第3話 1-2 お嬢様対突撃隊

文字数 1,885文字

「ケーゼシュペッツレが固まっちゃったでしょ! どうしてくれるのよ!」
 冷えたチーズで鳥の巣の如き塊となった麺をフォークで持ち上げ、口を尖らせ罵る。
「なんだぁ?」「んなの、知るかぁ!」
 反応に不満なステラは褐色の男達に視線を飛ばし、更に毒づく。
「こんなのがお前らの仕事なら、職探ししたほうが良いよ。まぁ、無理か、はははっ!」
「何だと、この女!」
 甘いものが苦手なハナの代用コーヒーと、ケーゼシュペッツレが皿ごと跳ねた。目の前のテーブルに両手を叩き付ける音が隊員達を焚き付けて過熱するが、彼らの一方的な興奮を横目に口角を吊り上げたステラが続ける。
「やっぱり突撃隊って、野蛮なのねぇ~」
「おい、女ぁ! もう一度言ってみろ!」
「やっぱり突撃隊って、野蛮なのねぇ~。きゃはは! あと何回言えば理解出来るかな?」
 柔らかな声を大きく発して尚も挑発するステラの目の前で、テーブル上の物が一斉に飛び上がるとガシャンと音を立て降ってきた。
 突撃隊員の野蛮な威圧、テーブルへの正拳突きが大音量を発した事も気にせず、小さく溜息を漏らすステラがバッグから取り出したのはドイツ国国章アドラーが表紙を飾るパスポート。
 身分事項ページの写真以外見えない様に掴むと男達の眼前に突き出す。仕舞っても尚一同が静まる光景から、見た事ないから仕方ないか、と前置きすると叫ぶ。
「あんたら、ドイツ国民に失礼でしょうが。早く帰りやがれ!」
「なんだてめぇ」「ワエザタ、止めるんだ」
 突沸(とっぷつ)した隊員達のリーダー格が、失礼しました、と一礼すると切り出す。
「いずれユダヤ人はこの街から追い出されます。貴女も巻き込まれたくなければこんな店に出入りしない事です。ドイツ国民の貴女にご迷惑でしょうから、今日の所はこれにて」
 慇懃無礼に一礼したその男が出口に向かうと、客達から吐き出させた小金を回収し、捨て台詞を残し、椅子を蹴り飛ばし、罵声を喚きながら突撃隊員達が店を去った。
「二度と来るな、牡豚ども! ブヒブヒ!」
 負けてなるものか、と大声で叫び返すステラの麗しい容姿からの悪態に年配の客たちは呆気に取られるが、やがて笑い出す。

 一九三一年三月初旬。
 ドイツ南部バーデン共和国首都カールスルーエ。
 店の窓の外には当て所なく漂う者、路上に蹲る者。その者達は老若男女問わず、ある者は草臥れたスーツにコート、ある者は作業服、ある者は襤褸布を纏う。
 世界恐慌から回復出来ぬまま毎年首相が代わる政治の不安定さに加え、前年九月十四日の国会議員選挙で、諸悪の根源たるベルサイユ条約破棄を訴えた国民社会主義ドイツ労働者党が百七議席を獲得し第二党に躍進した。
 これは条約反対の世論の表れと諸外国から解釈されて国際信用の低下を更に招き、外国資本の引き揚げが加速し続けた。その結果、企業倒産は多発し、一九三〇年末の国内失業者数は四百万人を超えた。
 継ぐだけの家督を持つ資産家の長男を別とすれば、まともな求職などない為、唯一門戸を開いている突撃隊に身を寄せ、威を借り驕傲(きょうごう)に振る舞う者が増えている。

「有機化学の研究者への道は順調なのね」
 戻ってきた長閑な雰囲気の中、ステラはハナと和やかにお喋りを続けている。
 大学の化学学部での勉強も、学友達との討論や語らいも楽しく、毎日充実しているとハナは言う。
 その笑顔に目を細めるステラは、ハナの表情に原因不明の不純物が混じっていると気付いたが、笑顔のまま相槌を打っている。
 幼稚園から高校卒業まで、二人は同じ学校に通っていた。心通わせ、悩みも喜びも苦しみも共有し、何も遠慮のいらぬ親密な関係、掛け替えのない親友、そう思っている。
「ねえ、ハナ。困った事や悩みはない?」
「えっ? ないよ」
 微かに縮こまる身体、少し大袈裟な表情と仕草、僅かに上擦る声。昔から変わっていない取り繕い方が表れたと見たステラは、一時間ほど走る車中でハナの住まいに立ち寄りたいと切り出したが、さもありそうな理由で遠回しに断られた。
 言葉数が減った車中の空気を重く感じていると、下宿する親戚宅の手前で停車を求められた。 
 一緒に降りたステラはハナの両手を握る。
「ハナ、困った事があったら、いつでも、何でも言って。電話でも手紙でも良いから」
「大丈夫、心配しないで。じゃあね!」
 手を振り、角を曲がって姿を消したハナを見送ったステラが乗り込んだ車は、ハイデルベルクからの帰路、連邦道B3号線方面ではなく、ハナが向かった方向へゆっくり進む。
 どこへ向かうか尋ねるよりも先に、ステラが感じていた違和感と不純物の正体が車窓越しに現れ、眼から脳へと突き刺さる。
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