第25話 3-2 探す相手は

文字数 1,770文字

十一月五日。
 今日も奇襲攻撃を浴びるのかと元気のないマグフリートと出掛ける矢先、フロントが預かるアコニテンからのメッセージが集合を告げる。
 作業服にメッセンジャーバッグを背負い、荷物配達員を装って現れたアコニテンは、軍警察関係者と面会して情報を得ると行方を聞き込み続けていた。
「ハーシェ・フェイベル・グリンシュテインの潜伏先とみられる叔父家族は、探偵の調査後に引っ越して、誰も転居先を知りません」
 失望を(もたら)して始まった情報共有の中には、二人の親密な関係を示す事例、それもハーシェがエルマーに詰め寄り、力に訴えるかも知れない重要な情報があった。曰く、
『ねだられて大変と訴えられて、聞けば、本気で好きになったのに、彼は便宜と金を無心するだけに変わったのと泣いていた』
「矢張りそうだったのか。 そうなりますよね」
 アコニテンが示す見解は、不法滞在者なら正規の出国と、どの国への入国も拒まれる。ハーシェにとってドイツ外交官は好都合の相手。渡航書入手や金の融通など便宜を求める格好の相手でしょう。もし拒まれたら八方塞がりになって、脅して強要する恐れもある、と告げて付け足す。
「ハーシェの境遇では取り得る策は限られていて、凶行に走る恐れも十分ありますね」

 一九三八年十一月六日。
「店を手伝った給金はどうしたんだよ!」
「約束も守らずサンチーム一枚も入れず、働かずに遊び歩くばかりの者を養って、相当持ち出している。金よこせと言える立場か?」
 寛大に財布を開き、困難に喘ぐ家族へ送金してくれる叔父への感謝の言葉を用意してハーシェは待っていた。帰宅するなり話を持ち掛ければ、期待に反して拒まれた。そんな筈ないと懇願を繰り返すが、首が横に振られるに従い身振り手振りは減って、ただ棒立ちになっている。
「仮に送金した所で、手に渡る保証はどこにもないんだぞ」
「だから俺が直接渡しに行くんだ」
「旅券もない、旅費もないお前がどうやって出来るのだ? 冷静になれ、ハーシェ」
 これから手に入れると言えば詮索されるので口に出来ぬまま、冷静に諭して拒む叔父にハーシェは尚も食い下がったが、譲歩の気配は見られない。
「どうしても金を送れないと言うのか!」
「そうだ。自分の稼ぎから送るのが道理だ」
 睨み据えて正論を放ち、譲歩しない叔父の本気を悟り、埒が明かないと分かった。
 自信満々だった計画の瓦解を勘付き、反論出来ない苛立ちが怒りとして自分へ向かう。
 粗末なダイニングテーブルを引繰り返し、暴言を撒き散らし、手当たり次第に物を投げる。椅子を蹴り飛ばし、叔父に背を向け部屋から出ようとした。
「出ていけ! 二度と戻ってくるな!」
「誰が戻るか、ブタ野郎!」
 睨み付け、罵声を浴びせ、あるだけ全ての現金を財布に突っ込み、玄関の扉を蹴破る勢いで閉めて走り去る。

 雑然として狭い路地を怒りを燃料とする蒸気機関車の如く進むハーシェは、行きつけの店へ向かう地下鉄の車内で気付いた。
 送金を肩代わりして貰えるかも知れないから、エルマーの機嫌を損ねては駄目だと。
 避けられているのか最近会う回数が減り、会えばなぜか別れ話を切り出されるが、渡航書と金を渡してくれるまで関係は切れない。
 怒りが鎮まった顔を車窓に見たハーシェはいつもの駅の手前で下車すると地上に出た。
 コートの裾を翻らせ、襟元から忍び込む寒風が体温を奪う。前合わせを絞り歩くフォーブル・サン・マルタン街のショーケースに目が留まった。
 紙袋で渡されたのは、安物の回転式拳銃と封筒に入ったバラの弾五発。
 凡庸な見た目のホテルに投宿するとドアに施錠し、姿見の前で拳銃に弾を込めず何度も空撃ちする。叔父の営む仕立屋に注文して取りに来ない商品からサイズの合う物を持ち出したスーツとコート姿。
 映画の主人公に成り切り、華麗に拳銃を抜いては引金を引く練習を繰り返しては妄想に耽る。
 エルマーは渡航書と金を渡してくれる。駄目なら脅しに使うこの銃は、ポーランド国境への道行きと、家族を救う為の護身具でもある。万一の為、弾の無駄遣いは駄目だ。
 日付が変わろうとしている時計を見れば自分に言い聞かせてベッドに滑り込む。
「Tout va bien」

【文中補足】
サンチーム 硬貨 フランスフランの補助通貨(ドルで言うセント)
Tout Va Bien きっとうまくいくさ
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