第7話

文字数 3,824文字

「えっ」
 咲は顔をあげて草太を見た。
「おれのとこにいれば生活費は浮くだろ。そのぶん金貯めて、やりたいことやればいいんじゃねえの」
 草太のいう「うち」が鹿島家のことを指しているのだと理解すると、咲はほっとして力を抜いた。咲の実家に帰れといわれたのかと思った。
「それに、うちならいつもだれかしらいるし、多少は安全だろ。おまえさ、危なっかしいんだよ。見てらんねえ」
 おそらく、秋吉夫人のいったことを気にしているのだろう。咲は居住まいを正して草太に礼をいう。
「心配してくれてありがとう」
 草太が小さく舌打ちする。
「この頑固者」
「うん、ごめん」
 実家に帰れとはいわない草太は、もしかすると咲の事情を知っているのかもしれない。
 弁当屋に雇われるまえに、咲は店主とおかみさんにだいたいの事情は話している。当時、中学生だった草太には話していないが、もしかしたら両親からそれとなく聞いているのかもしれない。
「気を付けるから、大丈夫」
「いや、無理だろ。おまえのいう大丈夫は信用できねえ」
 一蹴された。
「いいか。暗くなったら絶対家から出るな。だれかきてもドアを開けるな。昼間でも、なるべくひとりで出歩くな。外に出るときはおれを呼べ」
 無茶なことをいう。
「あー、くそ、おまえ、携帯持ってねえんだよな。安いのが出まわってるから、このさい買え」
「そ、そこまでしなくても。携帯なんか使わないし」
「ああ?」
「う」
「とりあえず防犯ブザーだな」
 なにやらものものしいことになってきた。

