第5話 母の無茶振りと納棺式

文字数 1,142文字

 父が亡くなった翌日、私がたいして泣いていないことが面白くなかったのであろう、母が言い放った。

「今から1人1人順番にお父さんの前で手を合わせ、今までの感謝の気持ちを言ってもらう」

 ……そんなにお涙頂戴のベタなドラマがしたいのかね。公開処刑? 勘弁してよ。これってなにハラスメント?
私は来たボールを即座に打ち返した。
「私は誰もいないとき、お父さんに感謝の気持ちを伝えた。私はもう済んでいる」
「あ、そうかい」
母の提案した催し物は企画段階で終了した。

 それは本当だった。私はたまたま周囲に誰もいなくなったときを見計らって、父の遺体に向かって拝みながら呟いた。

 今までいろいろあったけど、私は生まれてきてよかったと思っている。今、とても楽しんでいる。生んでくれてありがとう、みたいな人前じゃ言えない恥ずかしいことを。

 もし、母の提案を順番にしたとしたら、大喜利みたくなるのかな。
誰が一番いいエピソードトークができるのか。でも結局涙の量が多い人が優勝だろう。
……今にして思えば、適当なテンプレを神妙な顔で言っておいて、あとはみんながどんなことを言うのかを聞いた方がこのエッセイのネタができたのかもしれない。惜しいことをしたかも。そのときはまさかこの題材でエッセイを書くとは思っていなかった。


 ……しかし、どうにも泣けないな。
亡くなった当日にたいして泣けなかったのだから、私にはもうチャンスはないのかもしれない。私だけがずっと、父にお小遣いをあげていたんだけどなー。

 ところで、父の霊はまだ近くにいるんだよね。私には霊感は無いのでこんなことあまり言いたくはないのだが、ずっとその気配は感じている。
介護士さん達も「まだいらっしゃいますからね」と釘を刺すように言っていたっけ。
父はかなりの照れ屋さんだった。かしこまってエピソードトークなんてされたら、落ち着かないと思うよ。


**************


 16日の夕方は納棺式(のうかんしき)だった。
告別式の朝では慌ただしくなってしまうため、前日に納棺式を済ませることにしたのだ。

 妹は(ひつぎ)に入れる父への手紙を書いてきていた。やるな。
「もう色々思い出してね、わんわん泣きながら書いたよ」
「偉いね、さすがだなー」
妹は明るく素直で面白いので、私は昔から大好き。
葬儀屋さんのリードで死装束(しにしょうぞく)を整え、妹は頭陀袋(ずだぶくろ)の中に手紙を入れた。

 父は生前病気のせいかむくんでいたが、亡くなる1週間前は食べられなくなっていたため、ほっそりとしていた。
元から端正な顔立ちの父であった。安らかな顔に私は思わず「イケメンだな」と呟くと、妹は「ほんと、お母さんは面食いだよね」と。


 棺を乗せた葬儀屋の車に母が乗り、その後を2台の車で火葬場に向かった。
年の瀬の夕暮れ時、コロナ禍とはいえかなり道は混んでいた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み