第21話 コロナ以前の回顧録① 義父の葬儀

文字数 1,699文字

 「税理士から連絡はまだないよ」

 母は目が合うと、私が聞くより先に答えた。
「そうか~。ちょっとどうなっているのか、税理士に電話して聞いてみてもいい?」
すると母は慌てて、
「ダメ! そんな催促がましいこと。先生は今、確定申告で忙しいんだから。先生を(わずら)わせるようなことだけはするんじゃないよ!」

釘をさされてしまった。私らだってお客さんなのに。
「だってさ、印鑑証明書の有効期限が切れちゃうよ」
「半年くらい大丈夫なんでしょ?」
「違う違う、3か月だよ」
「そんなの何回でも取り直せばいいじゃない」
……まあ、そうなんだけどさ。

そんなわけで、手続きが間延びしたままなので、ちょっとだけシリアスな回顧録を少々。


***************


 たまに登場する能天気な夫だが、実は私達夫婦は一度離婚して復縁(ふくえん)している。
その間私は一人息子を連れて、実家に出戻りしていた。

 葬儀と相続を淡々とドライに語っていくつもりだったこのエッセイ、終盤に来て自分でも思わぬカミングアウトだ。
私はこのエッセイは、なるべく客観的に綴りたいと思っている。感情を吐露するのが下手くそというのもあるが。私の場合、感情に囚われると、いつの間にか『信用ならない語り手』として胡散臭いフィクションになってしまいそうだから。

 それはそうとして、今まで片鱗も見せなかった息子が、いきなり登場してすみません。

 実を言うと、私と父が仲良くなったのは、息子の存在が大きい。
父は息子がいたくお気に召して、それに連動して私の株も上昇したようなものなのだ。人間関係の劇的な化学反応。


***************


 6年くらい前だったか、私と息子は夫の実家に出向き、復縁の挨拶をした。
そしてそのあとすぐに、義父は病死した。私達は間に合ったのだ。

義父はすでに膵臓ガンの末期だった。あのとき、背中の激痛を堪え笑顔を見せてくれた。
翌週、息子は修学旅行先の京都で『健康祈願』のお守りを買ってきた。義父へのお土産として。

それは、ほんの少し、間に合わなかった。

 義父は教員を定年退職後、個人塾を営んでいた。かつての教え子、生徒さん親御さん達含め、参列者は300人を超えていたように思う。コロナ以前のスタンダードな葬儀。

 告別式の日、「髪をセットして行け」との母の指示で、私は美容室で髪を編み込んでもらった。自分ではできない不器用な人間なのです。
母の指示の意図は「田舎の人の目は厳しい。好奇な目で見られるだろうから身なりはきちんとして行け」というものだった。
私が長男の元妻だと、他人は気がつかないだろうと思ったけど、鈍感な私にはないセンサーが他人にはあるのかもしれない。

 6月の蒸す暑い日、私と息子は45分ほどバスに揺られ、葬祭ホールに着いた。
告別式の間、夫の姉がずっとさめざめと泣いていて、葬式に華を添えていた。”華”という言い方は顰蹙を買うかもしれないが、義姉は美形なのだ。
あどけなかった姪っ子(義姉の娘)も、えらい美人さんになっていた。


 私達はまだ入籍していなかったので、息子と二人、一般席の後方に座った。

 息子はこれまた義父からも、とても愛されていた。
夫がずっと復縁を望んでいたのは、義父からの圧力があったのではないかと思っている。
義父にとって息子(義父からすると孫)は特別だった。大切な跡取り。しかも自分の資質を一番強く受け継いでいる理系の孫。

(私が脳内で創作しているわけではありません。実際にそういう言動がありました)
(婚姻中も同居はしなかったので、義父の中で息子は美化されているのかもしれません)


 そして告別式の間、息子は祭壇を見つめ憮然(ぶぜん)としていた。
自分はお祖父ちゃんにとって特別な存在なのに、一般の生徒達と一緒に十把一絡(じゅっぱひとから)げにされている。
お土産のお守りをお祖父ちゃんの棺に入れたいのに、あんなに遠い。

(息子の脳内を勝手に翻訳しました。息子は語彙力が残念なタイプです)
(お守りは夫経由で、棺に入れてもらいました)

(息子の話でもう一つ。今回相続で戸籍謄本をとってみたところ、まるで私の連れ子のような記載になっていました。息子が婚姻する時には、相手方へ説明が必要かもしれません)

 
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