第20話「初めて女の子の家に入る。」
文字数 2,646文字
玄関から顔を出した人の姿を見て、僕は唖然 とした。
彼女は抜け殻のように疲れ果てた表情で、虚 ろな目の周りにはひどいクマができていた。寝起きのように乱れた髪で、しわや汚れのついたボロボロの部屋着を身に着けていた。
同窓会の時とは全く別人に見えたので、僕は思わず「部屋を間違えました」と言いそうになった。
「急にごめんなさい」と彼女は言って、ぼさぼさの頭をかいた。
僕は「構わないよ」と冷静を装って答えた。
「入って」
家の中は廃墟のように散らかっていた。たまりきった食器は台所に放置され、床には足の踏み場がないほど物が散乱していた。ゴミ袋にはカップ麺の容器や酒の缶、タバコの吸い殻などが掃 きだめのように捨てられていた。直前に急いで消臭したのか、花のような芳香剤 の香りがその部屋の違和感になっていた。
彼女はソファーの上に放置された服や書類を床に払い、ぎりぎり2人が座れるだけの場所を空けた。「座って」
「ありがとう」
「ごめんね、汚くて」と彼女は言って、目をこすった。
「構わないよ」
僕と彼女がソファーに座ると、奥の部屋から1匹の犬が興奮したように走ってきた。
「ほーら、落ち着いて」と彼女は言って、犬をなだめるように体を撫で回した。
「犬を飼ってたんだね」
「そういえば、あなたに言ってなかったわね」と彼女は言った。「母が働いてる動物保護施設から引き取ったのよ。本当は1人暮らしだとなかなか認めてもらえないんだけど、私が母の子どもで、小さい頃から犬の世話に慣れてるということで引き取らせてもらったのよ」
「そうなんだ」と僕は言って、足元にやって来たふさふさの柴犬を撫でてみた。「可愛い子だね」
しっぽ を激しく振りながら喜ぶ犬はソファーに乗り、僕と彼女の間にすっぽりとはまるように座った。その柴犬の右目はつぶれていた。
「この子はね、ケガで片目を失っているのよ」と彼女は言った。「ウインクしてるみたいで可愛いでしょう?」
彼女は儚 げな笑顔を浮かべ、柴犬の右目あたりに優しく触れた。わずかではあるが、この家に来て初めて彼女の笑顔を見た。
「こういう子は見た目が“完全ではない”という理由からか、なかなか里親が見つからないのよ」と彼女は言って、ひざに乗ってきた犬を寝かしつけるように優しく撫でた。「ごめんね……」
彼女と柴犬の光景は幻想的に美しく、僕は写真に収めたいと思った。
「そうだ」と彼女は思い出したように呟いた。「お酒あるけど飲む?」
「じゃあ、いただこうかな」
「ビールしかないけどいいかしら?」
「構わないよ、ありがとう。」
彼女はフラつきながら立ち上がり、壁をつたいながら歩いていった。冷蔵庫から350mlの缶ビールを2つ手に取り、1つを僕に手渡した。
僕らがフタを開けると、興味を持った犬は缶ビールに鼻を近づけた。
「こーら、あなたはこっちでしょう?」と言って彼女は犬を抱き上げ、奥の部屋に運んだ。こちらとは違い、犬の部屋は整頓されているように見えた。
彼女は自動給水機の水を確かめると、部屋のドアを閉めて戻ってきた。
「あ、乾杯しなきゃね」と彼女は言って、無理に笑顔を作った。「ねぇ、タバコ吸ってもいい?」
「構わないよ」と僕は気にしていない振りをして答えた。
彼女はタバコを2口だけ吸うと、首を振りながらため息をつき、すぐに火を消した。「家に犬がいるのにタバコなんか吸って。私なんか、最低な飼い主よ」
彼女は犬の部屋を見つめながら涙を流し、体を震わせた。僕は思い切って彼女の頭を撫でてみた。
「私に幻滅したでしょう?」
「してないよ」と僕はすぐに答えた。それは本音だった。僕の心にあるのは驚きと心配だ。
「彼とは別れたの」と彼女は急に呟き、缶ビールを傾けた。
「そうなんだ」
少しの間、お互い黙りこくった。となりの部屋で犬が歩き回る音がやけに大きく耳に届いた。
「部屋の片付けを手伝うよ」と僕は気まずさに耐えきれず声をかけた。
