第18話

文字数 3,237文字

❬そんな彼女と彼氏の話❭

 木曜日。
 定休日で仕事が休みの咲は、例のごとく部屋で炬燵にもぐり込んでごろごろしていたのだが、図書館から借りていた本の返却日が今日だったことを思い出し、あわてて着替えると本を抱えてアパートを飛び出した。
 それが午後4時まえのこと。
 咲が利用するのはアパートから歩いて片道30分ほどのところにある市立図書館で、本を読むのが好きな咲はよくお世話になっている。
 往復するだけで1時間もかかるのが難点だが、生活費を稼ぐのが精いっぱいで娯楽にあまりお金をかけられない咲にとって、なくてはならない、ありがたい公共施設だった。
 借りていた本のうち残り一冊はまだ読み終わっていなかったので、受付でその一冊だけ貸し出し期間を延長してもらい、ほかにまた新しく借りる本を探すために時間をかけて書架を見てまわる。
 まずは新刊コーナーをチェックして、それから小説の棚へと移動し、ずらりと並んだ背表紙を一冊ずつ眺めては目に留まった本を手に取り、物語の最初の1ページをざっと斜め読みする。それで面白そうだと思ったものを借りることにする。
 これが咲の本の選びかただ。
 文庫や新書なら、裏表紙におおまかなあらすじが書いてあるのでそれを参考にするのだが、ハードカバーの本はあらすじの説明がないものが多いので勘で選ぶ。
 これはこれでなかなか楽しい。
 そんなふうに本を選んでいるとあっというまに時間が経ってしまう。
 窓際の書棚を眺めていた咲は、窓の向こうがすっかり暗くなっていることに気付いてあわてた。時計を持ち歩いていないので、館内を足早に移動して壁に掛けられた時計を確認する。6時を過ぎていた。
 咲は青くなって、借りるために両手に抱えていた本を受付に持っていく。カードを出して貸し出し手続きをすませると、重たいハードカバーの本をバッグに収めてドアへと急いだ。
 焦っていた咲はまえを見ていなかったため、自動ドアから入ってきた人物にもろにぶつかってしまった。
「す、すみませんっ」
 勢いよくぶつけた鼻を押さえて涙目になりながら謝る。顔をあげた咲は、見知った人物の姿に目を見開く。
「あれ、さきちゃん?」
 相手もびっくりした顔で咲を見ている。愛嬌のある顔立ちにつんつんに立てた髪の毛、そして見慣れた学生服。
「え、と、木下くん?」
「ピンポーン! なにしてんのこんなところで、って、本を読みにきたに決まってるじゃんねー」
 木下は相変わらずの陽気さで勝手に自己完結すると、咲の手にある膨らんだバッグを見て目をまるくした。
「え、さきちゃん、そんなに本借りるの?」
 オープン式のバッグなのでなかの本が見えている。今日の咲は五冊借りていた。
「う、うん」
「すげー! おれなんか3ページ読むのが限界だもん。字ばっかりの本って眠くなるんだよねー」
 あっけらかんとそんなことをいう木下にぽかんとしていた咲は、はっとして尋ねた。
「あの、草太くん、一緒じゃない、ですよね」
 尋ねながら、どう見ても目のまえには木下ひとりしかいないことを確認して、咲の声は尻窄まりになっていく。
「鹿島? 今日は部活じゃなかったかな。えっと、待ち合わせ?」
「部活」
 咲はきょとんとしてつぶやいた。草太だって高校生なのだ。クラブ活動をしていても不思議はない。だけど、咲は今まで草太から部活の話を聞いたことがなかった。
 ちょっとぼんやりとしていた咲は、今はそれを気にしている場合ではないと思い出して、木下の問いに答える。
「待ち合わせというか、」
 言葉に詰まる。咲の仕事が休みの月曜日と木曜日、約束をしたわけではないが、夜になると草太がアパートにやってきて一緒にご飯を食べるのが習慣になっていた。
 あのバレンタインの日から。
 それはつまり、お互いに好意を持っていることがわかったから、草太は咲に会いにきているわけで。
 木下にその話をするのはなんだかものすごく恥ずかしい。
 顔を赤くしてへんな汗をかいている咲を見ていた木下は、不思議そうな顔をしてもっともなことをいった。
