第22話 コロナ以前の回顧録② 義母の葬儀

文字数 1,643文字

 3月20日(土)春分の日は、初彼岸で実家に行ってきました。

 前もって母から電話で言われていたのは、
「あんたと○○(妹)はいつも食べ終わったらサッサと帰るけど、20日は親戚も来るんだからみんなが帰るまで居なさいよ」
コロナだから2時間以上の会食は控えなければいけないんだけどな。

私は実家に来て早々に妹にそれを伝えた。妹は、
「ええ~? 初盆期間は居なくちゃいけないと今から腹くくっているけど、今日もなの~?」

「そう、今日も親孝行プレイの日と割り切るしかないよ、頑張ろう」
頑張ろうというのは、一緒に頑張ろうという意味です。抜け駆けして自分だけ先に帰るなんて許さないよ。

 結局、妹は耐えきれずに先に帰りました。そしてその30分後に私もフェードアウト。
だって母と親戚の年寄り達は、すぐタイムリープしては昔話を臨場感たっぷりに再現し、最後に「今はコロナだからね~」と()める、それをエンドレスリピート。
新型コロナウイルス感染防止3原則をどこかに置き忘れている。

 なにもしないけど、ただ居るだけで疲れました。実家が一番落ち着かないですね。
では回顧録をはじめます。


***************


 夫の母親、私にとって義母は2年前に亡くなった。

 義母の葬儀は桜の舞う4月だった。
復縁済みだったので長男の嫁として登場させてもらったが、義父の葬式ではいなかったはずの長男の妻と息子、一部の参列客からしたら「?」だったかもしれない。参列者200人くらいの葬式だったか。
長男の嫁は大変と聞く。田舎の場合はなおさら。
私の場合“復縁”なので、周囲からやや腫れ物扱いされ気をつかわれているので、楽ちんである。


 話は変わって、恋愛運、仕事運、結婚運、金運などはよく聞くが、同様に『義母運』というものもあると思っている。家族運、結婚運にも重なるのだが、女性にとっては意外と影響力が強いのではないかと。

思い返すと、私は非常に『義母運』に恵まれた。
100点満点で換算すると、恋愛運は赤点で義母運は96点といったところか。4点はマークミスです。

 私は初めて義母と会ったとき、「ああ、私はここで運をつかったな」と思った。
義母は控え目で穏やかそうに見えた。見えた、というのは、義母はまったく干渉してこなかったので表面的な部分しかわからないのだ。
義母はなにも言わなかったが、苦労人であることは伝わってきた。

「気にかけてくれた」「援助してくれた」というのも素晴らしいと思うが、義母というポジションの女性が、嫁に「干渉してこない」ということの稀有(けう)なありがたさが皆さまに伝わるだろうか。
とにかく面倒くさくないのですよ。冷たいというのではなく、おっとりと一歩引いている。最初会ったときから、そのスタンスはずっと変わらなかった。

 例えば母の日や誕生日に、ちょっとしたバッグやストールなどをプレゼントすると、
「もう気を遣わないでいいからね」
と恐縮しまくるような人だった。
そのせいでたいした思い出はないのだが、『君子の交わりは淡きこと水の如し』ですから。
復縁したときも、微笑んで(うなづ)いてくれた義母。

 義母は最後までひっそりと、誰にも迷惑をかけずに亡くなっていた。突然死だった。
そんなところも義母らしかった。
誰もが死に方を選べないというのに、あっさりと、そして多分それほど苦しまずに逝ってしまった。


 離婚は、そのとき考え得る最適解と決断したことなので、後悔はしていない。
が、自分へのダメージと同様に、周囲に対し心労を与えたという自覚はある。
そんな訳で、四十九日の法要の話で呟いたが、お経で『凡夫』と聞くと感慨深くなるのだ。

 『凡夫』の私達は生きていく中で、意図せずとも、人を傷つけてしまうことを避けては通れない。”決断する”ということはそういうことだ。
もちろん、人から傷つけられることも多々ある。
人と傷つけ合うのが嫌だったら山にでも籠もるしかないと思うけど、それじゃあ修行にならないだろうな、こうやって修行していくしかないんだよな。
そんな感慨になるのだ。

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