 *****

 それからしばらくのあいだ、なにごともなく穏やかな日々がつづいた。さっそく持たされた防犯ブザーも、幸いなことに出番はなかった。
 二月に入ったある日のこと。
 学校帰りの生徒らしき制服姿の女の子の三人組が、遠巻きにこちらを見ていることに咲は気付いた。
 日が沈みかけて薄暗くなった空の下、街灯のあかりに照らされた女の子たちはそれぞれ髪が長く、スカートが短い。
 なんだろう、買いものをするような雰囲気ではない。お客さんがつづいて少しばたばたしたあと、次のお客さんだと思って「いらっしゃいませ」と声をかけたら、先ほどの三人組だった。
 ものすごく、咲を見ている。
 なんだか居心地の悪い思いをしながら、咲は首を傾げて彼女たちを見つめ返した。
「なんだ、大したことないじゃん」
 ひとりの女の子がつぶやいた。それにつられたように、ほかの子たちがくすくすと笑う。
「冗談なんじゃないの」
「だよねー」
「だってあの鹿島がさー」
 鹿島、という言葉に咲ははっとした。草太の友達だろうか。それか彼女、と思ってどきっとしたが、どうやらそういう感じでもない。戸惑っていると、咲の背後から声がした。
「お嬢ちゃんたち、悪いけど、冷やかしなら帰りな」
 少女たちは声の主を見ると、揃ってぽかんと口を開けた。
「……そっくり」
 いちばん手前にいた子が呆然とつぶやくと、「やばいよ、いこ」とほかの子がうながして、結局わけがわからないまま去っていった。
「あの、おかみさん、今の」
「ああ、気にするこたないよ。たまにいるから」
 翌日、謎は解けた。
「いらっしゃいませ……あっ」
「やっほー、さきちゃん」
 店のショーケース越しに見覚えのある顔が覗いた。つんつんした髪に人懐こそうな顔。
「えっと、木下くん?」
「ピンポーン! 覚えててくれたんだ」
 草太の幼馴染みだという木下少年だった。声を聞きつけたおかみさんが咲の後ろから顔を出す。
「あら、あんた、誠くんじゃないか。ずいぶんご無沙汰だねえ。すっかり男らしくなって見違えたよ」
 学校帰りなのだろう、詰襟姿の木下は首を竦めて照れくさそうに頭を掻いた。
「へへ、おひさしぶりです。相変わらずお美しいっすね」
「おー、一丁前にいうようになったじゃないか。さては彼女のひとりやふたり、できたのか」
「そうだといいんですけどねー、全然ないっす。おれ、鹿島みたいにモテないんで」
「んなことねーだろ。周りの女が見る目ねえだけだ」
「おばさんが女神に見えます」
「ああ? おかみさんと呼べおかみさんと」
「あう、すいませんっした!」
 軽妙なやりとりがおかしくて咲は思わず笑ってしまう。
「さきちゃんに笑われたー」
「あんたたち、知り合いなのか」
 おかみさんが不思議そうに尋ねる。咲はうなずいて説明した。
「まえに、草太くんと買いものにいく途中で偶然出会って、そのときに」
「ああ、そういうことか。草太のやつ、学校の友達連中には店にくるなってほざいてるらしいからな」
 そういえば、この木下もたしかそんなことをいっていたと咲は思い出す。
「あいつのことは放っといていつでもこいよ」
「や、無理っす。まだ命が惜しいんで」
 木下はぶるぶるとかぶりを振る。草太はよっぽど恐れられているようだ。それなら今日はなぜ、と疑問に思ったのがわかったらしく、木下は咲にささやいた。
「仕事中にごめん。鹿島が帰ってくるまえに伝えないとって思って。あ、おば、じゃないやおかみさん、コロッケ弁当ひとつください」
「はいよ」
「あの、もしかしたらの話だけど、うちの高校の女子がきたりした?」
「え」
 唐突な言葉に咲はきょとんとする。すぐに、昨日の少女たちのことが頭に浮かんだ。紺色のブレザーに緑のチェックのプリーツスカート。あれは草太の通う高校の制服だ。
「やっぱりそうか」
 咲の反応から察したらしく、木下はがっくりとうなだれる。と思ったら、顔の前で両手を合わせていきなり謝罪した。
「ほんとごめん! すみません! おれのせいです」
「え?」
「口が滑って、ついぽろっとさきちゃんのこといっちまって」
 話が見えない。
「うちのクラスの女子から鹿島のこと聞かれて。ほら、鹿島、あんなだから、自分のことは絶対にしゃべんないしそっけないし、さすがに女子たちも本人には聞けないらしくて」
 要領を得ない話に咲はますます首を傾げる。
 混み合うにはまだ少し早い時間帯なので、木下と話していても仕事に支障はない。それに今は、いちおう、木下もお客さんだ。ほかのお客さんを相手にするときのように、咲は話を聞く態勢に入った。
「なにを、聞かれたんですか」
「なにって、え、あっと……、そう、ほら、鹿島の周りに女の子がいるのかどうかって!」
 木下はやけに焦ったようにしどろもどろに説明する。どうしてそんなにあわてるのだろうと訝しく思いつつも、咲は昨日の少女たちのようすを思い出していた。じろじろと無遠慮に眺めてきたあからさまな視線。好意的なものではないのはあきらかだった。
 こう見えてもいちおう、咲も女のはしくれだ。いくら鈍いとはいえ、だんだんわかってきた。
「ええと、あの子たちは、草太くんを……すき、っていうこと?」
 咲の言葉に、木下は目をぱちくりさせると、あーとかうーとかぶつぶつとひとりでつぶやいたあと、こくりとうなずいた。
「あー、まあ、そういうこと、かな」
 なんとなくわかった。彼女たちは草太のことが好きで、草太の周りにいる、自分たちと同じ性をもつ女の子の存在が気になって見にきた、というわけだろう。その行動には思いあたるふしがある。
 咲が中学生のとき、仲の良かったグループの子に好きな男の子がいて、毎日のように彼の話を聞かされていた。その男の子がほかの女の子と話しているだけでものすごく傷付いたような顔をしていたし、いつも不安そうだった。
 好きな男の子がいなかった咲には彼女の心中はよくわからないけれど、とにかく些細なことで一喜一憂する友だちを、眩しいもののように感じながら、それでもうんうんと話を聞いていたことを思い出す。
 昨日やってきた少女たちも、たぶん、そういうかんじなのだろう。
「ほんとごめん。あいつらになんかいわれなかった?」
「え、あ、ううん、なにも」
 大したことないじゃん、といわれたくらいだ。あれは咲のことなのだろう。草太の身辺をうろちょろする女がどんなものかをわざわざ覗きにきたのなら、そんな必要はないのにと思う。
 彼女たちはかわいかった。女の子らしく身だしなみにきちんと手間暇をかけているような印象を受けた。顔かたちがかわいいわけでもなく、お洒落に疎くて部屋も散らかり放題というなまけぐせのある咲とは大違いだ。
 自虐的なつもりはないが、そう思うと、なんだか果てしなく落ち込んできた。
「それならよかった。そういうのがあるから、鹿島、学校のやつらには絶対に店にくるなっていうんだよね、たぶん。鹿島目当てで店の周りをうろちょろするやつ、けっこういたから」
「え」
「ほら、あの見た目だから、鹿島にその気はなくても向こうから寄ってくるわけっすよ。ちくしょー、うらやましいやつめ」
「口が軽い男は嫌われるぜ」
 唇を尖らせていた木下と咲のあいだに、弁当が入ったビニール袋が割り込んでくる。おかみさんだ。
「わ、今の内緒で! 鹿島には黙ってて」
 あわてふためく木下に「ふん、どうしようかな」と意地の悪いことをいいながらおかみさんはにやにやと笑う。
「おかみさーん」
 情けない声ですがる木下のほっぺたをむにっとひっぱりながらおかみさんはいった。
「うちの看板娘になんかあったら承知しないからな。ああ?」
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