第73話 7-7 爆殺の序曲

文字数 2,237文字

 がしゃん がらがらからん ばさっ

 車に戻り、アコニテンがメッセンジャーバッグを逆さにして出した中身は、破片と化した角皿と、孔が二つ穿(うが)たれた厚い料理本。
 ステラがバッグを手に改めれば、生地の表面に焦げ跡か煤で縁取られた孔が二つあり、アコニテンの体に接していた面の内側二箇所は部分的に綻んでいるが穴は開いていない。
「.32ACP弾が限界ですね」
 ヴァルターPP拳銃を押し付けて撃たれたからなぁ、とぼやいて言うアコニテンが手を差し込むバッグから拾い上げたのは、潰れて原形を留めない鈍く光る鉛の欠片。それは撃ち込まれて潰れた弾頭だと言う。
「バッグと本とお皿は、弾除けだったの?」
 頷くアコニテンは最後の生地層で止まって幸運だったと平然と言う。

「そらよっ と」
 引き摺ってきたスクゥトムが手荒に放り投げたハマンは、フライングチェアのひとつに頭をぶつけると地に転がる。
「ハマン・アマレキタール・ハンメダシャ。ユダヤ人の敵、最後のアマレク人よ」
 吐き出した血で下半分が赤黒く変色した襤褸布をスクゥトムが外す。
「時を超え、親衛隊員に身をやつし、我が子を捨て駒にしても、妃に復讐したかったか」
 見ただけで感染しそうな毒々しい表情で蠢き、呪いの呪文に聞こえる呻きと笑い声を漏らす。 
 その姿が角のないクランプスに見えたスクゥトムは、湧き上がる憎しみから足を振り上げた。
「これはアコニテンの痛みと知れ!」
 振り下ろした爪先がハマンの脇腹へ減り込むと、踵を振り上げ脚力の限り踏み潰す。
 チョークが砕け、焚きつけの小枝の束を踏み折る感覚を靴底で感じ取ったスクゥトムは、体を捩じりながら更に鮮血を吐き、薄気味悪い声を垂れ流すハマンを足で転がしうつ伏せにして、肩甲骨の間を靴底で押さえ付け、手にしていたロープを絞縄に形作る。強度と締まり具合を確かめて満足したスクゥトムは、遊具を吊る鎖から椅子を外すと絞縄をハマンの首へ掛けようとした。
「滅びるのは お前達とユダヤ人だ!」
 足裏の力が緩んだ隙に飛び起きると、四発銃撃され、肋骨も砕けた怪我人とは思えぬ動きで挑み掛かってきた。
「ステラ・フォン・シュルツ称するエステルを、この手で葬る事こそ我が宿命」
 格闘を経験した事のない者の動きと理解したスクゥトムだが、余りにも俊敏な身のこなしから手数多く殴打を繰り出すハマンに顔面の異常な発汗と瞳孔の拡散を認めた。更には恐怖と痛みへの耐性を発揮し、好戦的な行動を続けている。
「裏切り者ハルボナの生まれ変わりの貴様など、こうして  はがあぁ!」
「頼んでいないのに良く喋る。少しは黙れ」
 常人離れの原因に気付いたスクゥトムは人差し指と中指をハマンの両眼に突き刺す目潰しで背後を取ると、巻き付けた腕で首の両側面を強く締め込む。呻きと叫びを交え暫く暴れていたが動きが止まった。更に頸動脈を締め込み続けると腕にハマンの体重が掛かる。

「やっと静かになりやがった」
 腕から放せば糸の切れた操り人形の如くハマンが地に崩れた。
 危険な所持品を隠していないかと草臥(くたび)れたスーツのポケットを漁れば、シャツのポケットから容器がふたつ。
 アルミ容器を覆うラベルには『Pervitin(ペルビチン)』とある。金属キャップの透明ガラス管容器のラベルの商品名は『Eukodal(ユーコダル)』。
 向精神作用の覚醒剤と、効力はモルヒネの四倍とも言われる麻薬性鎮痛剤。両者の蓋を外すと錠剤が擦れた粉しか残っていない。
「死ぬのも覚悟で過剰摂取に頼ったか」
 覚醒剤と麻薬の同時摂取は、精神と神経系を致命的に混乱させて破壊し、身体の制御が不能となって命を失う恐れがある。
 上着の腰ポケットの不自然な膨らみに気付いて手を差し込めば、柄のない赤色キャップの卵型手榴弾が出てきて手が止まった。
 スクリューキャップが赤なら遅発時間は僅か一秒。強力な対物用は国防色の本体に「高威力爆発型」と印されている。
 軍の友人からの情報そのものの現物を手にしながら、燃料補給した駐車場でステラとアコニテン諸共手榴弾で自爆攻撃したかも知れない。こいつの意図を推測して冷や汗が噴き出した。
「そうかい、そうかい。ここまで覚悟しているなら、願い通りにしてやらないとな」
 それ以外の所持品は何もないのを確かめ、足の裏での丸太転がしを続けてフライングチェアまでハマンを運ぶと、首に絞縄を掛けて軽く食い込むまで引き絞る。縄の反対端はチェアを外した鎖に固縛(こばく)した。
 補修用具箱から失敬した丈夫な糸を隣のチェアに渡して結び、ハマンの上着のボタンホールを通して、捩じって外したスクリューキャップの点火索(てんかさく)と固く結ぶ。起爆細工を終えると手榴弾本体をハマンの上着の左内ポケットへ収める。そこへ補修用具箱から取り出した、『屋根板釘 長さ五センチメートル 五十本入り』と書かれた紙箱の中身を左内ポケットへ流し込むと内ポケットのフラップを留め、フロントボタンも全部掛けた。
 電源ケーブルを辿り、フライングチェアの操作盤にある開閉器を投入した。
 電圧計が四百ボルト近辺を指すと盤面の『上昇』ボタンを押す。
 椅子を吊る鎖と共に上昇する締縄が食い込む苦しさでハマンが意識を戻した。

【文中補足】
.32ACP弾 口径7.65mmの拳銃弾。自動式拳銃で多く使われる
ヴァルターPP 親衛隊正式の自動式拳銃で.32ACP弾を使う
Pervitin ペルビチン 覚醒剤
Eukodal ユーコダル 麻薬性鎮痛剤 いずれも当時は市販品。
 ※これらは現在では禁止薬物です。
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