第21話 ステンカ・ラージン

文字数 3,232文字

中学のとき親しかった高砂さん、国語と歴史の成績はずば抜けていた。コーラス部で歌も上手。国語の授業中、どういう経緯か忘れたが、歌詞の説明をして『ステンカラージン』を歌った。アカペラで。

ふと思い出し、調べてみたら……省略されていた部分が。YouTubeのコメント読んだらすごい非難が。

ロシヤ民謡の主人公ステンカ・ラージンは、17世紀ロシヤの農民反乱の指導者である。

当時のロシヤは、アレクセイ皇帝を戴き、東方へと版図を広げていたが、後に小国に転落してしまうスウェーデンやポーランドが、当時は大国で、南方にはイスラーム教のオスマントルコがあり、戦を繰り返していた。

コサックというのが、その軍隊の重要な一部をなしていたが、これはカスピ海の北側、ドン川とヴォルガ川の周辺に住まう、兵士にして農民の一群で、ロシヤ皇帝に雇われて戦地に赴いていた。ピョートル大帝出現以前のロシヤは、皇帝の権力もあまり強くなく、大貴族が支配していた。

たび重なるトルコとの戦いに駆り出されたコサックは、給料の不払いに不満を募らせていた。ステンカは本名をステパンといい、コサックの指揮者の次男に生まれたが、兄は反乱の罪で処刑されていた。

たくましい若者に成長したステパンは、ステンカのあだ名で呼ばれ、ロシヤ貴族への不平不満のたまった農民たちの間で指導者となり、遂に謀叛を起こす。

まずカスピ海を下り、ロシヤの同盟国であるサファヴィー朝のペルシア帝国へ攻め入ったのである。

https://president.jp/

与田準一訳詩
覚えている歌詞は、


ヴォルガの流れは果てなく続き

今宵も宴は??


うるわしペルシャの姫を迎えて微笑むステンカラージン何を思える


ドンコサックの??起こるそしりを??


検索してもこの歌詞は出てきません。

妹尾幸陽訳詩
日本語なのに、ロシア語と同じ巻き舌が。
ステパン・ラージンは16世紀の農奴解放の先駆的な首領。ステパンがステンカと変わっているのは愛称である。

 僚原の火の如くヴォルガにそったドン地方は農奴が解放されていき、ロシヤ帝国は大揺れにゆれる。
 一方ステパンはペルシャを席捲してそこの姫をうばって愛妾とした。この時代が彼の堕落時代で・ペルシャ姫の愛慾に酔い痴れる。怨嵯の声が周囲に起こった。民は永い間の戦いに疲れ、飽い、そして飢えている。
 この歌曲はつまりそうしたステパンの沈倫を歌い、豪しゃな生活を描き、やがて彼の悔恨と、一切をすてて再蹴起しようと決意して、泣き叫ぶ姫をヴォルガの河底深く投げ込むまでの、壮大な歴史的、英雄的ロマンチシズムを叙したものだ。
 歌詞は誰れが作ったか不明である。おそらく無数のひとびとの口によって当時が叙せられ、統一していき、更に洗練と推敲が加えられ、ずっとあとになってから、だれか天才的な編集者の手によって、一つの詩に纒めあげられたものであろう。
 ことにこの民謡は革命をなしとげたソヴェートの指導者たちに愛唱されたし、そのような要素で貫かれた歌だ。そうした政治的匂いとは別に「ステンカ・ラージン」の歌曲としての価値は最早永遠なものとみていいだろう。
1960/01/28 百瀬三郎【島村喬】

ステンカ・ラージン
ロシア民謡
サドフニコフ作詞

島陰から河の中央へと
河波の広がりの中へと
漕ぎ出てきたのは色鮮やかな
舳先の尖った舟の群れ
漕ぎ出てきたのは色鮮やかな
舳先の尖った舟の群れ

先頭の舟ではステンカ・ラージンが
姫と抱き合って座り
新たな婚礼をあげている
陽気に酔いながら
新たな婚礼をあげている
陽気に酔いながら

だが姫は瞳を閉じて
生きた心地も無く
黙ったまま酔い痴れた
アタマンの言葉を聞いている

彼らの後ろから不平の声が聞こえる
「我等を女と取換えよった
たった一晩、女と過ごしたら
翌朝には自分も女になっちまった」

この不平と嘲笑を
怖ろしいアタマンは聞き付けた
そしてその力強い手で
ペルシアの姫の体を抱きかかえた
そしてその力強い手で
ペルシアの姫の体を抱きかかえた

黒い眉が寄り
雷が落ちようとしている
アタマンの瞳が
赤く血走った

「何も惜しまない
この猛々しい首もくれてやる」
威厳に満ちた声が
あたりの岸辺に轟き渡った

「ヴォルガ、ヴォルガ、生みの母よ
ヴォルガよ、ロシアの河よ
ドン・コサックからの贈り物を
お前は見たことが無いだろう!

