第2話

文字数 2,479文字

 鹿島草太は弁当屋のひとり息子で、この四月から高校二年生になる。
 咲は彼が中学生のころから知っているが、ちょうど成長期ということもあってか、高校生になってからみるみるうちに背が伸びて、顔つきや骨格がおとなのそれに変わってきた。
 母親に似て端整な顔立ちをしているが、口が悪い。口は悪いが、咲が帰るときにはわざわざアパートまで送ってくれる。
 過去に近所で痴漢騒ぎがあったせいだが、いまだにこうして律儀に咲を送り届けてくれるのだ。
 草太にいわせれば、
「おまえみたいなどんくさいのがひとりで夜道をうろうろしてたら真っ先に変態の餌食になるだろ」
 ということらしいが。
 弁当屋で働きはじめた当初、咲は鹿島家に住み込みで雇ってもらっていたので、店主やおかみさん、中学生だった草太と寝食をともにしていた。
 ちょうどそのころ、弁当屋は、それまで働いていたひとが辞めてしまい、急遽アルバイトを募集していて、たまたまそれを見付けた咲がその足で駆け込んだのだ。
 咲は自分専用の部屋まで与えてもらったけれど、だめだった。
 店主やおかみさんはやさしかったし、咲をへんにお客さん扱いすることはなく、まるで家族のようにすんなりと受け入れてくれた。それがとても嬉しくてありがたくて、でもすごくこわかった。
 家族みたいに一緒に暮らしているうちに、ほんとうにそうなのだと錯覚してしまいそうで。
 着の身着のままふらりと現れた咲を雇ってくれただけでもありがたいのに、家に置いてもらっている身分だということを忘れて、あたりまえのように家族の輪のなかに入り込んでいる自分があつかましくて、恥ずかしくなったのだ。
 咲は、店の近所にあるアパートに空き部屋を見付けた。偶然にも、そのアパートがくだんの小金井老人の所有だという話を聞いて、思いきって事情を打ちあけて、部屋を借りることはできないかと無理を承知で尋ねてみた。
 小金井は驚いたようだったが、とにかく店主やおかみさんと一緒に相談してからということになり、咲は世話になりっぱなしの鹿島夫妻に話を切り出した。
 ひきとめられたけれど、いつまでも甘えるわけにはいかない。自分も家族の一員になったかのような勘違いをするまえに、この家を出なければと、そう思った。
 その理由はもちろん告げなかったが、家を出たいという咲の意思が固いことを知った鹿島夫妻は、最終的に咲の気持ちを尊重してくれ、小金井は破格の家賃で咲に部屋を貸してくれた。
 契約のための書類を手に、咲はひさしぶりに父親を訪ねた。
 弁当屋に住み込みで働かせてもらうことが決まったときに、いちおう連絡だけはしていたが、父親は咲に関心がない。
 このときも、会うことは会ってくれたが、父親はなにも尋ねることなく無言で書類に目を通すと、署名捺印をして咲に返した。
 それだけだった。
 咲は、心のどこかで期待していた自分に気付いた。今度こそ、なにか言葉をかけてくれるのではないかと、はかない期待を抱いていた自分の愚かさを思い知った。
 やはり自分には帰る場所なんかないのだと。
 こうして、結局、周囲のおとなたちの厚意に支えられる形になってしまったが、咲はそこでひとり暮らしをはじめて、今に至る。

 アパートは弁当屋から徒歩十分ほどのところにあった。
 パーカーのうえにあたたかそうなダウンジャケットを着込んだ草太は、二階にある咲の部屋のまえまできっちりついてくると、白い息を吐きながら、胡乱なものを見るような目をしていった。
「部屋、ちゃんと片付けてるんだろうな」
 咲はぎくりとした。
「し、してるもん」
「嘘つけ。見せてみろ」
 まるで部屋の惨状を知っているようなものいいだが、草太は一緒に暮らしていたあいだに、咲がものを片付けるのが苦手だということを見抜いていた。
「だ、ダメ! おかみさんが、草太くんを部屋に入れちゃダメっていってたもん。おくりおおかみになるから気を付けろって」
「あのババア、余計なことを。ていうかおまえ、送り狼の意味わかってんのか?」
 咲は視線をさまよわせながらつぶやく。
「…………、悪いひと?」
 草太は盛大にため息をつくと咲の額を指先でぴしっと弾く。いわゆるでこぴんというやつだ。
「いたっ」
「おまえみたいなどんくさいやつは狙われやすいからな。絶対におれ以外の男を部屋に入れんなよ。わかったか」
「草太くんもダメだって、あうっ」
 口答えしたとたん二発めのでこぴんを食らった。涙目で額を押さえる咲を見下ろして草太は念を押した。
「わかったか」
「…………はい」
「ついでにいっとくけど、給料入ったからって無駄遣いすんなよ。今からやること、わかってんだろうな」
「う、はい」
 咲にとっては耳が痛い説教ばかりを的確にしてくる。
 家が商売をしているためか、草太は高校生とは思えないほど金銭感覚がしっかりしている。これでもいちおう年上なのに、と咲は情けなく思いながらも、まっとうな草太の言葉には反論できない。身に覚えがあるからだ。
 しょんぼりとうなだれる咲に、手に提げていたビニール袋を差し出して草太がいう。
「ほら、今日の晩飯。たまにはちゃんと野菜も食えよ」
 仕事がある日は、昼には賄いとして売りものから好きなものを食べさせてもらえるし、帰りには、その日のあまりものを詰めて手渡される。ひとり暮らしの咲にはとてもありがたい。
「ありがとう」
 礼をいって袋を受け取る咲に背を向けて草太は廊下を戻りはじめる。
「草太くん、送ってくれてありがとう」
「早く部屋に入って鍵かけろ」
「うん。おやすみなさい」
「ああ」
 背中を向けたままひらひらと手を振る草太に手を振り返してから、咲は鍵を開けてなかへ入る。
 手探りで照明のスイッチを押すと玄関が照らし出される。ひとひとり立つのがやっとというほどの狭いたたきには、咲のブーツやサンダルが脱ぎ捨てたまま放置されていて、今履いている仕事用のスニーカーがそれに加わると、文字どおり足の踏み場もない。
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