第14話「大学受験」

文字数 2,096文字

 2月になった。月末には大学入試がある。僕はとりあえず学校で言われた通りの対策はしてきたし、あとは本番を迎えるだけだ。

 受験の前日、彼女からメッセージが届いていた。
「明日はお互い頑張ろうね。」
 振り返ってみると7ヶ月ぶりのメッセージだった。前回のやり取りはデート(と言っていいのだろうか)の待ち合わせについてだった。僕は少しだけその日のことを思い出した。
「頑張ろう。君ならきっと大丈夫だよ。」

 受験当日になり、僕は2つ隣の駅にある大学に向かった。試験が始まる前は緊張したが、彼女と待ち合わせした時の緊張に比べれば大したことはない。
 僕が受験するのは心理学部のため、試験内容は小論文のみだった。
 僕は人の気持ちには共感できないが、心の仕組みを物理学のように理解することは得意なので、"いいこと"を上手に書き連ねた。

 試験が終わり、答案用紙を教授が回収し終えると解散になった。
 帰りに大学のキャンパスを見回しながら歩いていると、中庭の陰に隠れている寂れたベンチの上で、野良猫がぼんやり座っているのを見つけた。なぜか僕は彼女のことを考えながら帰宅した。

 試験の後、僕と彼女はお互いメッセージを送らなかった。僕らは既に卒業しており、2週間後の合格発表までは学校に行く必要もなかったため、いつものように退屈な日常を過ごした。

 合格発表の日。11時に大学のホームページで結果が出されるのだが、両親は1時間前から猫カフェで使っているパソコンを開いて待機していた。インターネットで合格発表というのも不思議なものだが、世の中が便利になるというのはそういうことなのだろう。
 すでに猫カフェは開店しているので、両親は緊張しながら働いていた。僕も少し店を手伝った。

 合格発表の時間。母は目を瞑って祈るように手を合わせ、父がIDとパスワードを入力して合格発表のページを開いた。結果は合格だった。
 両親は抱き合って喜び、僕の頭を撫でた。母の目には涙が浮かんでいた。騒ぐ両親を見た客は驚き、店の猫達も驚いて鳴いたり、歩きまわったり、野次馬のようにこちらを眺めたりと、それぞれの反応を示していた。

「あなたが笑っているのを久しぶりに見た気がするわ。」
 母はそう言って僕の頬をつついた。この癖は彼女と母の共通点らしい。

 それにしても、僕は久しぶりに笑っていたらしい。

 ひと通り両親から合格を称えられると、僕は結果を報告するため学校に向かった。教室に入ると、彼女はいつも通り周りを囲まれていた。同級生の合格を一緒に喜んだり、落ちた人を慰めたりと、丁寧に対応していた。
 僕は職員室に行き、担任の教師に合格したことを報告した。それから教室に戻ると人だかりは消えており、こちらに気づいた彼女は僕の顔を不安そうに覗き込みながら恐る恐る近づいてきた。
「どうだった?」
「合格だったよ。」
 彼女は一気に満面の笑みになった。
「おめでとう。私も合格だったわ。」
「良かった。」

「ねえ、一緒に帰らない?」
「そうしよう。」
 僕らは自動販売機でお決まりの飲み物を買って、あの公園に行った。それからベンチに並んで座り、2人で ぼんやりと世界を眺めた。僕は隣に座っている彼女の手を握りたかったが、できなかった。あの日はできたのに。

 彼女は儚げな表情で公園を見回した。
「この公園にも来なくなっちゃうのかな。」
「そうなるね。」
「なんだか寂しくなるわ。」
 それから彼女は後ろにある木を指さした。
「あれって椿かしら。」
「多分そうだね。」
「綺麗ね。花言葉は何だったかしら。」
「“控えめな優しさ”だったような。」
「なるほど。あなた花に詳しいのね。」
「母が花好きだからね。花言葉の日めくりカレンダーがリビングに置かれてるんだ。」
「素敵じゃない。」
 彼女は自分の足元を眺めていた。
「ご両親は元気?」
「うん。変わりないよ。」
「良かったわ。あなたの猫カフェにも行きたいんだけどね。あれだけ可愛がってもらったのに行かなくなったことが申し訳なくて、腰が上がらなかったのよ。」
「まあ、気が向いたらまた来なよ。」
「ありがとう。大学に入って落ち着いたら、またこうやって散歩したりしましょう?」
「そうだね。楽しみにしておくよ。」
 彼女は ゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ帰りましょうか。」
「そうだね。」
 もう少し一緒にいようとは言えなかった。

 始まりと終わり。出会いと別れ。僕はそんなことを考えながら彼女の隣を歩いた。

 バス停に着いた。もうすぐバスがやって来る。何かを言わなければ。
「大学でもお互い頑張りましょう?」
「そうだね。」
 バスがやって来た。
「向こうでの事とか、また連絡するわ。」
「僕もそうするよ。」
 ドアが開く。
「それじゃ、またね。」

「元気でね。」

 また恋愛ドラマみたいなやりとりをしてしまった。
 彼女はバスに乗り込み、一番後ろの席に座った。いつもの笑顔で小さく手を振り、僕も手を振り返した。自分はどんな表情だったのだろうか。
 遠ざかるバスの背中をいつまでも目で追った。バスが見えなくなってからも、そのまま同じ方向を見つめた。

 二度と彼女に会えないかもしれない。

 そんな気がした。
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