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そして、あの日、ボクが夢にまで見た、あの日の事。このレストランには、嫌と言う程日本人が来る。でも、あの四人はただの日本人ではなかった。その内の一人が、どうしてもお姉ちゃんに見えたからだ。ボクは、わざとその四人の横を何度も通った。でも、お姉ちゃんらしき人は、ボクの事に全く気が付かないようだった。それで、単にすごく似ているだけかなと思った。

それでも、万が一と思い、勇気を振るって、その四人が帰る間際に声を掛けてみた。
「お姉ちゃん?」
お姉ちゃんらしき人の返事はなかった。ところが、その内の一人が、ボクの名前を言った。父さん母さんとボクを探していたと言った。それで、分かった。確かにお姉ちゃんだったんだ。ボクはすぐにお姉ちゃんをハグしたかった。ただ、お姉ちゃんがボクの事を分からないような態度なので、出来なかった。その後聞いてショックだったのは、お姉ちゃんの記憶が無くなってしまったと言う事。お姉ちゃんは、もう、バンクーバーでの事を何も覚えていないらしい。そして、言葉も普通に喋れないと言う事。ボクは、まだお姉ちゃんの声を聞いていない。それに、歩く様子を見ると、びっこをひいている。何が起こったのだろう?

四人は、次の日に日本に帰る予定だったが、ボクに出会って、予定を変更すると言った。そして、ボクは、四人のホテルまで一緒に行って、話をすることが出来た。

お姉ちゃんが記憶を失ってしまった頃の話を聞いて、ボクは、物凄く驚いた。なんてひどい目にあったんだろう! お姉ちゃんが可哀そうで仕方がなかった。それと同時に、他の三人が、お姉ちゃんの事を思って、色々と助けてくれた事を有難く思った。そうじゃなかったら、ボクは、お姉ちゃんに一生会えなかったに違いない。

その次の日から三日間、ボク達はいろいろな事を試してみた。龍君と言う人が言うように、何かが切っ掛けで、お姉ちゃんの記憶が戻らないかと期待して。まず、父さん母さんの写真を見せたのだが、反応が無かった。

もうボク達の住んでいた家には行ってみたと言う事なので、次は、ボク達が通っていた中高一貫校に行ってみた。お姉ちゃんは興味深そうに建物や生徒たちを見るのだが、初めて見るような感じで、何も思い出すことは出来ないようだった。

今度は、マージの写真を見せた。お姉ちゃんが、バンクーバーに来てから、大学に行くまで、ずっと身の回りの世話をしてくれた人だ。それなのに、この人の事も覚えていない。それから、お姉ちゃんと一緒に飼っていた猫に会わせた。可愛がるが、それも覚えていない。その後は、一緒にトリオを組んでいた、友人二人にも会ってもらった。やはり、思い出せない。

その時に、この友人二人が、お姉ちゃんの事をキャンディーと呼んだのを聞いて、お姉ちゃんを含めて、みんなきょとんとしていた。それは、お姉ちゃんのカナダでの正式な氏名が、“Candie Izmo”だったから。それで、スペリングは違うが、お姉ちゃんは、みんなから、“Sweet as candy”と言われていた。そして、姓の方は、マツダ自動車が海外で“Mazda”と呼ばれていた事を真似て、父さんがファミリー・ネームをこの様に登録したらしい。これは、子供たちがそこの社会に溶け込んで欲しいと言う気持ちからだと思う。そんな訳で、たとえ新聞で“Kanata Itsumo”と言う名前を見ても、誰もお姉ちゃんの事とは分からなかったと思う。もちろん、ボクは新聞なんか見ている訳は無かったし。

龍君は、日本で相当にお姉ちゃんの事を調べてくれたようだ。それで、ボクの情報と結び付けて、龍君なりの詳しい説明をしてくれた。ただ、これは、朝、お姉ちゃんがまだ起きて来ない時だった。

広島でお姉ちゃんを誘拐した男は、お姉ちゃんが気に入り、東京に連れてきて、監禁状態で一緒に住まわせた。それでも、お姉ちゃんが必死に抵抗するので、男は暴力を振るい、お姉ちゃんは記憶喪失になってしまった。それだけでは済まず、男は、知り合いの病院長に頼んで、ウィルスと薬剤を使って、記憶喪失を助長する試みまでした。そして、完全に記憶を失ったお姉ちゃんに、男は新しい情報を植え付けた。お姉ちゃんは、この男と結婚している事にされ、今谷奏多と名乗らされていた。

ところが、お姉ちゃんは逃げた。その後、男は、お姉ちゃんを見つけられず、ボクたちの父さん母さんの資産を狙った。実際にバンクーバーで、父さん母さんを誘拐したのが、この男かどうかは分からない。いずれにしても、誰かが、父さん母さんに、すべての不動産を無理矢理処分させた上で、財産を奪い取った。龍君は、それ以上父さん母さんの事は話さなかった。明らかに、ボクに気を使っての様だった。そして、日本に帰ってから、龍君が外務省にボクの父さん母さんの所在調査を依頼すると言った。この結果によって、父さん母さんの法律上の行方不明のベースが出来るらしい。

ボクの心は怒りでいっぱいだった。この、ボクの家族に大不幸をもたらした連中をみな殺しにしてやりたいとさえ思った。ところが、そんなボクの心を見透かしたように、龍君が、お姉ちゃんを誘拐した男は、すでに誰かに殺されていると教えてくれた。あまりに、やりきれない。
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