第1話 バレンボイム

文字数 8,062文字

バレンボイムは、映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』を観てから毛嫌いしていたのですが、『私のお気に入り』36話でトーマス・クヴァストホフの伴奏をしていたのを観て少し、気が変わりました。

バレンボイムは2度結婚している。最初の相手はイギリスのチェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレであった。デュ・プレは才能に恵まれながらも、多発性硬化症の発病により、悲劇的にも突然に音楽家生命を断たれている。

2度目の相手は、ギドン・クレーメルの前妻で、ユダヤ系ロシア人ピアニストのエレーナ・バシュキロワである。2人はデュ・プレの最晩年にはパリで同棲生活に入っており、2人の子をもうけていた。バレンボイムとエレーナ夫人の正式な結婚は1988年に行われた。

壁が破壊されるまでの間、東ベルリンから壁を越えて西ベルリンに行こうとした住民は、運よく西へ逃れた人以外は東ドイツ国境警備隊により逮捕されるか、射殺されるか、或いは途中で力尽きて溺死か転落死であった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%81%E5%B4%A9%E5%A3%8A

日本ではすっかり年末の風物詩になっているベートーヴェンの「第九」ですが、海外では一部例外を除き年末に演奏されることはありません。

日本で初めて「第九」のコンサートを行ったのは、戦後間もない1947年のこと。新交響楽団(現在のNHK交響楽団)が、12月コンサートを開催し絶賛されたことが、年末に「第九」を演奏する習慣へと受け継がれていく契機となりました。

合唱は新年にむけての臨時収入を得るアルバイトのひとつとして人気があり、年末になるとオーケストラのために「第九」を歌う人が殺到したそうです。まだ混乱期の真っ只中だった当時、ドラマティックな「歓喜の歌」を聴いて元気をもらい、新年への活力とする人も多かったとか。

日本で最初に「第九」が演奏されたのは、1918年6月、徳島県の鳴門市にあったドイツ兵捕虜収容所で行われたコンサートだったと記録されています。これは、第一次世界大戦の青島攻略戦で捕虜となっていたドイツ人たちによる演奏で、この演奏を聞けたのは捕虜兵と収容所の従業員のみだったそうです。

その6年後の11月下旬、上野の奏楽堂にて東京音楽学校(現東京藝術大学)の教授や生徒により本格的に全章演奏されました。1938年に新交響楽団がドイツから招いた指揮者ローゼンシュトックの勧めにより初めてプロの交響楽団による演奏が行われました。

「第九」が初めて12月に演奏されたのは、1943年に行われた学徒壮行音楽会で、この年の12月学生が徴兵され、また、1947年12月30日には戦没した学徒兵を偲び追悼演奏会が行われました。

同年12月、新交響楽団は「第九」コンサートを行い大盛況を収め、それ以降、「第九」は年末の風物詩として定着していったのです。

https://www.eys-musicschool.com/media/ninth_symphony/

『バルトの楽園』(バルトのがくえん)は、2006年公開の日本映画。タイトルの「バルト」とはドイツ語で「ひげ」の意味。主人公の松江豊寿やドイツ人捕虜が生やしていたひげをイメージしている。

第一次世界大戦中の徳島県鳴門市の板東俘虜収容所が舞台で収容所所長・松江豊寿の活躍や、捕虜となったドイツ兵と地元の住民の交流などを史実に基づいて描いた作品。松江は俘虜に対し人道的な扱いを心がけ、捕虜による楽団が『交響曲第9番 歓喜の歌』を日本で初めて演奏した。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE%E6%A5%BD%E5%9C%92

『歓喜の歌』は、立川志の輔による新作落語。映画化、テレビドラマ化、舞台化もされた。

2004年に渋谷PARCO劇場で開催した「志の輔らくご」にて初演された。ある年の大晦日に公民館で起きた一つの騒動を、志の輔流の切り口で笑えながらも人情味深く描かれた内容が反響を呼び、志の輔の新作落語の代表作として知られる。

また、2008年2月には小林薫主演、松岡錠司監督で映画化され、また同年9月には大泉洋主演、北海道テレビ放送製作でテレビドラマ化されている。テレビドラマは2008年9月度のギャラクシー賞月間賞を受賞した。

ある年の大晦日を控えたある日。大晦日の公民館のホール予約で2つのママさんコーラスグループの予約がダブルブッキングされていたことが発覚する。2つのグループの名前が似ていたこともあり、公民館の職員が気づかず予約登録していたのだった。この事態に怒るコーラス団員たちに対し、公民館の主任は責任逃れを続けるばかりだったが、あることをきっかけに公演を成功させようと奔走することとなる。

