文字数 4,488文字

ボクは、四人が日本に帰ってからすぐに、日本行きの準備を始めた。まず、パスポートを申請した。すでに失効していたので、日本から戸籍を取り寄せなくてはならず、龍君に手伝ってもらった。成田に着いて、連れてきた猫の検査を済ませ、出口まで来ると、四人が全員で迎えに来てくれていた。

龍君の運転する車で龍君の家に直行し、お父さん、お母さんに挨拶をした。その後、皆で話をしている時に、誰か若い女の人が出てきた。龍君は一人っ子だと聞いていたので、少し、不思議に思った。すると、龍君が、その人を紹介してくれた。
「臨夢君、こちらは、ぼくの従妹の八戸恵理さん。メグと呼ばれてる。うちの父が、今度、立川に犬カフェを開くことになり、はるばる姫路から応援に来てくれたんだ。当面、うちに居る事になった」

メグさんが、口を開いた。
「メグですぅ。臨夢君の事、聞いてますよ~。よろしゅう。あっ、よろしく」
「あ、始めまして、臨夢です。今日、バンクーバーから着いたところです」
「そして、皆さん、龍也に頼まれていた、奏多さんに関連した広島の調査の報告をしますぅ」
龍君は、少し驚いたようだった。
「あぁ、そうだったなぁ。すっかり忘れていたよ。頼んだの、随分前だもんな」

「ごめんなさい。うち、ちょっと忙しかったので。それに、姫路から広島まで、新幹線でたったの一時間と言うけど、往復一万五千円ほどかかったし、あと、ホテルも三泊で三万円ほど。ねっ、龍也」
「はいはい。あれっ? じゃ、ここの滞在費はどうする? 都下の一等地で、二食付きだから、一部屋一か月あたり......」
「あの、あの! それじゃ、調査の経費は、うちの方で......。さて、うちの調べたのは、奏多さんの大学時代と、奏多さんのご両親の事。うちは、龍也の様に法学部中退の肩書はないので、十分に出来たかどうかは分かりませんが」

龍君が口を挟んだ。
「相変わらず、皮肉がうまいな」
「え~と、まず、奏多さんは大学時代、吹奏楽団でフルートを吹いたそうですぅ。とっても上手だったという評判で、ソロがある時は、いつも奏多さんが選ばれていたそうですぅ。奏多さんが急に居なくなってしまって、みんな物凄く心配したと言っていました。ところで、奏多さんが在学中、一番時間を費やしていたのは、広島平和記念資料館のボランティアとしての様でした」

これは、ボクには少し驚きだったので、口を挟んだ。
「ボクは、一度だけ、広島に行ったことがあるんだ。その時に、お姉ちゃんのバンドの演奏会には行ったんだけど、ボランティアの事は知らなかったなぁ。それから、メグさんの報告には入っていなかったけど、お姉ちゃんの広島のアパートは使いっぱなしの食器と、ありとあらゆる物でめちゃくちゃだったよ」
お姉ちゃんが、口を挟んだ。
「あらっ、覚えていなくて都合がいい事もあるのよね。他人事みたいで」

メグさんは話を続けた。
「臨夢君、補足ありがとう。それで、平和記念資料館の人の話だと、奏多さんは、何かに取り付かれたように、資料の整理とか、新しい資料の収集に非常に熱心に取り組んでいたそうですぅ。それで、みんなよく覚えていますぅ」
確かに、お姉ちゃんは、全く他人事の様に聞いている。

「次に、奏多さんのお父さんのご両親について、えーと、奏多さんと臨夢君の祖父母にあたりますが、島根県にある戸籍と実家からの情報をお伝えしますぅ。おじいさんは当時、島根県出身の若い医師で、原爆投下直後に、広島へ救援に行き、そこで、被爆されながら看護に当たっていた看護婦さん、広島県出身のおばあさんですぅ、と知り合い、結婚されたました。あいにく、おじいさんは、お父さんが生まれる少し前、患者さんからの感染で、おばあさんは、お父さんが生まれてすぐに白血病で亡くなっていますぅ。おばあさんの実家はだれも生存者がおらず、おじいさんの実家は家内騒動で、お父さんは、止む終えず東京の施設に引き取られたと聞きました」
メグさんはここで一息ついた。

「奏多さんのお母さんのご両親は、二人共、山口県出身で、本籍も山口県のままでした。ただ、親戚とは連絡が付かなかったので、戸籍と、お母さんの出生地から辿った情報をお伝えしますぅ。二人は、山口県から広島へ来て、大きな工場で一緒に働いていたようですぅ。不幸にも、二人共、お母さんが生まれてしばらくしてから亡くなっていますぅ。おじいさんの死因は不明ですが、おばあさんは白血病ですぅ。二人の働いていた工場は、爆心地からは少し離れていて、被害は少なかったようですが、おばあさんが、原爆投下時に、どこに居たかは不明ですぅ。うちの調査はここまでですぅ」

ボクは、父さんの言葉を思い出して、呟いた。
「そうだったのか。父さん母さんは、バンクーバーに移住する前の事は、全く話してくれなかった。ただ、最後の電話で、二人共辛い思いをしたとだけ言っていた......」
今度は、龍君が続けた。
「メグ、どうもありがとう。う~ん、姉さんは、ご先祖が広島に住んでいた事も、被爆したと言う事も知らなかったはずだ。それが、高校で原爆の事を調べてから、広島の大学を選んだのは、何かを感じていたんだろうなぁ。そして、ご両親が、身寄りを無くしたと言う事と、阿佐ヶ谷の児童養護施設を本籍にした事は辻褄が合う。ご両親は、そこで、出会い、一緒に暮らしていたに違いない」

