第34話 黒の舟唄

文字数 2,269文字

 Youtube Musicを流していたら、加藤登紀子さんが歌う『黒の舟唄』にずしりと引っかかりました。聞いたことはありますが、誰の歌なのか? 全曲を通して聞いたことはありませんでした。
黒の舟唄 加藤登紀子 1974年
『黒の舟唄』オリジナルは野坂昭如さんです。1976年に放送されたCM。インパクトとがありました。
黒の舟唄 オリジナル1971年

作詞 能吉利人
作曲 桜井順

歌 野坂昭如

野坂昭如(のさか あきゆき、1930年10月10日-2015年12月9日)は、小説家、歌手、作詞家、タレント、政治家。

 作詞家としては「おもちゃのチャチャチャ」で第5回日本レコード大賞童謡賞を受賞。

 1967年には、『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞受賞。

「黒の舟唄」は元はヴァージン・レコードから3000枚限定でプレスされた自主制作盤『鬱と躁』の収録曲で、その後1971年2月10日、日本コロムビアからシングルとして発売されヒットした。

 後に多くの歌手にカバーされており、中でも長谷川きよしのカバーがよく知られている

 野坂昭如が歌ったシングル盤の「マリリン・モンロー・ノーリターン」は、1971年にコロムビアからレコード発売された。
 しかし時代のトリックスターのような立場にいた黒メガネの直木賞作家が、歌手としてデビューするという話題がマスコミに派手に取り上げられたものの、それほどヒットしたわけではなかった。

 ところが話題性がなくなった後に、レコードは地味な動きではあっても売れ続けた。

 それはB面に入っていた「黒の舟唄」のおかげだった。

「マリリン・モンロー・ノーリターン」と「黒の舟唄」は、どちらもクレジットに”作詞・能吉利人(ノーキリヒト)作曲・桜井順”と記されている。
 能吉利人という謎めいた名前の作詞者がCMソングのヒットメーカーで、作曲家の桜井順と同一人物であることなどは、当時まったく知られていなかった。

 そして当然のように誰もが作詞は野坂が書いていたと思ったのは、小説で描かれる文章のタッチと歌詞のイメージが、自然に重なるものだったからだ。


 桜井順はCMで作詞することもあったのだが、その場合には”作詞・作曲 桜井順”と表記していた。
 ところが野坂の歌に関してだけ能吉利人の名を使っていたのは、ソングライティングの方法に由来するという。


 作曲家の桜井順は日本のCM音楽の巨匠で、
 富士フィルム「お正月を写そう」
 石丸電気「石丸電気は秋葉原デッカイワー」
 アース製薬「ダニアース」
 味の素「コーヒーギフトはAGF」

など約3000本のCMを作曲している。
 
 イエスキリストに対してノー・キリヒトという人を食ったようなネーミングセンスも凄いが、この詞の深さは底なしだ。

 出来上がった歌を渡された野坂はつべこべ言うことなく、まるで物でも食らうかのように黙々と歌ったという。

 作・編曲の桜井順、作詞の能吉利人、それに歌手の野坂昭如とが三位一体になって、はじめて歌が成立していたのである。

 やがて多くの人の胸に何かが引っかかった「黒の舟唄」が、盛り場の有線放送などを通じて口コミによって広まっていった。

 そして1年が過ぎて知る人ぞ知る変わった歌というポジションを得たところで、楽曲に新しい生命を注いでくれるシンガーとの出会いが待っていた。

 黒いサングラスをかけた盲目のシンガー・ソングライター、長谷川きよしによって力強いギターと共に歌われることによって、「黒の舟唄」は歌詞に描かれていた哀しみや悔いがいっそう深く聴き手の心に届いたのである。

黒の舟唄 長谷川きよし

 緑内障のため2歳半で失明し全盲となる。高校三年生のときシャンソン・コンクールに4位入賞。1969年、「別れのサンバ」でデビュー。発売直後はあまり反響のなかった曲ではあったが、深夜放送で流れるようになると、フォーク世代の若者から支持され、大ヒットとなった。

 超絶的なギター演奏と、濃密かつ透明度の高い声によるバラードで人気を博す。盲目である事やギタリストである事などの共通点から日本のホセ・フェリシアーノと評された。

別れのサンバ  長谷川きよし 2012年
黒の舟唄 桑田佳祐

 歌の内容は男女の性的な営みの暗喩と思われる表現もあり、刹那的な青春を歌っているとも考えられる。

 ここでの桑田さんのボーカルは凄味さえ感じさせる迫力がある。自分の曲でも見られないような入れ込みよう。聴いて楽しめるか、と言われると?

 だけど、心に深く刻まれる曲。

https://eboshi-rock.hatenablog.com/entry/2018/09/23/070040


黒の舟唄 藤圭子

 藤圭子さんは若い頃は非常に綺麗な人でした。 愁いを帯びたという表現がぴったりな感じの。 

 北島三郎さんの番組で、北島さんの歌を北島さんより上手に歌って、北島さんが半ば本気で落ち込んでいました。

 なんと、この歌を尾崎紀世彦が33歳の時に歌っています。YouTubeで観られますが、貼り付けられません。

この歌は野坂昭如さんで聴いていました。なんと個性的な歌詞の歌だろうと思いながら。
 キヨさんで聴いたのは1976年,彼は33歳。
 この若さで,これほどまでに渋く歌えるとは,あらためて「タダの歌手ではない」「別格・唯一無二だ」と,今更ですが・・・。
 闇に引き込まれる深淵さはあるけれど,決して陰鬱にはならず,人間の心の襞,機微を朗々と歌い上げて,詩の心を見事に表現する力量に圧倒されます。

(尾崎紀世彦ワールド研究室) 

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