第22話 幽霊作曲家
文字数 3,486文字
私もパラパラとめくってみて、興味深いものを発見。
子どもの頃、白い幽霊を見た。
黒いガウンを着た、白い髪の幽霊が現れて言った。
「君を有名な音楽家にしよう」
少しして、リストの写真を見て、あの時の幽霊が、リストだったことを知った。
それから何十年も経った。
リストは再び現れた。
それ以降、夜な夜な、ベートーベンやバッハなどの作曲家の幽霊も現れた。
そして様々な曲を書かせた。
孫の『戦慄の都市伝説大百科』より
1970年代に入ろうとする頃、ひとりのイギリス人女性にマスコミの注目が集まり始めた。
名前はローズマリー・ブラウン。50歳前後の、見る限りはごく普通の一般女性である。
関心は、彼女が持っているという、ある特異な能力に向けられていた。
霊界と通信している、死者と対話しているというのだ。
つまり霊媒である。
彼女の交信相手は、音楽史上に名を連ねる楽聖たちであり、霊界からやってくる彼らに頼まれて、彼らの作曲する楽曲を楽譜に記録していると主張したのだ。
幽霊たちの代筆をしている……まさしくゴーストライターである。ゴーストの立場が逆だけど。
彼女がコンタクトしていたという作曲家(の霊)は錚々たるものだった。
リスト、ショパン、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、グリーグ、ドビュッシー、ラフマニノフ、ヨハン・バッハ、ベルリオーズなどなど。
モーツァルトやプーランクなんかもちょこっと来たものの、あまり仲は良くなかったらしい。
ジョン・レノンの代筆もいくつかあるという。音楽家のほかにも、アインシュタインもよく来たそうだ。
普通なら、狂人の妄言、あるいは目立ちたがり屋の狂言の類と片付けられて、相手にされなかったに違いないところだが、ローズマリーは実際に、楽譜を多数、それもわずかな期間に、個人の能力を超えていると思われる量の楽譜を生産していた。
それぞれの楽譜も、リストならリストの、ベートーヴェンならベートーヴェンの作風の個性や記譜上の癖などがそれなりに認められるものだった。
彼女は400曲以上書いたと記しているのだが、現在350曲ほどが確認されているらしい。
リストが音楽を伝える方法は、口述筆記、リスト(の霊)が音名や和音を口にし、それを書き取るというのだ。他の作曲家についても同様だったという。
「彼等は、どこで和音になり、その和音を構成する音が何であるのかを私に言ってくれるのです。彼等は調号を指定し、一つ一つの音符を言ってくれます」
作曲家によっては、彼女に憑依し彼女の手を操って自ら楽譜を書くこともあった。たとえばベートーヴェンがそうで、BBCの番組で彼の曲を書き留めてみせたときは、ものすごいスピードで自動書記のように楽譜が仕上げられていった。
彼女はシューベルトから『未完成交響曲』の続きを聴かされたそうで、楽譜として完成させられたらと願っていたが、結実はしなかったようだ。
やがて彼女が代筆した楽曲を、高く評価するプロの音楽家や音楽研究者も現れ出す。
映画音楽で名高い作曲家リチャード・ロドニー・ベネットは
「長年訓練を積んだ人でなければこれほどの音楽を偽造することはできないでしょう。
ベートーヴェンの何曲かは、私だったら書けなかったと思います」
と漏らしたそうだ。
だが、彼女は、ほんの数年ピアノのレッスンを受けたことがあるくらいで、音楽の素養はほとんど備えておらず、貧しい生まれだったためクラシック音楽を聴くという習慣すら、ろくに持ったことがないと主張していた。
露出が増えるにつれ、本当は音楽的な訓練を積んでいるのではないのかという疑惑が付きまとうようになり、それらに対する牽制もあって誇張気味になっている節もあったのかもしれない。
音楽的素養や技術が低ければ低いほど、彼女が書き付ける音楽の意外性という価値は高くなるわけだ。
英国放送協会(BBC)は彼女のドキュメンタリー番組を放映し、フィリップス・レコードは彼女が書き留めた楽曲のアルバムを制作した。
