第20話 最高の歌唱 人生の宝
文字数 1,926文字
尾崎 紀世彦(1943年1月1日 - 2012年5月30日)は、日本のポップス歌手。ダイナミックな歌唱力と、立派なもみあげや髭がトレードマーク。
バレエダンサーの両親のもと、現在の東京都渋谷区に男3人兄弟の次男として生まれ、小学校入学時より神奈川県茅ヶ崎市で育つ。
父方の祖父はイギリス人。本人は日英クォーターである。
幼少の頃から米軍向けラジオFENでジャズやカントリー等に親しんでいた。茅ヶ崎市立第一中学校卒業後、YMCA国際ホテル学校へ進学する。
趣味は小学生で始めたサーフィン、乗馬、祭りの神輿担ぎ、ハーレーの収集とツーリング、縦目メルセデス(オールドベンツ)でドライブ、ヨット、沖縄でスクーバ、射撃、銀細工、シルバーアクセサリーの収集、料理。
1971年、『また逢う日まで』『さよならをもう一度』『雪が降る』『愛する人はひとり」が次々とヒット。
『また逢う日まで』が売り上げ100万枚を突破、第13回日本レコード大賞大賞と第2回日本歌謡大賞大賞をダブル受賞する。
1972年の読売新聞に、中学時代の高梨先生が投書なさり、尾崎紀世彦さんはそれに答えて、6日後に新聞に投書した。
新聞上の往復書簡。
「レコード大賞のO君。学歴社会気にせず自分の道切り開く」
「先生、私は歌の道貫きます」
<おくやみコメント>
◆尾崎紀世彦さんと同じころデビューした歌手研ナオコ
私の大好きな友達が亡くなりました。とても優しい方でおしゃれ。彼の歌は誰もまねできない。素晴らしい歌手でした。残念で仕方ないです。
◆98年に尾崎さんの歌声を題材にした舞台「昨日たちの旋律」を作った三宅裕司
「THE夜もヒッパレ」で尾崎さんの生の歌声を聞いて、あまりの素晴らしさに尾崎さんの歌声を題材にした芝居を作り、ご本人にも出演していただきました。本当に残念です。
◆タレント中山秀征
尾崎さんとは(司会した)「THE夜もヒッパレ」の時、大変お世話になりました。収録時、いっさい手を抜かない姿勢に、プロの歌手のすごさを感じると同時に、尾崎さん流に歌うかっこよさに感動しました。バイクに革ジャン姿が、今も目に焼き付いています。
◆音楽評論家富沢一誠氏
歌い手として、日本人離れしたダイナミックな歌い方、大きな歌唱力がすごかった。彼がすごいのは、「また逢う日まで」を大ヒットさせたこと。彼がいなかったらヒットしていなかったと思う。この歌は当時、作詞家の阿久悠さんが、時代のマニフェストソングとして出した。阿久さんは、新しい、1970年代の男と女のあるべき姿をこの歌に託した。それを歌えるのは、日本的な、ちまちました、せこい男じゃダメだった。ダイナミックな歌唱で堂々と、明日に向かって歌い上げるようなボーカリストが必要とされていた。それに見事に彼はこたえた。彼がいなかったら、なかった歌だった。
◆音楽評論家反畑誠一氏
デビュー前にライブハウスでカントリーをカバーしていたころから、歌のうまさには定評があった。Jポップという言葉もなく、ポップスといえば海外から入ってくるものと思われていた時代。パワフルな歌唱力で「また逢う日まで」を歌い上げ、欧米と肩を並べるような日本の正統派ポップスという世界に夢を与えてくれた。大人の歌い手が求められている今、円熟味が増した歌声をもっともっと聴かせてほしかった。
日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/p-et-tp0-20120602-961026_m.html
歌詞の内容は旧約聖書とは関係がなく、別れた恋人をシバの女王に例えたものである。
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