第25話

文字数 3,897文字

 舌打ちしそうな草太に、咲はびくっと顔をあげる。
「迷惑なわけねえだろ。わかれよそのくらい」
 痛々しく変色した顔で睨まれるといつも以上に迫力がある。条件反射のごとく、首を竦めてぎゅっと目を瞑った咲に小さく舌打ちすると、草太は吐き捨てるような口調でいった。
「こんなかっこ悪いところ見られたくねえんだよ」
 思いがけない言葉に、咲はきょとんとして草太を見あげる。
「くそ、ただでさえ醜態ばっか晒してんのにまた顔腫らしておまけに寝込むとか。ありえねえだろ」
 かっこ悪い? 醜態を晒す?
 咲は瞬きをしながら草太を見る。
「かっこ悪くなんかないよ」
 思わずそういい返すと、草太は驚いたように目を瞠る。
「草太くんはいつも格好いいよ。やさしいし、いつも助けてくれるし。怒るとこわいけど」
 つい口が滑った。でこぴんが飛んでくるかと身がまえたが、草太はまだぽかんとした顔をして固まっている。ほっとして咲はつづけた。
「かっこ悪いなんて思ったことないよ」
 はにかむようにしてふにゃりと笑うと、心なしか草太の顔が赤くなった気がして咲は身を乗り出す。
「草太くん、大丈夫? 熱があがったんじゃ」
 とたんに強い力で抱き寄せられて咲はびっくりして硬直する。
「くそ、おまえほんと、」
 咲の髪に顔を埋めるようにして、草太はくぐもった声でもごもごとつぶやく。抱きしめられた身体が熱い。草太の身体が熱い。
「そ、草太くんっ」
 すり、と首筋に鼻先をこすりつけられてぞわぞわする。この展開はよくない。これまでの経験からいくと間違いなくまずいパターンだ。
 なんとかして草太を押し戻そうとするが、背中にまわされた両腕ががっしりと咲をとらえていて、いっこうに緩む気配がない。あわあわと悶える咲の頭に、珍しく閃くものがあった。
 押してだめなら引いてみろ、の逆だ。一か八か。
 咲は体重をかけて草太の身体を押し倒した。
 逃げようともがいてもびくともしなかった草太だが、咲のほうから身を寄せると、予想していなかったのかあっさりと背中からシーツのうえに倒れ込む。もちろん咲自身も道連れにして。ベッドのスプリングが軋んで身体が弾む。草太の手が緩んだ隙に咲は身体を起こした。
 つかのま目をまるくしていた草太は、咲を見あげてニヤリと笑う。
「大胆だな」
「え」
「まさかおまえに押し倒されるとはな」
 草太を下敷きにして、咲はそのうえに馬乗りになっている。
「こ、これはっ、草太くんが離してくれないから」
「へえ?」
 草太のうえからおりようとすると手を掴まれた。
「咲」
 名前を呼ばれて視線を向けると、草太は熱に潤んだ瞳で咲を見つめる。
「好きだ」
 まっすぐに飛んできた直球をまともに食らって咲は息を呑んだ。じわじわと真っ赤に染まっていく咲の顔を見届けると、してやったりという表情を浮かべて草太は目を閉じる。
「さすがに疲れた。寝る」
「う、ん」
「ちゃんと部屋に戻れよ」
「ん」
 ほどなくして草太の寝息が聞こえてくる。咲はぎこちない動作で草太のうえからおりるが、それ以上離れることができない。
 草太はしっかりと咲の手を握ったまま眠りに落ちていた。

 *****

 木曜日。
 昨日、ようやくおかみさんの許しが出てアパートの部屋に戻った咲は、今日も引きつづき苦手な掃除に励んでいた。
 朝のうちに、今回の一件で心配をかけてしまった隣人の秋吉夫人を訪ねて挨拶を済ませた。温厚な夫人は「元気になってよかったわ」と笑って、今やすっかり家族の一員となった猫と会わせてくれた。
 秋吉夫人に相談してみたいことがあったのだが、人に頼ることをあまりしないで生きてきた咲は、それをうまく切り出すことができず、結局、胸のうちにしまったまま部屋をあとにした。

