第6話 告別式と父への手紙

文字数 1,350文字

 10時から告別式だった。私と夫は9時に火葬場に着いた。

 リーズナブルな家族葬にしては供花(きょうか)も多く立派な祭壇に見えた。
お坊さんが到着し、お経を上げる。
告別式と初七日合わせてであったので、30分程お経が続いた。長い。亡くなった途端にお経の意味がわかるようになったりするのかな。……彼岸へ渡るBGMか。
お焼香を済ませ、棺に供花を入れる段になった。百合と菊の香り。

 火葬炉に棺が入っていくのを見送ってから、全員で控え室に移動した。
母が怪訝そうに言った。
「お坊さんはお父さんの人となりを話さなかったね。生前どういう仕事をしてきたかとか、普通話すよね」
葬式のエキスパートである夫が答えた。
「お通夜をやらなかったからですよ。そういう法話(ほうわ)はお通夜の時にやるものなので」
「そうか」とみんなで納得した。

 火葬終了は12時50分の予定である。
トイレに行った帰り、ちょっとした一角に火葬場のパソコンを見つけた。
この火葬場のホームページが表示されている。『天国への手紙』?
故人への手紙を打ち込むと、ここでおたき上げをしてくれるとあった。妹が手紙を書いたのだから私も書いてみるかと椅子に座った。


 お父さんへ 
今までありがとう。若い頃は喧嘩ばかりしていたよね。
でも私が就職したら、とても喜んで自慢に思ってくれたね。
いろいろあったけど、今とても楽しいんだ。
生まれてきてよかったって心から思っている。

と、そこまで書いたところでグッときたけど、なにもそうまでして泣かなくても、とか、泣くのがノルマか、とか、小説を投稿しているくせになんだこの陳腐なありきたりな表現は、とか思ってまた醒めてしまった。

 それと10代の思い出が蘇ってきて……


 10代の頃、父は私が嫌いであった。
その醒めた目が気に入らないとよく言われた。
いつも順位を発表された。一番可愛いのは兄で、2番目は妹、おまえは一番可愛くないとのことだった。そうですか。

 まあ、実際に目つきが悪く得体がしれなかったのだろう。
私は中学までは中の上くらいの成績だったが、高校に上がるとまったく勉強ができなくなってしまい、いつもマンガばかり読んでいたし。自分はバカだというコンプレックスはこの時から引きずっている。
扶養家族のくせにとも言われていたので、早く稼げるようになって見返してやると誓った。

 当時は最高にイライラした父の無神経な言葉は、今思うとプラスに働いている。

 とにかく勤めだけは継続しなければと思ったり、自分だけは自分を(いたわ)ってあげなければという心持ちになったり、他人の評価なんて気にしなくていいと決めたりして、自分が生きやすくなるよう舵取(かじと)りをしてきた。

 合言葉は「大丈夫、大丈夫、よくやっていると思うよ私、安心して」
(あくまで自分基準です。毎日生活を営んでいればOKとしています)
(勤めが継続できているのは、たまたまです)
(これを読んでいる皆さんは、きっと私なんかよりきちんとしていると思います。もっともっと自分を(いたわ)ってください)


 今では妹に言わせると、
「お父さんはお姉ちゃんが一番好きだよね」
いつの間にか、父は私が大好きになっていたらしい。

 昔を思い出すのはこれでお終い。私はいつでも今が大好き。
振り返らないから反省もしなくて迂闊(うかつ)粗忽(そこつ)な失敗をするけど、私は今だけを見ていくんだ。

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