「連絡してみたらいいんじゃないの?」
「あの、わたし、携帯を持っていないので」
「え、マジで? じゃあおれの携帯使っていいよ。はい」
 あっさりと携帯を差し出されるが、咲には使いかたがわからない。そういうと、木下はあんぐりと口を開けた。
「さきちゃんてひょっとしていいとこのお嬢さま?」
「ま、まさか!」
 ぶんぶんと首を振る咲を、なにか珍しい生きものを見るような目で見ていた木下はおかしそうに笑った。
「さきちゃんって面白いね」
「えっ」
「おれが鹿島に電話するよ」
 お礼をいうまもないほどの早業でアドレス帳を開き電話をかけはじめた木下を、咲ははらはらしながら見守るしかない。
 ロビーへ出る木下のあとを追って咲もドアを通る。
「あ、鹿島、おれおれー。ちょっ、切るなって! おれじゃなくてさきちゃんが用があるんだって!」
 草太が電話に出たらしい。
「さきちゃん、代わろうか」
「えっ、あの」
「あ? 今、図書館のまえ。そう、あそこ。さきちゃん? 今から帰るところみたいだけど、ちょうどばったり出会ってさ。は? いや、べつにいいけど」
 おろおろする咲をよそに、電波の向こうの草太はなにやら一方的に話しているようだ。木下はちらちらと咲を見ながら受け答えをしている。ものの数十秒で会話は終わった。
 携帯をポケットにしまいながら木下が苦笑いを浮かべる。
「今から迎えにいくからここで待ってろだって」
「えっ」
「鹿島がくるまでおれもいるから。ここ暖房効いててあったかいし、一緒に待ってようよ」
「そ、そんな」
「おれと一緒じゃイヤ?」
「そうじゃなくて、木下くん、図書館になにか用事があったんじゃないですか?」
 咲が尋ねると、木下は「あっ」と叫んでぽりぽりと頭を掻いた。
「忘れてた。じゃんけんで負けたから代わりに本を返しにくることになったんだよねー。すぐに返してくるからここで待ってて。絶対に動いちゃダメだからね。おれが鹿島に殺されるからね!」
 物騒な台詞を残して自動ドアをくぐった木下のうしろ姿を咲はぽかんとして見送った。
 言葉どおり、木下はすぐに戻ってきた。隅に置かれていた長椅子に並んで腰かけて草太を待つことにする。
「迷惑をかけてごめんなさい」
 咲と出会ったばっかりにこうして巻き込んでしまったことを謝ると、木下はにこにこしながらいった。
「いーのいーの。さきちゃんひとりにしとくの、なんか心配だし、鹿島に貸しを作っておいて損はないから。ていうか鹿島のお礼目当てだから、さきちゃんは気にしなくていいよー」
「ありがとう。木下くん、いいひとですね」
 思わずつぶやいた咲に木下は苦笑して首を振る。
「そんなことないっすよ。ていうか、女の子から『いいひと』っていわれる男ってモテないんだよね。おれ、いっつもそうなんすよ」
「え、そんなこと」
 思いがけない言葉に咲は目をぱちくりさせる。木下は人懐こくて気さくで話しやすくて、女の子から人気がありそうなのに。
「マジで。鹿島みたいなタイプがいちばんモテるんだよね。さきちゃんも鹿島のこと好きでしょ?」
「ええっ」
 突然の爆弾発言に咲は耳まで真っ赤になる。
「あはは、さきちゃん顔真っ赤だよ、正直だねー。このところずっと、鹿島、すげー機嫌いいもん。さきちゃんとつきあってるんでしょ」
「つ、つ、つきあ、」
「え、ちょ、落ち着いて」
 つきあってる? 草太と?
 たしかに、草太に好きだと伝えたけれど、だからつきあおうとか、そんな話は一度も出ていない。
 頭のなかがぐるぐるする。
 つきあっている、のだろうか。
「さきちゃーん」
 両手でほっぺたを押さえて固まっていた咲は、目のまえでひらひらと手を振られているのに気付いて木下を見た。
「きききき木下くん」
「は、はいっ」
「つ、つき、つきあうって、なにするですか」
 動揺のあまりカタコトになっている咲のようすに気圧されたように、木下はぱちぱちとまばたきを繰り返す。
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