「ありがとう」と彼女は答えた。「でも、少しゆっくりしましょう?」
おそらく僕が来る前から酒を飲んでいたのだろう。酔っぱらった彼女は僕の肩に体をもたれ、部屋着の下にある柔らかい感触が僕の腕に押し付けられた。
「ねぇ」と彼女は言って、突然、僕と唇を合わせた。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。彼女は妖艶 な唇を僕から離し、顔を赤らめて下を向いた。彼女は僕の頬 をゆっくりと両手でつかみ、再び唇を合わせた。僕はその悦 びに圧倒され、夢と現実の狭間 に迷い込んだ。僕らはそのまま2人だけの世界で溶け合った。
僕らはベッドの上に並んで横になっていた。僕は何を考えるでもなく天井を見つめていた。彼女も同じようにしながらタバコを吸っていた。
「ねぇ」と彼女は言って、ちらっと僕の顔を見た。「私って最低な女だと思わない?」
「思わないよ」
「だって、私はあなたのことを……」そこで言葉を止めた。彼女が言わんとしていることは何となく分かった。
「なんというか…」と僕は言った。「そういうのも人間らしさだと思うんだ」
「人間らしさ」と彼女は繰り返した。僕の言葉の意味を考えてるようだった。
「怒らずに聞いてほしいんだけど…」と僕は言って彼女の表情を伺 った。「初めて君を見た時、美人で天真爛漫 で、非の打ち所のない完全な人だと思ったんだ。ただ、完璧すぎて機械のようだとも思った。それから君と話しているうちに、意外と表裏があり、人を嫌ってることを知った。そういった人間らしい不完全な部分を知るたびに、僕は君に惹 かれていったんだ」
彼女は少し考えてからクスリと笑った。「あなた、変わってるわね」
「そうかもしれない」
「ねぇ」と彼女は言った。「今でも私のこと好き?」
「もちろん」と僕は言った。「世界で一番好きだよ」
自分から言っておいて、僕は顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
「あなたって意外とロマンチストなのね」彼女はフフフと笑って僕の頬に唇を押しつけた。「ありがとう」
彼女は眠くなったのか、段々と虚 ろな声になっていった。僕が布団をかけると、彼女は1分も経たずにすやすやと寝息を立てていた。
僕は彼女の愛らしい寝顔に安心してから、なんとなくベッドから降りた。ソファーに座り、彼女のタバコを吸ってみた。初めてだったので思わず むせてしまったが、幸い彼女には気づかれていないようだった。僕はタバコの火を消してベッドに戻った。となりで静かに眠る彼女の髪を撫でているうちに、気がつけば僕も眠りに落ちていた。
翌朝、水の流れる爽 やかな音で目が覚めた。
彼女は抜け殻のように疲れ果てた表情で、
同窓会の時とは全く別人に見えたので、僕は思わず「部屋を間違えました」と言いそうになった。
「急にごめんなさい」と彼女は言って、ぼさぼさの頭をかいた。
僕は「構わないよ」と冷静を装って答えた。
「入って」
家の中は廃墟のように散らかっていた。たまりきった食器は台所に放置され、床には足の踏み場がないほど物が散乱していた。ゴミ袋にはカップ麺の容器や酒の缶、タバコの吸い殻などが
彼女はソファーの上に放置された服や書類を床に払い、ぎりぎり2人が座れるだけの場所を空けた。「座って」
「ありがとう」
「ごめんね、汚くて」と彼女は言って、目をこすった。
「構わないよ」
僕と彼女がソファーに座ると、奥の部屋から1匹の犬が興奮したように走ってきた。
「ほーら、落ち着いて」と彼女は言って、犬をなだめるように体を撫で回した。
「犬を飼ってたんだね」
「そういえば、あなたに言ってなかったわね」と彼女は言った。「母が働いてる動物保護施設から引き取ったのよ。本当は1人暮らしだとなかなか認めてもらえないんだけど、私が母の子どもで、小さい頃から犬の世話に慣れてるということで引き取らせてもらったのよ」
「そうなんだ」と僕は言って、足元にやって来たふさふさの柴犬を撫でてみた。「可愛い子だね」
