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この事は、逸ちゃんには、言っていない。実は、ぼくは、父親に言われて猫カフェを管理するようになってから、そこに来たありとあらゆる女性に声を掛けてみたんだ。不本意ながら、それまで、惨敗だった。それで、逸ちゃんに声を掛けた時も、ダメもとだった。ただ、一つ、希望が持てたことは、逸ちゃんが新規採用の彼女の送り迎えで、毎日来ることだった。彼女の事を話題にすれば、乗ってくれるのではと思った。

採用した彼女の方はと言えば、ぼくは少し複雑な気持ちだった。とても良い人には思えるし、お客さんと対応する時、とてもさわやかな声を出す。だけど、どうも不可解なところがある。びっこをひいているし、字がまともに書けないし、私事には一切返答しない。まぁ、交通事故の後遺症があると言う事なので、仕方がないかもしれない。それに比べ、逸ちゃんは、ごく普通の女の子だ。気さくで、気軽な感じだ。それで、ぼくは、兎に角、声を掛けようと思っていた訳だ。

逸ちゃんは、予想通り、一緒に居ると凄く楽しい人だ。それで、何回か喫茶店に誘っているうちに、もうすっかり気に入ってしまった。逸ちゃんも、嫌がっているとは思えなかった。それで、「あたしと付き合いたい?」と聞かれた時には、直ちにお願いしてしまった。

年ごろのぼくが女性に興味を持つのは当然の事だけど、それ以外では、ぼくの一番の興味は、人権擁護と動物保護だった。そのために、法学部に入って、弁護士になろうとしていた訳だが、デモとか運動に参加しているうちに、色々と処分は受けるし、勉強もはかどらず、とうとう中退してしまった。それは、それでいい。道は開けるものだ。丁度その頃、由緒ある首都圏大学中退者の会の会長になったし、父親の猫カフェの管理で、経済的に困ることもなかった。

ある日、逸ちゃんを自分の部屋に連れ込んだ後、逸ちゃんのシャツが前後反対だったのを母親に見られた。それが切っ掛けで、夕食の時に詰問攻めにあった訳だが、おかげで、逸ちゃんと婚約することになった。それからは、大手を振って、逸ちゃんを自分の部屋に連れ込んで仲良くした。

この頃に、逸ちゃんがぼくに言った事が可笑しい。逸ちゃんはお兄さんの所に居候していたのだが、お兄さんが彼女をそこに連れ込んだので、三人の共同生活になったそうだ。そして、お兄さんと彼女は、熱々なのに、まだキスもした事がないと言うのだ。それで、何とかなるように、二人を思い出の温泉ホテルに送ろうとしたら、台風でバスがキャンセルになるし。そこで、逸ちゃんとぼくは、ぼく達が同棲すれば、お兄さんと彼女は夜、逸ちゃんなしで、二人っきりだから、物事が起こらない訳はないと企んだ。そして、逸ちゃんが引っ越して来た次の日、ぼくは、逸ちゃんに様子を聞いてみた。

「あの二人、夕べどうだったって?」
「それがさぁ~、今日、猫カフェに寄った時なんだけど。中に入ったら、彼女、カウンターの後ろの机の上にうつ伏せになって、ぐっすり寝込んでたの。お客さんが来てもまずいと思って、起こしたら、顔に寝跡がくっきり。それに、目も開けられないみたいで、大あくびの連続。『ね~え、夕べ、寝不足するほど頑張っちゃったのぉ?』って言ったら、顔を真っ赤にして、洗面所に飛んで行っちゃった」
「しかし、それって、ひょっとして......、彼女、未経験だったってことあるかなぁ? まぁ、いいか。それは、ぼくの知った事ではない。兎に角、ぼくは、次のプロジェクトにかかるぞ」
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