となると、子供時代に両親と過ごせたボクは、父さん母さんよりも恵まれていたのかもしれない。そして、ボクは思った。父さんはボクに、強く生きるように言った。父さんの言葉に従おう。何か、自分の道を切り開こう。それで、思いついて、後で龍君に相談してみた。
「龍君、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「あの、メグさん、犬カフェの仕事をするって言ってたよね」
「うん。それで?」
「ボク、手伝えるかな?」
「あー! それは、いい考えだ。二人で、管理してくれれば、大助かりだよ。それに......、今回は、ちゃんと戸籍も確認できているし」
「えっ? 何のこと?」
「あっ、いや、こっちの話。ねぇ、逸ちゃん!」
横に居た逸ちゃんが、意味ありげな表情をしていた。まぁ、それは兎も角、ボクは、日本に来たばかりだけど、ついているなと思った。

それからと言うもの、ボクは、メグさんと二人で、仲良く犬カフェを管理する事になった。それで、この話も、ここで終えようかと思ったところ......、

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突然、お姉ちゃんから、メグさんと一緒に夕食に来ないかと誘われた。新しい料理を覚えたので、みんなに試してもらいたいと言う。当然、龍君と逸ちゃんも来た。みんなで楽しく食事を始めたところ、お姉ちゃんが悲しそうな顔をして言いだした。
「津載、私の料理、そんなにまずい?」
「そんなことないよ。奏多、凄く料理上手くなったじゃない」
「じゃ、どうして、どんどん食べてくれないの?」
「......」
「ちょっと。津載が黙ってしまう時は、何か問題があるんでしょ! 私に言えないような事?」

こんな時、決まって助け舟を出してくれるのは、龍君と逸ちゃんだ。ところが、この時は、その前に、津載さんが、お姉ちゃんをそこから連れ出した。
「兄さん、姉さん、どうしたのかなぁ?」
龍君が心配そうに呟く。

暫くして、お姉ちゃんが、泣きべそをかきながら出てきた。
「津載、喉が痛いんだって。うまく呑み込めないんだって」
みんな、黙ってしまった。その後、津載さんが、戻ってきて言った。
「ごめん、心配を掛けて。明日、奏多と病院に行く事にした。大したことないといいんだけど」

だが、検査の結果というのは、皆にとって、大ショックだった。津載さんに咽喉がんが見つかり、手術が必要だと言うのだ。ボクは、ものすごく心配した。お姉ちゃんの折角掴んだ幸せが、崩れてしまわないかと気が気でならなかった。後で聞いた事には、津載さんは、かなり長いこと、喉の違和感があったとの事。津載さんは、心配ではあったが、医者に行ったら、最悪の事態を伝えられるのではないかと恐れて、行けずにいたそうだ。逸ちゃんの想像では、津載さんは、その事が気にかかっていて、以前、結婚するのにためらいがあったのではと。

津載さんの咽喉がんは、声帯のすぐ裏で、進行中だが、今のところ、転移の気配はないらしい。それで、手術をすれば、命に別状はないと言う。ただし、がんの位置からして、声帯も取り除かざるを得ないと言う事だった。

手術の日、手術室の外で待っていると、担当の医師が出てきて、皆に挨拶した。
「手術はうまくいきました。腫瘍は完全に除去できたので、大丈夫です。そして、患者さんにとって、一番嬉しいのは、やっぱり、あなた方の様に、家族や、友人が来てくれることなんです。それに、今は、医療技術も進んでいますから、何らかの形で、声帯の再生も可能になってきています。あと~、こんな事言っていいのか分かりませんが、仮に声を失っても、幸せを掴んだ人達だって沢山いるんです」
この時、お姉ちゃんは涙を流していたのだが、それでも、なぜか顔が輝いてみえた。

その後、お姉ちゃんだけ、びっこをひきながら津載さんの移動ベッドの横について、病室へ行った。ボク達は、食堂で食事をしてから、病室に向かった。その途中、廊下の窓越しに見える外の景色に目が行った。寒い中、何だか、ピンク色のきれいな花が咲いている。

ボクは、それまでの自分が、自然とか、気候とか、そう言った事に全く無頓着だった事に気が付いた。それは、たぶん、辛い中高生時代にボクを襲った無力感から来たものかもしれない。でも、今、ほとんど初めての様に、外の景色が見えてきた。そして、ほとんど初めての様に、この景色が、明日どうなるのかなと言う疑問が出てきた。ボクは、ほとんど初めての様に、将来の事を考え始めていた。

病室に入ると、お姉ちゃんが、ベッドの横に座って、津載さんの手を握っていた。少しして、津載さんが目を開けた。ゆっくりとお姉ちゃんの方を向いて、微笑んでいるようだった。そして、お姉ちゃんの手を離すと、左手に何かを持って、右手の人差し指でそれを叩くようなかっこをした。お姉ちゃんは、すぐ分かったようで、電話を取り出して、渡した。

津載さんは何かをタイプすると、電話をお姉ちゃんに渡した。お姉ちゃんの後ろから覗くと、こう書いてあった。
『あの時みたいだ。市谷で殴られた時』
お姉ちゃんは、津載さんをしっかりと見つめてから返事をした。
「そうね。あの時は、津載が自分を犠牲にして私を助けてくれた。それなのに、あの時の私は......。でも、今は、違うわ。これからは、私、もう絶対に、津載のそばを離れないから」
津載さんは、もう一度電話を手に取り、またタイプした。
『ありがとう。僕は幸せだよ』
お姉ちゃんは、電話を置いてから、両手で津載さんの右手をしっかりと握った。そして、泣きそうな顔で答えた。
「私も。そして、私が声を取り戻せたように、津載もきっと......。それまでは......、それまでは、私が津載の声になるから」
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