「この子はね、ケガで片目を失っているのよ」と彼女は言った。「ウインクしてるみたいで可愛いでしょう?」
彼女は
「こういう子は見た目が“完全ではない”という理由からか、なかなか里親が見つからないのよ」と彼女は言って、ひざに乗ってきた犬を寝かしつけるように優しく撫でた。「ごめんね……」
彼女と柴犬の光景は幻想的に美しく、僕は写真に収めたいと思った。
「そうだ」と彼女は思い出したように呟いた。「お酒あるけど飲む?」
「じゃあ、いただこうかな」
「ビールしかないけどいいかしら?」
「構わないよ、ありがとう。」
彼女はフラつきながら立ち上がり、壁をつたいながら歩いていった。冷蔵庫から350mlの缶ビールを2つ手に取り、1つを僕に手渡した。
僕らがフタを開けると、興味を持った犬は缶ビールに鼻を近づけた。
「こーら、あなたはこっちでしょう?」と言って彼女は犬を抱き上げ、奥の部屋に運んだ。こちらとは違い、犬の部屋は整頓されているように見えた。
彼女は自動給水機の水を確かめると、部屋のドアを閉めて戻ってきた。
「あ、乾杯しなきゃね」と彼女は言って、無理に笑顔を作った。「ねぇ、タバコ吸ってもいい?」
「構わないよ」と僕は気にしていない振りをして答えた。
彼女はタバコを2口だけ吸うと、首を振りながらため息をつき、すぐに火を消した。「家に犬がいるのにタバコなんか吸って。私なんか、最低な飼い主よ」
彼女は犬の部屋を見つめながら涙を流し、体を震わせた。僕は思い切って彼女の頭を撫でてみた。
「私に幻滅したでしょう?」
「してないよ」と僕はすぐに答えた。それは本音だった。僕の心にあるのは驚きと心配だ。
「彼とは別れたの」と彼女は急に呟き、缶ビールを傾けた。
「そうなんだ」
少しの間、お互い黙りこくった。となりの部屋で犬が歩き回る音がやけに大きく耳に届いた。
「部屋の片付けを手伝うよ」と僕は気まずさに耐えきれず声をかけた。
「ありがとう」と彼女は答えた。「でも、少しゆっくりしましょう?」
おそらく僕が来る前から酒を飲んでいたのだろう。酔っぱらった彼女は僕の肩に体をもたれ、部屋着の下にある柔らかい感触が僕の腕に押し付けられた。
「ねぇ」と彼女は言って、突然、僕と唇を合わせた。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。彼女は
僕らはベッドの上に並んで横になっていた。僕は何を考えるでもなく天井を見つめていた。彼女も同じようにしながらタバコを吸っていた。
「ねぇ」と彼女は言って、ちらっと僕の顔を見た。「私って最低な女だと思わない?」
「思わないよ」
「だって、私はあなたのことを……」そこで言葉を止めた。彼女が言わんとしていることは何となく分かった。
「なんというか…」と僕は言った。「そういうのも人間らしさだと思うんだ」
「人間らしさ」と彼女は繰り返した。僕の言葉の意味を考えてるようだった。
「怒らずに聞いてほしいんだけど…」と僕は言って彼女の表情を
彼女は少し考えてからクスリと笑った。「あなた、変わってるわね」
「そうかもしれない」
「ねぇ」と彼女は言った。「今でも私のこと好き?」
「もちろん」と僕は言った。「世界で一番好きだよ」
自分から言っておいて、僕は顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
「あなたって意外とロマンチストなのね」彼女はフフフと笑って僕の頬に唇を押しつけた。「ありがとう」
彼女は眠くなったのか、段々と
僕は彼女の愛らしい寝顔に安心してから、なんとなくベッドから降りた。ソファーに座り、彼女のタバコを吸ってみた。初めてだったので思わず むせてしまったが、幸い彼女には気づかれていないようだった。僕はタバコの火を消してベッドに戻った。となりで静かに眠る彼女の髪を撫でているうちに、気がつけば僕も眠りに落ちていた。
翌朝、水の流れる