第21話「すっきりした朝」

文字数 2,295文字

 水の流れる音で僕は目覚めた。

「おはよう。起こしちゃったかしら?」
 彼女は台所で皿を洗いながら僕の方に顔を向けた。
「いいんだ。幸せな目覚めだったよ。」
「それなら良かったわ。」
 そう言って彼女は小さく笑いながら皿洗いを続けた。初めて見る笑顔だったが、とにかく彼女は今日も素敵だった。
 目が覚めると彼女が家にいる。これが夢でないことを願った。
「僕も何か手伝うよ。」
「ありがとう。それじゃあ服とかをまとめて、洗濯機を回してくれない?」
 僕は床に散乱している服やタオルをひと通り見回した。
「下着とかもあるけど平気?」
「今さら何言ってるのよ。」
 彼女は照れながら笑って皿洗いを続けた。僕は足元にある大量の衣類を2回に分けて洗濯した。

 片付けがひと段落した僕らはソファーに座って水を飲んだ。
「そうだ、犬の散歩に行きましょう?」
「そうしようか。」
 彼女達がいつも散歩しているお決まりコースを歩き始めた。川沿いの道、それから自然に囲まれた大きな公園。
 僕がリードを持たせてもらったが、犬は素直にいつも通り歩いてくれた。住宅街を歩いていると、同じく柴犬の散歩をしているおばさんと はち会わせた。とうやら顔なじみの散歩仲間らしく、彼女が声をかけた。
「おはようございます。」
「おはよう。今日は彼氏さんと一緒なのね。」
 おばさんは冷やかすように言った。
「あ、いや、えっと。」
 2人で顔を赤らめて下を向き、もごもごしていた。僕は何も言えなかった。
 お互いの犬はじゃれ合っていたが、おばさんはリードを引っ張って立ち去りながら言った。
「ほら、邪魔しちゃ悪いから行くわよ。またね。」
 そんな風にして定期ルートを巡回したところで、僕らは散歩を終えた。

 ほどよく疲れて家に戻ってきた僕らは、ソファーに座って一息ついた。犬も散歩に満足したようで、部屋の中にある小屋で休んでいた。
「コーヒーでも飲む?」
「いただこうかな。」
 彼女は電気ケトルでお湯を沸かして2人分のコーヒーを入れると、ソファーの前にあるローテーブルの上に運んで来た。それから僕らは他愛もない話をしながらゆっくりと過ごした。

 彼女は灰皿の中に、口紅の付いていない長い吸い殻を見つけた。
「ねえ、私のタバコ吸ったでしょう?」
 彼女は僕の顔を覗き込み、からかうように微笑んだ。
「ごめん。」
「いいのよ。」
 そう言って彼女は僕の頬をつつき、吸っていたタバコをそのまま僕の口に咥えさせた。
 僕らがタバコを吸い終わったところで、彼女は持っていたコーヒーのマグカップを机に置いて僕の方を向いた。
「ねえ。」
 振り向くと、彼女は僕に短い口づけをした。どちらから誘うでもなく自然と僕らはベットに行き、落ち着いて丁寧に愛し合った。
 その後、また並んで横になっていると、彼女の真似をして僕もタバコを吸ってみた。それから2人とも黙って吸い終わると、いつの間にか彼女は僕の腕に顔をうずめて眠っていた。ゆっくりと呼吸しながら揺れる彼女の寝顔を見ているうちに僕も眠っていた。

 先に目覚めた僕は、隣ですやすやと眠っている彼女の顔を眺めていた。彼女は僕の方に体を向け、赤ん坊のように安心した表情で目を瞑っていた。その寝顔があまりに愛おしかったので思わず頬を触ってみると、彼女はクスリと笑った。
「ごめん。起こしちゃったかな。」
「いいのよ。幸せな目覚めだったわ。」
 僕らは体を起こし、一緒に伸びをした。
「お腹空いてない?」
「空いてる。」
「何か作るわ。」
「僕も手伝うよ。」
「いいのよ。座ってて。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
 彼女は台所に行き、料理を始めた。僕はソファーに腰かけて、綺麗になった彼女の部屋を眺めたり、ボールを投げて柴犬と遊んだりしながら料理の完成を待った。

 しばらく待っていると料理ができたらしく、2枚の皿を不安そうに両手で抱えながら彼女がやって来た。メニューはオムライスだった。
「お待たせ。」
「美味しそうだね。」
「さあ食べましょう。」
 彼女の手作りオムライスは庶民的で優しく、おふくろの味という印象を受けた。
「すごく美味しいよ。」
「良かった。」
 彼女は安心したように微笑みながらオムライスを口に運んだ。やはり彼女は幸せそうにご飯を食べる。

「そんなに見られたら恥ずかしいじゃない。」
 そう言って彼女は僕の頬をつついた。そんなやり取りをしていると、僕は高校生の時に彼女と行った喫茶店を思い出した。

 彼女はコップの水を一口飲んでから言った。
「高校の時、2人で駅前の喫茶店に行ったのを覚えてる?」
「ちょうど今、そのことを考えてたんだ。」
「そこで食べたオムライスがずっと心に残っていてね、何とかあの味に近づけようと試行錯誤したのよ。」
「どうりで懐かしい味だと思ったんだ。」
「それでね、これを食べる度にあなたのことを思い出していたの。」
 彼女は再びオムライスを食べ始めた。それからは2人とも思い出に浸るように黙って食事した。

「ごちそうさま。本当に美味しかったよ。」
「お粗末様でした。」
 彼女は食器を台所に持って行き、2人分のコーヒーを持って戻ってきた。
「飲むでしょう?」
「ありがとう。」
 そうして僕らは黙ってコーヒーを飲んだり、タバコを吸ったりして過ごした。

「彼との別れ話なんて聞きたくないわよね。」
「僕は構わないよ。でも君は話したくないんじゃないの?」
「いいのよ。終わったことだから。ただ、あなたには話しておきたくて。」
 彼女は僕の目を真っすぐ見つめた。
「わかった。じゃあ聞くよ。でも話したくないことは無理に言わなくていいから。」
「ありがとう。」

 彼女はタバコを一口吸い、考えをまとめてから話し始めた。
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