2008年2月2日公開。キャッチコピーはきっとあなたの心にあかりを灯す、笑いと涙の音楽喜劇。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E3%81%AE%E6%AD%8C_(%E8%90%BD%E8%AA%9E)

落語も登場。今年は今まで聞かなかったものにも挑戦。

長いと思ったけど、面白くて引き込まれました。

ダニエル・バレンボイム( 1942年11月15日 - )は、アルゼンチン出身の、ユダヤ人ピアニスト・指揮者。

現在の国籍はイスラエル。ベートーヴェンのピアノソナタ全32曲の録音を2020年現在までに5回残している唯一の現役ピアニストである。

ロシア出身のユダヤ系移民を両親として生まれる。バレンボイムの祖父母はそれぞれベラルーシとウクライナの出身で、ユダヤ人排斥の動きを逃れてアルゼンチンに移住した。 

5歳のとき母親にピアノの手ほどきを受け、その後は父エンリケに師事。両親のほかにピアノの指導を受けてはいない。少年時代から音楽の才能を表し、1950年8月まだ7歳のうちにブエノスアイレスで最初の公開演奏会を開いてピアニストとしてデビュー。

シェーンベルクは馴染みがないので貼り付けてみました。

ピアニストとしての名声を確固たるものとした後、1966年からイギリス室内管弦楽団とモーツァルトの交響曲録音を開始し指揮者デビューを果たす。

1970年代からは、欧米各地の交響楽団から指揮者として招かれる。

1975年から1989年までパリ管弦楽団音楽監督に就任しドイツ・オーストリア音楽や現代音楽を積極的にとり上げるが、同楽団の低迷を招いたとマスコミから攻撃されるなど、評価は必ずしも芳しくなかった。

しかし、フランス物に偏らないプログラムを演奏したり、団員と積極的に室内楽を演奏するなど、良くも悪くもフランスのオーケストラだった同楽団をよりインターナショナルな団体へと脱皮させたのはバレンボイムの功績といえる。

バレンボイムのベートーベンのソナタは全曲サブスクで聴けるのでよく流しています。1番の4楽章を知ったのもバレンボイムからでした。『作品の中の音楽』では1楽章を女の子が、4楽章を少年が発表会で弾いています。ベートーベンをタイトルに付けるとアクセス数が多い。

ピアノソナタ第23番ヘ短調 作品57熱情アパショナータ)』

曲は燃えるような激しい感情を寸分の隙もない音楽的構成の中に見事に表出しており、ベートーヴェンの最高傑作のひとつに数えられる。

カール・チェルニーはこの作品について「強大かつ巨大な計画をこの上なく完璧に遂行したもの」と表現した。

ピアニストらは劇的な情熱が現れる中にも正確なリズムを維持するよう説いており、演奏には非常に高度な技術が要求される。作曲者自身もこの曲の出来に満足するとともに内容を気に入っていたらしく、当時は他のジャンルにおいて引き続き旺盛な創作をみせたにもかかわらずピアノソナタには4年のあいだ手をつけなかった。

石桁真礼生は、本曲の各楽章を「苦悶・静かな反省・勝利の歌」と評している。なお、ベートーヴェンは1803年にエラール製のピアノを贈られており、この楽器によって拡大された音域が曲中で存分に活用されている。

本作は第21番(ヴァルトシュタイン)、第26番『告別』と並んでベートーヴェンの中期ピアノソナタを代表する作品であり、第8番『悲愴』、第14番(月光)と合わせてベートーヴェンの三大ピアノソナタとされることもある。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC23%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

1991年よりゲオルク・ショルティからシカゴ交響楽団音楽監督の座を受け継いでからは、卓越した音楽能力を発揮し、現在は世界で最も有名な辣腕指揮者のひとりとして知られている。

ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインから近年のギュンター・ヴァントやカルロ・マリア・ジュリーニ、ガリー・ベルティーニに至るまで、第二次大戦後に活躍してきた指揮界の巨星が相次いで他界した後の、次世代のカリスマ系指揮者のひとりとして世界的に注目と期待が集まっている。

なお2005-2006年のシーズン終了後のシカゴ交響楽団音楽監督を退任。2009年、2014年、および2022年の元日にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートを指揮した。また、2019年には指揮者デビュー50年に際し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の「名誉指揮者」の称号を授与された。「名誉指揮者」の称号が与えられるのはベルリン・フィルではバレンボイムが初めてである。