 そうして、日が暮れてから草太がやってきた。
 熱は下がったものの鼻声のままで、顔も腫れは引いてきたが痣になっている。英語がプリントされたパーカーの上にダウンジャケットを着込んだ草太は片手に紙袋を提げていた。
「草太くん、具合はどう? 学校は休んだの?」
「休んだ。そしたらうるさいのが押しかけてきて遅くなった」
 咲が首を傾げると、草太は「木下」とだけ答える。欠席した草太を心配して木下が家を訪ねてきたのだろう。
「寝てなくて大丈夫? 無理しないでね」
 気遣う咲に、無言で紙袋が差し出される。
「なに?」
「バレンタインのお返し」
「え」
 目をぱちくりさせる咲に、呆れたように草太がいう。
「今日だろ、ホワイトデー」
 いわれてはじめて気付く。そういわれてみるとそのとおりだ。
「あ、ありがとう」
 お礼をいって、おずおずと紙袋を受け取る。なかを覗いてみると、きれいにラッピングされたお菓子が入っている。
「もしかして、手作り?」
「あたりまえだろ」
 さも当然という答えが返ってくる。ということは、この包装も草太が自分でやったのだろう。
「見ていい?」
「ああ」
 なかのものを取り出してみる。いくつかの透明な袋のなかに、種類の異なる洋菓子が詰められている。ひとくちサイズのクッキーが二種類。ほかにチョコレートケーキと、トリュフのようなまるいチョコが五つ。それぞれの袋は花の飾りやリボンがついた留め具で彩られている。
 咲には逆立ちしてもできない芸当だ。
「すごい。こんなにたくさん。それにかわいい」
 感嘆する咲に、草太は不本意そうな顔で説明する。
「風邪で味覚が死んでるから味見できなかった。味の保証はない」
「えっ、もしかして、今日作ったの」
「ああ」
 咲はびっくりしてあんぐりと口を開ける。体調が悪いのに、これだけのものをたった1日で作って、しかもラッピングまで施したのか。
「すごい」
 すごい以外の言葉が出てこない。草太が料理上手で手先も器用なのは知っていたが、こうしてあらためて目のまえにすると感嘆するほかない。
 学校を休んだのに台所に立たせることになって、それっていいのかな、いやよくないよね、と自問自答しつつも、自分のためにわざわざこんなに用意をしてくれたのは、申し訳ないと思うと同時に嬉しいのも事実で。
「嬉しい。ありがとう。食べちゃうのもったいないくらい」
「飾ったりすんなよ、さっさと食えよ」
「いひゃっ」
 ほっぺたをぐにっとひっぱられて涙目になりながら、あれから一ヶ月が経つのだ、と咲は思った。
 いっぱいいっぱいだったとはいえ、これほどの腕を持つ草太相手にあんな歪な形をしたチョコレートをあげたのだと思うと今さらながら恥ずかしくなる。
 草太なら、もっとちゃんとしたおいしそうな手作りチョコをたくさんもらったはずだ。そう考えてしょんぼりする。
「ごめんね。もっと上手に作れたらよかったのに」
「は?」
 急にしゅんとなった咲に訝しげな顔をして草太が聞き返す。
「なんの話だよ」
「バレンタイン」
「ああ……、いや、おまえにしては上出来だったと思うぞ」
「でも」
「でも?」
「ほかの女の子たちは、もっと上手なものをくれたよね」
 草太が沈黙する。ああやっぱりそうなんだと咲はうつむく。自分が不器用なせいだし、今さらどうしようもないことだとわかっているけど、落ち込んでしまう。
「いや、それはねえよ」
 草太がフォローしてくれたが、さっきの沈黙が答えだ。
「おまえのチョコしかもらってねえし」
「…………え?」
 顔をあげると、ニヤニヤと笑っている草太がいた。
「そんな……、だって、まえに木下くんが」
「あ?」
「バレンタインはすごかったって」
「ああ」
 思い出したのか、一瞬、不穏な顔つきになる。
「おれは一個も受け取ってないぞ。まったくその気がないのに期待させんのも悪いし」
「え」
「好きな女以外からは受け取ってない」
 その言葉の意味を理解して咲は耳まで赤くなる。
 そうだったのか。断られた女の子たちの気持ちを考えると複雑な気分になるが、草太の台詞を嬉しいと思ってしまう自分がいた。
 というか。
「草太くん、なんでさっきからニヤニヤしてるの」
 それが気になる。
「おまえでもヤキモチ焼くんだな」
「はい?」
 ヤキモチ?
「ええっ」
「なんで驚くんだよ。おれがほかの女からチョコもらうの、いやなんだろ」
 咲はまじめに考え込む。
 ほかの子からチョコをもらうのがいやというか、自分が作ったほうが絶対にみすぼらしいから恥ずかしいというか草太に申し訳ないというか。
 それがヤキモチなのだろうか。
 草太の周りにかわいい女の子がたくさんいるのだろうことは想像がつくし、仲の良い子もいるだろう。そう考えるとなんだかモヤモヤする。その子たちにも咲にするみたいに、ほっぺたをつねったりでこぴんを食らわしたりするのだろうか。
 それはちょっと、いやかなり、いやかもしれない。
 そうか、いやなのか。
「おい、なんでそこで悩む」
「いたっ」
 ぼんやりしているとおでこを弾かれる。じんじんする額を手で押さえながら草太を見あげる。
「ほかの女の子にもこんなふうにするの」
「おまえな、」
 はあ、とため息をついて草太が答える。
「しねーよ。おれが触りたいのはおまえだけだし」
「さわ」
 絶句する咲に、ぶっきらぼうに草太がいう。
「好きな女が目のまえにいたら触りたくなるだろ」
「いひゃ」
 両頬をそれぞれ反対方向にひっぱられてものがいえなくなる。
「このあいだは悪かった」
「ふぇ?」
「一週間前だよ」
 一週間前。
「見境なかったっつーか、」
 記憶を巻き戻しつつ、いいにくそうに言葉を濁す草太のようすから、あのときのことを謝っているのだと気付く。
「だいたい、おれも悪いけどおまえも悪い。言動がいちいちかわいいんだよ。なんなんだよ。こんなかわいい顔してかわいいこといわれたら理性なんざ簡単にふっ飛ぶっての」
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