第7話「喫茶店でランチ」

文字数 1,796文字

 カウンターにいた60歳くらいの女性店員が、ドアに付いた鈴の音で我々の入店に気づいた。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ。」
 おばあさん店員は優しく微笑んだ。なんとなくだが、その笑顔は彼女に似ているような気がした。
 店内はカウンターにイスが3つ並び、テーブル席が4つあった。少し狭いが庶民的で良さげな店だ。先客としては、カウンターの席で新聞を睨んでいる60歳ほどの男性、それから奥のテーブル席で黙々とパソコンのキーボードを叩いている40代ほどの男性。その2人だった。

 手前のテーブル席に座ると、僕らは黙って店内を見回した。ひと通り眺め終えたところで彼女が話し始めた。
「雰囲気の良いお店ね。」
「そうだね。落ち着く空間だ。」
「“表も裏も知っている”って感じがするわね。」
 また不思議なことを言う。

 彼女は僕にも見えるようにメニュー表を広げた。
「頼みましょう?」
 しばらくは2人とも黙ってメニューを吟味した。

「どっちにしようかしら。」
「何と何で悩んでるの?」
「オムライスか、シーフードパスタか。」
「どっちも頼んだら?」
 彼女はクスリと笑った。
「そんなに食べれないわよ。それに太っちゃうじゃない。」
 それから彼女はオムライスとシーフードパスタの写真を交互に見ながら悩んだ後で、僕の顔を覗き込んだ。
「両方とも頼んで2人で分けるのはどう?」
「構わないよ。」
 僕らに呼ばれたおばあさん店員がやって来て注文を聞くと、回れ右をしてゆっくりと厨房に歩いていった。
 おそらくこの店は夫婦で経営しているのだろう。白い頭巾を被った60歳ほどの男性が厨房で料理を作り始めると、僕らは一緒にその様子を眺めていた。

「あなたは料理とかするの?」
「たまにね。両親が忙しい時なんかは。」
「男の子なのに珍しいわね。」
「暇だからね。」
 会話が途切れる。

「君は料理するの?」
「うん。気が向いたときはね。」
「君は料理してそうだと思ってたよ。」
「“暇だからね”」
 彼女がニヤリと笑いながら僕の真似をすると、2人で目を合わせて笑い合った。
「最近になって気づいたんだけど、あなたってよく笑うのね。」

 僕がよく笑う?

 10歳で世界に絶望してから笑った記憶なんてなかった。
 だが確かに今は自然と笑っていた。心から。自分のことは自分で見れないので、もしかしたら僕は普段から彼女の前で笑っていたのだろうか。
 笑っている自分の姿をぼんやりと想像しているうちに料理が届いた。一旦は僕の方にオムライス、彼女の方にシーフードパスタが置かれると、僕は取り皿を1つ頼んだ。彼女は料理と僕の顔を順番に見た。
「取り皿は1つでいいの?」
「僕のオムライスを半分にして取り皿に乗せる。その空いたスペースにパスタを乗せるんだ。」
「味が混ざっちゃうかもしれないわよ?」
「そうだね。でも洗い物が一つ減らせるから。」
「優しいのね。」
「そうかな?」

「あなたのそういうところ好きよ。」

 心臓が止まりかけた。
 彼女は下を向きながらクスリと笑っていた。

 取り皿が来ると、僕の戦略通りに取り分けて食べ始めた。
 なぜかは分からないが、同じ料理を彼女と分け合って食べていると、まるで性的なことをしているような気分になり勃起してしまった。そんな自分が気持ち悪くなり、僕は気を紛らわすため水を一気に飲んだ。

 それにしても彼女は幸せそうにご飯を食べる。僕は自分が食べるのも忘れて彼女に見惚れていた。
「そんなに見られたら恥ずかしいじゃない。」
「ごめん。」
 まただ。僕は慌てて顔を横にそらした。仮に僕が車を運転している時に彼女を見かけたら、確実に脇見運転で交通事故を起こす自信がある。

「私ってそんなに可愛い?」
 からかうように僕の目を覗き込む。
「うん。」
 僕は彼女の目を見れないまま小さく頷いた。
「ありがとう。」
 そう言ってまた頬をつつく。
「ほら、食べましょう?」

 料理を食べ終わって一息ついたところで、僕はアイスコーヒーを、彼女はカフェオレを頼んだ。
 しばらく外の景色を見ながら黙って飲んでいると、彼女はストローから口を離して言った。
「あなたはいつもブラックなのね。」
「いつも?」
「うん。」
「そういえば自動販売機で奢ってもらった時も、君はそんなことを言っていたような。」
「言ったかもね。」
「どういうことなの?」
 彼女はカフェオレをもう一口飲んだ後、小さく深呼吸した。

 「私のこと嫌いにならないでね?」
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