ピアノソナタ第32番 ハ短調作品111は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1822年に完成した最後のピアノソナタ。

この曲の完成をもってベートーヴェンは初期より続けてきたピアノソナタ作曲の筆を折る。

曲はアレグロで対位法的書法を駆使した情熱的なハ短調のソナタ形式と、アダージョで美しいハ長調の変奏曲という、ベートーヴェンが後期ピアノソナタにおいて体現してきたすべての要素を凝縮したかのような対照的な2楽章からなる。

2楽章という際立った対比について、「輪廻と解脱」(ハンス・フォン・ビューロー)、「此岸と彼岸」(エトヴィン・フィッシャー)、「抵抗と服従」(ヴィルヘルム・フォン・レンツ)など、過去にも様々な形容がなされてきた。ベートーヴェン自身は曲が2つの楽章で終わることについて伝記作家のアントン・シンドラーに問われた際、ただ「時間が足りなかったので」とのみ述べたとされる。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC32%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

すごい動画を発見しました。

ジャクリーヌ・デュ・プレのチェロ、ダニエル・バレンボイム指揮ロンドン交響楽団によるドヴォルザークのチェロ協奏曲のライヴ録音。1968年9月にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでおこなわれたライヴで、前月に起きたソ連によるチェコの軍事介入、いわゆる「チェコ事件」に抗議するためにおこなわれた演奏会の模様とのことで、最近になって発見された映像だそうです。舞台と客席には花が飾られ、舞台奥には何か(国連?)の旗も見えます。

デュ・プレのドヴォ・コンは、ディスクでは既に3種(チェリビダッケ、グローヴズ、バレンボイム)ありますが、映像はこれまで見たことはありませんし、断片でさえも公になったものはなかったと思います。ですから、この動画は、デュ・プレのチェロを愛するファンに限らず、歴史的にみても非常に貴重な記録だろうと思います。白黒で音声もモノーラルですが、鑑賞に支障はなく、特にデュ・プレの素晴らしい演奏を堪能できます。音楽に完全に没入し、作曲者が遠いアメリカの地から故郷チェコを思って楽譜に込めた郷愁を、これ以上はないというくらいに熱く歌う演奏で、それを彼女の姿を目の当たりにしながら聴くことのできる幸せは何物にも代えがたいものがあります。

この頃のデュ・プレは、前年に結婚したバレンボイムとともに、多忙な演奏活動を続け、数々の名盤を生み出していた時期。ユダヤ教に改宗したり、戦争が勃発した中東に赴いて民衆に音楽を届けたりと、常にバレンボイムと共に行動していましたが、チェコ事件に関しても、音楽を通して「発言」をしていたとは初めて知りました。若干疲れ気味に見えるのも、過密なスケジュールを縫っての演奏だったからでしょうか。

それにしても、彼女の力強さと柔らかさを兼ね備えた右手のボウイングにはほれぼれしますし、大きなヴィブラートをかけながら自由自在に指板を駆け巡る左手のテクニックの確かさは見ているだけで楽しい。そして、鋭い眼光を放ちながら、凛とした表情で弾く彼女の姿は神々しい。勢いあまって音程が上ずったりする場面もあって、決して万全の状態とは言えないかもしれませんが、天才チェリストの輝きを随所で感じることのできる演奏に私は泣き濡れてしまいました。

第3楽章を弾き始めた瞬間にA線が切れ、彼女が笑顔で「ごめんなさい」と言っていったん退場し、演奏をやり直す場面もカットされずに収録されていて、非常にナマナマしい記録になっているのも、いい。聴衆も拍手で彼女を迎えて、あたたかい雰囲気の中で演奏がおこなわれたのだろうと想像します。

http://nailsweet.jugem.jp/?eid=1395

3楽章冒頭では弦を切るハプニングも(29分過ぎ。32分過ぎから再開)。


まだパソコンもない頃、デュ・プレの『エルガーのチェロ協奏曲』の映像が観たくて、YAMAHAまでDVDを探しに行きました。当時五千円以上した。今は簡単に無料で観られるけど……コマーシャルの入れ方、なんとかならないものか?

