最終話「僕らは不完全なまま世界を歩く。」

文字数 1,503文字

 同棲を始めてから1年の時が流れた。

 3月になり、ある休日の昼間。我々はいつも通り犬の散歩をしながら、公園のベンチに腰かけて休憩していた。
 彼女が突然、自分の鍵から猫のキーホルダーを外して僕に手渡した。
「はい、これあげる。」
「ありがとう。でも急にどうしたの?」
「私はこれと犬のキーホルダーを1つずつ鍵に付けていたでしょう?小さい頃から私は犬を飼っていて、あなたの家は猫。だから猫の方をあなたにあげる。」
「わかった。大事にするよ。」
 しばらく受け取った猫のキーホルダーを眺めていると、彼女は僕の方に顔を向けた。

「私と結婚して。」

 僕らは人目も気にせず、公園のベンチに座ったまま口づけした。
「頼りないと思うけど、君を幸せにできるよう頑張るよ。」
「何言ってるの。あなたは世界で一番頼りになる人よ。それに、私はあなたと一緒にいるだけで幸せなの。」
「僕は男なのにプロポーズされてしまったのか。」
「もう、あなたって古い考え方ね。男とか女とか関係ないのよ。」
 そう言って、いつも通り頬をつつく。

 家族になった僕らと犬が川沿いの道を並んで歩いていると、彼女は鍵に付いている犬のキーホルダーを眺めていた。
「結婚指輪の代わりが犬と猫のキーホルダーって変かな?」
「いいんじゃないかな、心で繋がっていれば。」
「あなたロマンチストなのね。」
 いつも通り からかうように顔を覗き込んだ後、彼女は言葉を空に投げかけるように言った。

「人は不完全だからこそ美しい。」

「その言葉、前に僕が言ったのを覚えてたんだ。」
「だってあなた、口癖のようにいつも言ってるじゃない。」
「そうだったかな。」
「普通の結婚指輪より、私達にはこっちの方が合ってる気がするわ。」
 彼女はそう言って犬のキーホルダーに付いている鈴を2回鳴らした。
「ねえ、新婚旅行に連れて行ってよ。」
「いいよ。いつにしようか。」
「今から。」
「今から?どこに行きたいの?」
「あなたの実家。」
「それは構わないけど、ただ猫カフェで遊ぶだけになっちゃうよ。」
「普通の新婚旅行より、そっちの方が私達には合ってる気がしない?」
「それもそうだね。」

 そうして幸せを噛み締めながら歩いていると、道端で人知れず咲いている白い椿を見つけた。僕らは歩くのを止めて、その花を眺めた。犬も僕らの真似をして花を眺めていた。
「綺麗ね。」
「そうだね。」
「道端に椿が咲いてるなんて珍しいわね、しかも白い。」
「確かに、なかなか見かけないな。」
「椿の花言葉って、“控えめな素晴らしさ”だったかしら?」
「そんな感じだったと思うよ。」
 本当は違う。彼女が言ったのは赤い椿の花言葉で、白い方は「完全なる美しさ」だ。なぜ僕がそれを知っているかと言うと、彼女へプレゼントするために、色んな花のことを調べていたからだ。
 でも彼女に花をあげる必要はないような気もしている。不完全な彼女は、すでに“完全なる美しさ”を身に着けているからだ。そもそも彼女より綺麗な花なんて、どれだけ探しても見つけられない。

「生きる意味はあるか、世界に色はあるか。」昔はそんなことを考えていた。

 “犬と一緒に花を眺めている妻”
 目の前に広がっているこの世界には、形容しがたいほどの美しい色が付いていて
 “そんな様子を眺めている僕”は、生きていて良かったと心から思えている。

 僕らは感情を取り戻し、時には喧嘩もするようになった。ただ家族の一員である犬を目の前にすると、いつの間にかお互いに謝り、認め合い、仲直りしてしまう。その度に夫婦の絆は強くなっていった。そういうのも人間らしさなのかもしれない。

 僕らは不完全なまま、繋いだ手の温もりを確かめ合いながら歩き続ける。



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