称賛と、同じくらいの量の批判や非難、懐疑が渦巻くなか、80年代に入ると高齢と病気のためにローズマリーの活動は少なくなり、次第に忘れられていき、2001年に85歳で亡くなった。
https://realsound.jp/2015/03/post-2796.html
1970年にLPレコードが欧米各国で発売された。
「誌的で超常的な調べ」というサブタイトルで、どの曲も幻想的でとても素敵なアルバムのようだ。レコードA面にはイギリスのピアニスト、ピーター・ケイティンが大作曲家の作品を、B面にはローズマリー・ブラウン自身が演奏した曲が入っている。
(廃盤になっていて高いです。調べたら二万五千円)ショパンはピアノに向かっていくつかの音符を示し、私の手を正しいキーに押しつけます。
シューベルトは歌おうとします。でも彼の声はあまりいい方ではありません。
ベートーヴェンとバッハは私をテーブルに向かわせ、紙と鉛筆をとらせ、音符とテンポを示して書き取らせます。
ブラームスは私に指を広げる練習をつけてくれました。
ラフマニノフは私にピアノのテクニックをずいぶん指導してくれました。私が関わりあいたい作曲家を自分で決めることはできません。彼らの側でそれは決められてしまうようで、多分それはリストが決めているのだと思います。
【リスト】
私が初めてリストの亡霊を見たのは子供の頃でした。でも私は小さかったので彼がリストだということがわかりませんでした。彼は私が大きくなったら音楽の贈り物をしようと言って消えました。彼は白い長い髪で黒い僧衣をまとった老人でした。でも今は、彼はずっと若返って現れます。彼はとても忍耐強く親切で、非常に精神的で教養の高い人だと思います。そして自分はもっと静かで愛らしい作品を書きたかったのだと言っています。
【バッハ】
バッハは正直に言って、私にとって魅力とは感じられない交感者の一人です。彼がやってきた時は驚きました。けれど彼は私が彼の音楽の価値を受けとめるには教育が足りないだけだと思ったようです。
【ベートーヴェン】
ベートーヴェンと一緒だと少しじれったくなります。彼は多分3曲か4曲の作品を同時に書いているのでしょう。彼はこうして少しずつ完成させてゆくので完成するまではすべてバラバラなのです。彼は35歳くらいに見えます。とても元気そうで、あんなに気難しい顔はしていません。
【ショパン】
ショパンはある時、バス・ルームが水浸しになるのを助けてくれました。私はショパンと仕事をしていたのですが、彼は急に私に音楽を教えるのを止めてフランス語でしゃべり出したのです。そのうち私はやっと、彼がお風呂が水浸しになる、と言っているのだとわかりました。私はバス・ルームに急ぎ、水がバスの縁ギリギリになっているのをみつけたのです。
【ドビュッシー】
ドビュッシーは現代に生きても困らないと思います。とてもモダンで、着ているものも俗に言うヒッピー風な感じです。今では音楽よりも絵画の方を多く手がけているそうで、いくつかの絵を見せてくれましたが、印象派風のブルーの色彩が混ざり合っただけのきれいなものでした。そしてよく目を凝らすと、中央に女性の顔がほのかに認められました。彼はこの絵は「青の女」という絵だと言いました。
【モーツァルト】
私がモーツァルトを見たのは2、3回です。でもリストは彼が戻ってきて私にもっと音楽を教えてくれるだろうと言っています。
【シューベルト】
私は未完成交響曲の結末を聴きました。あんな美しい曲は聴いたことがありません。でも書きとめておかなかったので忘れてしまいました。彼はまた繰り返しやってくれることでしょう。彼との交感はとても楽です。
【ラフマニノフ】
彼は控え目だったので最初私はかたくなってしまいました。彼は壁があると言いました。でも彼を知ってみると、彼はとても忍耐強くて親切な人です。
(音楽の友1976年4月号より)
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