同じ曲ですが、あまりにも批評がすごいので……

ひとつ上の動画は消えてしまうかもしれないので。

20世紀を代表する名女流チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレ(1945-1987)の残したレコーディングの代表作。夫バレンボイムのサポートで、古今屈指のチェロ協奏曲であるドヴォルザークの名品が録音されたのは、1970年11月11日、つまり不治の病である多発性硬化症を発症する直前、彼女のキャリアの絶頂期であった。ここでのデュ・プレは、いつもながら聴き手の胸に電流が走るような迫真の感動を与えてくれる。彼女のチェロを聴いて冷静でいることは、ほとんど不可能だ。クライマックスで軋みを立ててバリバリと弾き進む怒涛の勢い、ピアニシモでのめくるめく高速パッセージ、込めすぎるくらい痛切な気持ちのこもった歌。デュ・プレのチェロは、「演奏している」という次元をはるかに飛び越え、多少の乱れなどものともせず、音楽の本質を鷲掴みにせんとする気迫と確信だけが炎のように燃えさかっている。もちろん力任せではなく、第2楽章終盤のモノローグ風の部分や、第3楽章の終結部の前の静かに名残を惜しむ回顧的な雰囲気など、じっくりとテンポを落として沈思する。この辺の組み立ても素晴らしく、この曲の良さを味わいつくせる演奏となっている。

惜しむらくは録音がやや古いこと。ARTリマスタリングの力を持ってしても、オーケストラのスケール感を再現するところにまでは至っていない。しかし、デュ・プレのチェロの生々しさは充分に捉えられている。(林田直樹)

短期間に膨大な演奏や録音をこなすことでも知られる。常時暗譜でピアノ演奏できる曲目は300曲を超えるといわれている。

2018年、シュターツカペレ・ベルリンを率いたアルゼンチン公演では、ブラームスの『交響曲第2番』の第1楽章が終わった瞬間に聴衆が拍手とブラヴォーの掛け声をかけたために、第2楽章に入る前に観客に最後まで聞くように諭した。また、オーケストラ後方席からフラッシュを伴う写真撮影した聴衆に対して「そんな道具を持っていたらオーケストラに拍手を贈ることができないでしょ?」とユーモアを交えた注意を与えている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%A0

バレンボイムは、イスラエルによるヨルダン川西岸地区やガザ地区の占領に批判の声を上げ続け、パレスチナ人との連帯の意思表示として、イスラエルのユダヤ人入植地、とりわけヨルダン川西岸地区において演奏活動を行なってきた。


2005年9月、イスラエル陸軍ラジオの記者に対し、軍服を着た者とは話したくないとインタビューを拒否したところ、イスラエルの教育大臣はバレンボイムを「本物の反ユダヤ主義者」だと非難した。

2008年1月、パレスチナ自治政府から名誉市民権を与えられた。


2009年1月、まさにイスラエルの2008年~2009年ガザ侵攻のさなかに行われた、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートにおいて、指揮者バレンボイムは「2009年が世界平和の年になるように、中東で人間の正義が行われるように、私たちは期待します」

と英語でスピーチした。これに先立ってバレンボイムは声明を発表し「私たちユダヤ人は、無辜の民の虐殺がどれほど非道で許せないものかを、他の誰よりも痛感しているはずだ」とし、イスラエルに対して「より賢明な行動を」と、パレスチナとの共存を訴えた。

イギリスのガーディアン誌は「勝利の幻想」と題してその声明の全文を掲載した。

心に痛みを感じながら、私は今日お尋ねしたいのです。征服と支配の立場が、はたしてイスラエルの独立宣言にかなっているでしょうか、と。

他民族の原則的な権利を打ちのめすことが代償なら、一つの民族の独立に理屈というものがあるでしょうか。

ユダヤ人民は、その歴史は苦難と迫害に満ちていますが、隣国の民族の権利と苦難に無関心であってよいものでしょうか。イスラエル国家は、社会正義に基づいて実践的・人道主義的な解決法を得ようとするのではなしに、揉め事にイデオロギー的な解決を図ろうとたくらむがごときの、非現実的な夢うつつにふけっていてもよいものでしょうか。

イスラエルとパレスチナ。チェコ事件。ベルリンの壁崩壊。アパルトヘイト。黒人奴隷。亡命。ウクライナ……戦争、紛争と音楽家。自分は無知だった……

【ベルリン共同】世界的指揮者として知られるダニエル・バレンボイム氏(80)は6日、健康状態を理由にベルリン国立歌劇場の音楽監督を今月31日付で退任すると発表した。

声明で「昨年、健康状態が著しく悪化し、音楽監督に期待されるパフォーマンスを提供できなくなった」と説明。

ドイツメディアによると、昨年10月に「深刻な神経疾患と診断された」とし、一部の活動を取りやめると発表していた。

(2023年1月6日)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ダニエル・バレンボイム

より引用しました。

1話目から長くなりました。分ければよかったかな。どんどん増えてしまうのです。
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