第24話 スマイル

文字数 2,566文字

いつでもスマイルしようね。とんでもないことが起きてもさあ〜

 孫の保育園のお遊戯会で、3歳児の合唱がなぜか、懐かしかった。

『スマイル』

 最近の歌は知らないので、調べて納得。

 アニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所 』のエンディングの曲だった。


 元々は1996年にリリースされた、ホフディランのメジャーデビュー曲。この曲はとてもほのぼのとした優しいイメージ。


 この歌を女優の森七菜がカバーした。最初はCM用にと30秒だけ収録をしていたのだが、要望が多かったのでついにフルバージョンにて収録された。


 そして配信限定にてリリースされた。とてもかわいい雰囲気の曲だ。


 ところが、笑顔を強要してる……とか、嫌味な歌詞、女性差別、なんて意見が。

モダン・タイムス 1936年

前作の『街の灯』(1931年)に続いてのサウンド版で、一部にセリフが入る以外は音楽の伴奏と効果音のみによるパート・トーキー映画となっている。

また、チャップリンが初めてスクリーンで肉声を発した映画であり、キャバレーでインチキ外国語(一説にはフランス語風と言われる。また、「taxi」と聞き取れる部分がある)による「ティティーナ」を歌うシーンで、チャップリン自身の歌声を聴くことができる。自作の映画音楽も映像にのせており、前述の「ティティーナ」とラストシーンで印象的な「スマイル」を作曲し、その音楽的才能も開花させている。

公開当時はすでにトーキー映画が普及していたため、この作品は「時代遅れ」と呼ばれて、あまり高い評価は得られなかった。

本作はルネ・クレール監督作品『自由を我らに』と内容が酷似している。そのためドイツの製作会社・トビス社は1937年にチャップリンを著作権侵害で提訴した。しかし、証人に立ったルネ・クレールは、「もし『モダン・タイムス』が自分の映画からヒントを得ているならば、光栄に思う」と証言したため、告訴は取り下げられている。
1954年にジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズが歌詞とタイトルを加えた。歌詞では、歌手が聴衆に対して笑っている限りは明るい明日が常にあると元気付けている。「スマイル」はチャップリンの映画で使用されて以来、スタンダードとなった。

数々のコメディ映画を作り上げ、喜劇王の異名をもつチャールズ・チャップリンが、1936年に大ヒットさせた映画「モダン・タイムス」のテーマ曲として作曲した。

この時には、まだ歌詞がついておらず、18年後の1954年、作詞家のジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズが歌詞をつけ、ナット・キング・コールの甘い歌声で歌い上げられた。その時にはじめて「Smile」というタイトルがついた。

ナタリー・コール(1950年2月6日-2015年12月31日)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。ナット・キング・コールの実娘。

その後も数多くのミュージシャンがカバーしている。

ダイアナ・ロス、エリック・クラプトン、ロッド・スチュワート、エルビス・コステロ、マイケル・ジャクソン、MISIAなどなど。

メロディーの美しさにも泣けるが、歌詞が素晴らしくて、悲しい時でも辛い時でも笑顔でさえいれば乗り越えられる、という内容。

2011年東日本大震災が発災した時に、被災地で最も多く歌われていたのが、「上を向いて歩こう」と「Smile」。

トランペット奏者のクリス・ボッティは、エアロスミスのスティーブン・タイラーとこの曲を録音し、ボッティの2005年のアルバム『To Love Again: The Duets』に収録された。
クリス・ボッティは姉が好きで1度だけコンサートに行きました。音が耳ではなく体に響いた響いてきた。


映画『アルマゲドン』で有名なハリウッド女優、リヴ・タイラーの実父。リヴ本人は、物心付く前に両親が別れていたために、スティーヴンの顔を覚えておらず、成長してエアロスミスのファンとなった頃(9歳の時)に、スティーヴンが自分の実父であることを知り、非常に驚いたという。

マイケル・ジャクソンは、1995年の2枚組アルバム『H IStory』に『スマイル』を収録した。

ライブでは『HIStory World Tour』の最後のコンサートで、ダイアナ妃を追悼するためコンサートの最初に歌った。

2009年7月7日のマイケルの追悼式で、以前彼と交際していたブラック・シールズが「Smile」をマイケルのお気に入りだったと語った後、マイケルの兄ジャーメイン・ジャクソンがこの歌を歌った。

 度重なる整形手術や著しい肌の色の変化は、度々マスメディアの注目を集め、議論や憶測を呼んでいた。

 初めて整形手術を施したのは1979年にステージで負った鼻の大怪我を早急に治癒する目的があった。

 1984年に負った頭部の大火傷で顔面の骨格や皮膚に後遺症が残ったことや、もともと幼い頃に家族から「デカ鼻」といじられ容姿にコンプレックスを抱いていたこともあって、その後も晩年に至るまで鼻と顎を中心に整形手術を繰り返したとみられる。

 1988年の自伝『ムーンウォーク』で自身が語ったところによれば、当時の時点で彼が施した整形手術の回数は「鼻が2回、顎が1回」であるという。

 一方で、肌の色の変化は尋常性白斑という疾患に由来するもので、死後の検死報告で公式に明らかにされた。この病気が進行し始めたのは1979年から1982年の頃で、体中の皮膚の色が斑状に変化していったという。

 1990年代以降に病気は急激に進行し、外出中は紫外線を断ち切るために常に大きな帽子、傘、サングラス、マスクの着用を余儀なくされていた。長年彼のメイクアップを担当していたカレン・フェイは

「彼も周りもずっと病気のことを隠そうとしていた。最初は白い部分を茶色のファンデーションで隠していたが、白斑が全身に広がると白くメイクするように切り替えるしかなかった」

と話している。また、1984年に負った頭部の大火傷も病気の進行を早めたと言われている。


 マイケル・ジャクソンの外観には白斑が見られるが、これは撮影の際に負った頭部火傷やストレスなどによる後天的発症であり、先天的な異常ではない。

 彼は長らく偏見報道に悩まされていた。皮肉にも彼の病が公的に証明されたのは死後の司法解剖であった。

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