第24話 税理士とご対面~未登記とか、ユマニチュードとか~

文字数 2,421文字

 母から電話があった。
「明日の土曜日の3時頃、先生が来るって。あんたも一緒に話聞いてくれる?」
「もちろん!」

 デカい車に乗って税理士の先生がやって来た。先生もデカかった。
「先生、先日は電話で失礼しました、よろしくお願いします」
先生は、
「いや、今年は確定申告が4月15日までだったんで、お待たせしてすみませんでした」
とにこやかに笑った。


「令和2年の路線価を元に評価しました。相続する財産は不動産と預金など合計してだいたい3,300万。相続税がかかるのは、5,400万円以上なので、税金はかかりません。申告は必要無しということで」
先生の言葉に、「よかったね~」と同席していた母とお嫁さんが笑顔を交わしている。

「故人が生前に書かれていた通りの相続でよろしいですか?」
「はい」母がやや緊張して答える。

「それから、手続きが全部終わった後に、定期預金や生命保険が見つかった、なんてことがよくあるのです。それは『その他の財産』と記載するのですが、受取人は誰にしますか?」
私は「それは母でいいです」と伝え、母も満足げに頷いた。

私はふと、
「もしかして後からものすごい財産が見つかって、法定相続人が分割するって書いておけばよかったな~とか思ったりして」
と軽口を叩くと、母は「財産はこれしか無いから」とピシャッと言い放った。その自信がかえって心配なんだよ。

 それから先生は、母が1月に渡しておいた『令和2年度の固定資産税・都市計画税納税通知書』を見ながら確認していった。

「実家の建物もご夫婦の共有名義ですね。それをご長男が故人の分を相続ですね?」
「はい」母が答えた。
先生は付箋(ふせん)にメモを書いて貼り付けていく。私は念のため口を(はさ)んだ。
「先生、妹の自宅の建物も父と母の共有名義になっています」
妹夫婦は収入が低いからという理由で、両親が自宅を建ててあげている。

先生は首をかしげた。
「その記載が出てこないのですよ。新しい納税通知書ありますか?」
え? 

私は母に「4月に、新しい納税通知書がきたよね? それ、あるかな?」
ゆっくりやさしく尋ねた。慎重に。

 私は最近「認知症や高齢者にはユマニチュードという手法が人気」という記述を読んだのだ。(私の母は認知症ではないのですが)
ユマニチュードとは、とにかく「当事者の尊厳を尊重する」というルール。尊厳が傷つけられると認知症などの症状が悪化するらしい。

気をつけて、ゆっくり、穏やかに、話すんだ!

母は「ああ、確かきていたわ」とあらゆる引き出しを開けて、お目当ての封筒を探し出した。
私と先生で中身を確認する。あった。

 妹の自宅建物に『未登記』の記載。
(税金は抜かりなく、口座引き落としになっていました)


 これはまず、妹の自宅建物の表題登記(建物の登記のこと)が完了してからの相続登記になるので、ちょっと時間がかかりそうです。

母が「未登記なんて、そんなこと知らないよ、全然覚えていない」と繰り返す。「誰のせいなの?」となぜか私をジッと見つめる。私のせいではありません。
こんな風に日本全国には、未登記の建物が散らばっているのでしょうか。

「大丈夫だよ、税金はちゃんと払っているから、問題ないし。今回全部まとめて、登記しちゃえばいいんだし」
私はゆっくり、明るく話した。
「そうか、そうだね、そうだよね」
ザワザワした母の感情が落ち着いたようだ。
私のユマニチュードの手法はどうですか、こんな風でいいのでしょうか。

先生は1週間後くらいに『遺産分割協議書』を作って持ってくると言い、帰って行った。


**********


 お嫁さんも自室に戻り母と私の2人だけになると、きまって母は、私の夫が金を使い過ぎているのではないか、うちのお父さんは全部私に預けてくれたよ、というような話をする。
母は心配しているのではなく、単にこの話が好きみたいだ。ラブラブでよかったですね。

「お父さんは欲が無かったからね」といつもの定型文で返すと母は大きく頷き、
「お父さんは最後に『おまえには苦労かけたな』と言ってくれた」と泣き出す。4か月経った今でも。
少し泣けば母はすっきりとした顔をする。私はそれを見て「私、親孝行してんなー」と感じて、ノルマを果たしたような気分で帰れるのだ。やれやれ。


 家族関係、何幕目かわからないけど、これが今の台本です。
アドリブは場を凍りつかせることがあるので、気をつけて。
お互い感情をぶつけ合って感動的なエンディングなんて、創作物の中の話だよ。無理でしょ。現実でやったら大事故だよ。
……それに感情が涸れ井戸のようだし。なにもほとばしらない。涙も出ませんよ。


 現実で私は、声の大きい人にはかなわないといつも思う。
実際に声を出す以外にも、不機嫌さや嫌悪をアピールして、”場”をコントロールしようとする人にはうんざりしますね。その全能感、羨ましい限り。
先に泣いたり怒ったりする人が有利みたいなので、感情がスロースターターな私は、いつも負けている感が否めないです。

私は”大きな声”、”アピール”が不得意です。だからこうして”書いて”いるのかもしれない。
別の水脈を探し当てるために。


【ここからは余談です】

 愛情があっても手法を間違えたらいけないのだ。

 いくら「愛情があった」と言われても、その表現、手法が未熟では、害悪にしかならない場合が多々あると思いませんか? 
そして「愛情があった」と言えばなんでも通ると思ったら、大間違いですよね。そんな例を私達はたくさん見聞きしているはずです。

無償の愛が”呪い”に変わる瞬間に、みなさんは立ち会ったことがありますよね?


『愛は負けても親切は勝つ』

私の好きな言葉です。
カート・ヴォネガットの名言(実際はファンレターにあった言葉らしい)です。
『愛は消えても親切は残る』とも訳されます。

愛は難しい。
(きら)びやかな張りぼての裏には、”支配”や”依存”、”呪い”が(うごめ)く。

それよりも形式上でいいから、ささやかな親切で、人は互いに救われると思うのだ。



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