第74話 7-8 木に掛ける

文字数 2,410文字

「時間が掛かるのね。スクゥトムは何を、まさか拷問なんか」
「そんな事はしないですね」
 車を出口へ向け、運転席から答えるアコニテンは詮索(せんさく)させまいと惚けているが、スクゥトムは拷問などせず、聖絶(せいぜつ)、即ちこの世から抹殺して脅威を取り除くと予測している。
『聖絶』
 それは民族を成す人間全て、従属する家畜や物品、存在した史実、即ち痕跡全てを例外なく、地上から消し去れ、全てをなかった事にしろ、との神の命令。
 自分の不手際を人間に押し付ける神とやらの無責任に呆れるアコニテンだが、仕える者へ脅威を与える存在を、主人の手を汚す事なく、自ら犠牲になっても、排除するのが守護者の務めと心得ている。諜報に基づく防御と秘密工作を担うスクゥトムも同じなら、確実に行う筈だと。

「あぁ、いかん。手足(しば)るのを忘れた」
 イムコ・トリプレックス・スーパーでロスヘンドルに火を着けたスクゥトムは、苦笑いしながら紫煙を吐き出した。
 ペルシア帝国のユダヤ人絶滅を画策したアマレク人のハマン一家は、エステルの活躍で『木に掛ける』即ち、(はりつけ)の刑で全員滅んだ。
 スクゥトムの視線の先には、地上高くで両足を掻き、動かせる左手で首元の縄を外そうと暴れるハマンを称する男がいる。
「お前も生まれ変わりだったか。無様(ぶざま)だな」
 動くほど締縄が首に喰い込み、首の気道と動脈全てを塞ぐ。その結果、血流停止による酸素欠乏で脳が機能停止して死に至る。延髄が損傷すればその時点で運動機能は麻痺する。
「あぁ、ゆっくり上げたからか? いや、危ない薬の過剰摂取で無駄に元気なのか?」
 微風に紫煙を委ね、高みの見物を決め込んでいたスクゥトムは、フライングチェアの操作盤に向かいながら、首吊りハマンへ別れの挨拶を告げる。
「地上最後のアマレク人よ。五十キュビトの木に掛けられず不満だろうが、せめて高い所から散るが良い」
 操作盤で『回転』ボタンを押すと、バレエ組曲花のワルツの自動演奏が始まった。
 聖絶の仕上げに似合わないものだと苦笑すると、二人が待つ車へ走りながら吐き捨てた。
「土は土に、灰は灰に、塵は塵に」

「お待たせしました。急いで出るんだ」
「お嬢様、座席に凭れて掴まって」
 走ってきたスクゥトムを見てエンジンを掛けたアコニテンは、回転を始めたフライングチェアと彼の表情から、何か仕掛けて急ぎ脱出を求めていると判断した。
 ギアを一速に入れ、助手席のドアが閉まると同時にアクセルを踏み込むとクラッチを荒く繋ぐ。空転するタイヤが跳ね上げる砂利と土埃を残し、ギアを上げると車速を増してその場から遠ざかる。
「聖絶は完了ですか」
「もう間もなく聞こえると思う」
 アコニテンに答えたスクゥトムがドアのクランクレギュレーターを回して窓を開く。
「チャイコフスキーが微かに聞こえたけど、他に何が聞こえるの?」
 要らぬ事まで首を突っ込むのはどうにかならんかと、心の中で愚痴るスクゥトムは、お気になさらずに、とだけ告げて何をしたかは話さない。
 エンジン音、排気音、風切り音、タイヤが砂利を弾きフェンダーに当たる音、それらに交じって、遠くから爆発音が届いた。
 どこからの音か分からなかったステラも、流石にスクゥトムへ何をしたか問い質す。
 後頭部に銃口を突き付けた姿から殺意を感じ取っていたなら止む無しと納得したスクゥトムは、どの程度事実を告げるか考える。
 気に病み心の傷となるなら。太古のアマレク人との遺恨を覚えていないなら。それが今を生きるのに必須ではないなら。
「追えない様に全裸で柱に縛り付け、奴が隠していた手榴弾で衣類ごと車を爆破しました」
「そんな、酷い」
「『Auge um Auge, Zahn um Zahn.』御自身の首を確認下さい」
 スクゥトムが自分の首を指差して告げた通り、コンパクトを開いたステラは、首を絞められ赤く残る圧痕を確かめると黙った。
 運転を続けるアコニテンは、爆発音に振り向き目にした光景から何をしたか推し測る。
 宙を広範に染めた赤い霧は血液。遠くへ飛び去った多数の破片は衣服と肉片。落下していったのは頭の破片だろうか。人体を破片になるまで粉砕し、血の一滴まで霧と散らせた手法は分からない。 
 だが、スクゥトムは奴を粉々に粉砕し、地上最後のアマレク人を絶滅、即ち聖絶を成し遂げたのだと理解している。

「許して下さい など 言えません」
 ガラスが割れ、孔と凹凸だらけの車体に驚きながら、怪我はないか尋ねるマグフリート夫人アンゲラと相対したステラは、ありきたりの言葉しか告げられず骨箱を差し出した。
「お帰り、あんた。ご苦労様でした」
 項垂れ続けるステラにアンゲラは言う。
「強制収容所へ送られ、帰って来られないユダヤ人が大勢いるのに。主人を丁重に帰宅させてくださって、有難う御座います」
 気遣うアンゲラの脇で気丈に涙を堪える娘イルゼと息子エルンストが泣き始めれば、お父様が悲しむから泣くなと言い渡し、以降いつも通り働いていたアンゲラだったが、ステラは深夜に押し殺した泣き声を耳にした。
 自らも声を殺して泣きながら、自分の行いの浅はかさ、至らなさが何を齎したかを振り返り続け、眠る事なく朝を迎えた。
 スペインの別荘に戻ったステラは、これから自分が臨むと決めた事の許しを両親へ願い出たが、余りに危険と見做(みな)され、(つい)ぞ許される事はなかった。

 その後、平静を取り戻した頃、ステラは書き置きひとつ残して姿を消した。
 ヴィルヘルムの命で追ったスクゥトムはステラを捉えたが、悲劇に見舞われる。

【文中補足】
イムコ・トリプレックス・スーパー ライターの名称
ロスヘンドル タバコの名称
五十キュビト 約三十メートル 太古に敵対する者を磔にしようとハマンが建て、結局自分が磔された木の高さ。ペルシャの1キュビトは 52~64cm 肘から中指の先までの長さに由来
『Auge um Auge, Zahn um Zahn.』目には目を歯には歯を
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