第48話 4-12 『特別待遇』

文字数 1,980文字

国家保安本部 電報
発信 第六局B部四課 スイス駐在
『被災報告 無事
 第六局B部四課特命担当である監視者、パルシャンダタ・アマレキタール・ハンメダシャ親衛隊二等兵は、被監視者ハナ・リリエンタールの入院せる病院にて火災に会遇、被監視者の身柄を保護せんと業火へ飛び込みてこれを救出。車両にて親衛隊と懇意なる病院へ移送し保護中。
 被監視者は従前負いたる身体障害の他新たな怪我なし。処遇については、従前からの方針通り適切な時期に 特別待遇 を行うものである』

 テレックスのパンチング装置からテープで吐き出された電文をタイプ打ちした電報が、関係者宛周知として手元に届いた。子息の功績として知らされると、偶然の火災ではないと知るハマンは唇を歪め声もなく笑う。
 この作戦の前日、パルシャンダタから電話があった。親衛隊地方組織が実施を強く求める任務で無関係の者を殺す事になるかも知れないと躊躇う長男に言い聞かせた。
「ユダヤ女を攫い、あの女を誘き出す事だけ考えろ。相手は親衛隊名誉指導者の個人筆頭者の子女だ、失敗すれば良くてアインザッツグルッペ、悪ければ銃殺刑だ。卑劣と思われても、巻き添えが出ても誘き出して、供述書にサインさせればせれば良い。後は私がステラ・フォン・シュルツを『特別待遇』で夜と霧の様に消すが、面目は立つから安心しろ」

 呼ばれた大会議室の隅、柱の際に何も喋るなと厳命され座る兵卒ハマンは、将校揃いの中で場違いを感じながら周りに気付かれぬ様微動もせず、頭の中で予想を巡らす。
 この会議は外交官暗殺事件の裁判の進め方と、如何にして証人に協力させるかを議論する筈。この場で決まる対応の裏を行き、こいつらよりも早く、ステラ・フォン・シュルツを手に掛けないとならない。

「エルマー・エーベルハルト・フォム・ラッツェル故一等参事官を殺害した、ユダヤ人ハーシェ・フェイベル・グリンシュテインの裁判について、諸般の都合で開始が延期される公算が高くなっている」
 会議の冒頭、主催者である法務担当佐官が口を開くと、会場に漂うざわめきを静めんと咳払いひとつ、発言を続ける。
「従って、第三局E部から裁判への協力依頼を丁重に行った、フロイライン ステラ・フォン・シュルツ、即ち親衛隊名誉指導者ヘル フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュルツの御息女であらせられるお方の莫逆(ばくぎゃく)の御友人、但しユダヤ人ですが、ハナ・リリエンタールの扱いについて、他のユダヤ人と同じ処遇にあると知られた場合は、裁判再開時に協力頂けない恐れがある。これを防ぐ為、以下申し上げる対応と致したく、諸氏の意見をお聞かせ願う」
 佐官は対応を四点告げた。
 東方のゲットーを経由し工場へ配置。
 北欧系戦争捕虜と同様の労働と待遇。
 通信は手紙に限り良好な環境にあると発信させる。
 裁判での協力を得られ次第、絶滅収容所で『特別待遇』とする。
 静寂から相談の小声が生まれては消え、騒めきになりかけた頃合いで、親衛隊全国指導者個人幕僚部の将官が挙手と共に発言を求める声を響かせた。
「会議資料と貴殿の発言によれば、従前からの方針に則りいずれ『特別待遇』を行うとあるが、第四局B部四a課に申し上げる。幕僚部としては全体方針への異論は勿論ないが、次の様に対処を求めたい」
 全ての条件はユダヤ人を公表しない事。
 過酷なノルマの伴わない工場へ優等旅客にて移送。
 労働内容は本人が大学で履修した専門領域関連。
 待遇と生活環境はドイツ人と同様。
 手紙の検閲、電話の傍受はなし。
 裁判の判決確定後も暫くそのまま。
 適切な時期に特別待遇 “14f1” か “14f2” を実行。

 親衛隊の最高位ヒムラーの副官部署である親衛隊全国指導者個人幕僚部の発言。
 それはヒムラーの発言そのものと解する者が会場の全員であったので、異議なく議決されると関係各所宛通達が発せられた。

 部屋の隅、柱の陰で椅子に座るハマンの腿に添えた拳は筋立ち皮膚は張る。俯いた顔から上目遣いで個人幕僚部の将官を睨む彼など誰も気にせず次々退室すると風景と同化した彼以外誰もいなくなった。代りに入った清掃夫ですら気付かず、音もなく立ち上がったハマンの形相を見て、ひっ、と声を上げた。
(何がSonderbehandlung(ゾンダーベハンドルング)だ! 本当の特別優遇ではないか!)
 自身の企てを全て妨げる決定事項を直接聞き、腹の中が煮え繰り返るハマンはトイレのブースに籠る。両隣からの強烈な悪臭と放り出す(ひりだす)音に見舞われながら、両腕を虚空に伸ばすと両の掌で捉えた将官の首を絞り潰す。姿が弾け消えても治まらぬ憎しみのまま手に掛け続け、将官達を夢想で絞め殺した。

【文中補足】
14f1 自然死 
14f2 自殺または事故による死亡 いずれもナチスの隠語
Sonderbehandlung 直訳:特別待遇 処刑または殺害の婉曲的な用語
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