自由な者たちの間に
不和の種を蒔かぬためだ
ヴォルガ、ヴォルガ、生みの母よ
さあ、受け取るがいい、美しい娘を!」

彼は力強き手で
美しい姫を抱き上げて
打ち寄せる波の只中へと
舷から彼女を投げ込んだ
打ち寄せる波の只中へと
舷から彼女を投げ込んだ

「どうした悪党め、何故黙っている?
えい、フィールカよ、畜生め、踊れ!
兄弟よ、雄雄しく歌声響かせて
彼女の魂慰めよう!
えい、兄弟よ、雄雄しく歌声響かせて
彼女の魂慰めよう!」

島陰から河の中央へと
河波の広がりの中へと
漕ぎ出てきたのは色鮮やかな
舳先の尖った舟の群れ
漕ぎ出てきたのは色鮮やかな
舳先の尖った舟の群れ



 ステパン・ラージン(1630-1671)を歌った民謡の中では、おそらく最も有名なもので、日本でも与田凖一(1905-1997)の訳(「久遠に轟く ヴォルガの流れ~♪」)により古くから愛唱されてきた。

 歌詞を見ると、今の時代、批判が恐ろしくて女性の前では歌えないような……


 歌詞は民俗学者・詩人のドミトリー・サドフニコフ(1847-1883)が亡くなる年に「ヴォルガ通報」に発表した詩が元となっており、1890年頃には早くも民謡化していたと言われている。

 
 この曲も様々な版の歌詞があり、ロシア革命後の1917年から歌われる歌詞は全部で11番(1番の繰り返しを含めると12番)からなる長大なものが、その全てを歌い通すということは滅多になく、適宜抜粋して歌うのが普通となっている。

 バス歌手のエフゲニー・ネステレンコ(1938-)はこの曲を2度メロディアに録音しているが、8番(「ヴォルガ、ヴォルガ、生みの母よ」)を除く10番を丁寧に歌っている。

 最初の録音が日本で発売された際、解説を書かれた北川剛氏が「史上最高の名演!」と絶賛した。

 アレクセイ・セルゲーエフを独唱に立てたアレクサンドロフ・アンサンブルの演奏では、青色部分を省略した1,2,4,5,8,10,11,繰り返しの1番の順で歌われている。

https://krasnayaarmiyakhor.web.fc2.com/lyric/176_Stenka_Razin.html

【ステパン・ラージンの処刑】
 ラージンは、盗賊団の首領として大規模な海賊行為を繰り返し、ペルシャの民衆なども大量虐殺、ロシアの政府にも反逆し、農奴制を廃した、貴族と官吏のいない平等な国をつくると謳って多くの人々を巻き込んで戦闘をおこなった。

 しかし装備の勝る政府軍に敗北して捕えられ、公開の場で両手、両足を切断ののち、頭を切り落として処刑された。


 ショスタコーヴィチと意気投合した若い詩人、エフゲニー・エフトゥシェンコが書き上げた「ステパン・ラージンの処刑」は、刑場に連行され刑を執行されるまでの様子を描いた。
 題材的には、ロマノフ王朝時代の政府に対して反旗を翻した人物の処刑ということもあってか、ソ連政府からは特に睨まれることも無く、1964年に無事初演され、1968年にはグリンカ賞すら受賞している。
 作品は、モスクワの広場にラージンが引かれてくるところから始まる。

 野次馬たちがラージンに唾を吐きかけて罵ると、集まった民衆たちがどよめくという場面は独特の迫力があり、やがてラージンの独白を受け、民衆が、唾を吐きかけているのは自分自身に対してではないかと自問するところや、警官が登場して民衆に対し、ラージンの刑執行を祝うよう迫るあたり、そして刑執行からエンディングまでの緊迫感など、ショスタコーヴィチの筆致も冴え渡っている。

https://www.hmv.co.jp/news/article/1307140002/

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