知れないけど、お母さんの負担がそれで減ってるかって言うとそうでも無くて、家事と言う家事は全部お母さんがやってくれるから……」
 何となく蒼ちゃんの私に対するイメージが過大になり過ぎている気がする。
「蒼ちゃんの事だから絶対に誤解していそうだけれど、私は家に両親がいないから仕方なくしているだけで、週末は全部親に任せっきりだよ?」
 必要に迫られたからしているだけで、自分からしようと言う気は初めは全くなかった。
 もっともこのサイクルに慣れたら、何もしないと逆に変な感じがするくらいではあるけれど。
「それと、男二人が騒ぎ出したり、前の時みたいに慶に変な想像をされるのは嫌だから、慶の前で優希君の話だけは辞めてもらえると助かるかな」
「……分かった。それはちゃんと約束するね」
 慶がいない間にと優希君の口止めだけはさせてもらう。
 その後一通りの夕食の準備が済んで慶が上がって来たところで、いつもよりも遅いからと先に夕食を済ませる。

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