第19話

文字数 3,301文字

「なにするって、そりゃ、えーと、一緒にデートしたり、手繋いだり、ご飯食べたり、するんじゃないんすか。ていうか、それをおれに聞かないでくださいよー。つきあったことないのにー」
「ご、ごめんなさい」
「いいっすけどね。って、え、つきあってるんじゃないの?」
「…………わかりません」
「はあ?」
 咲は聞かれるまま、答えられる範囲内で木下の質問に答えた。ひととおり話を聞き出した木下はあっさりといった。
「それ、つきあってるでしょ」
「そ、そう、ですか」
「そうでしょう。えーと、セクハラみたいでなんかごめんけど、鹿島、さきちゃんに手え出してないの?」
「…………っ、」
 いくら鈍感な咲でもその意味はわかる。茹でダコのようになった咲の反応が答えだった。
「だったらつきあってるっしょ。ちくしょーうらやましいなー! おれも彼女とイチャイチャしたい」
「い、」
 いちゃいちゃ。
 絶句する咲の隣で木下が急に「あ」と声をあげた。
 ふいに冷たい風が吹きつけ、そちらへと視線を向けると、まっすぐにこちらへ向かってくる人物の姿があった。
「草太くん」
 反射的に立ちあがる。草太は鬼のような恐ろしい顔をして咲のまえで足を止めると、真っ赤に染まったままの咲のほっぺたを力いっぱいひっぱった。
「いひゃぃ」
「馬鹿やろう! 暗くなったらひとりで出歩くなっていってるだろうが」
 心底怒りをあらわに怒鳴る草太に、咲はびくっと身を竦めてひたすら謝る。
「ごめ、なひゃ」
「この馬鹿」
 また馬鹿っていわれた。咲はふにゃりと顔を歪めてびくびくと草太を見あげる。
 3月とはいえ、凍てつくような夜道を歩いてきたのだろう草太の顔は青白く、咲の頬をつねる指はひどく冷たい。
「そ、たくん、ごめ、にゃしゃ」
 泣きそうになりながらおどおどと草太を窺うと、彼はしばらく咲を睨みつけたあと、諦めたように小さく息を吐いた。
「くそ……、心配させんな」
「ふえっ」
 さらにぐいっと頬を伸ばされたあとでようやく解放される。じんじんと痛むほっぺたを押さえてもう一度謝る。
「ごめんなさい」
「次やったらどうなるか覚えとけよ」
「ひっ」
 とどめにでこぴんを食らってぎゅっと目をつむる咲を数秒間眺めたあと、草太は隣に視線を移す。
 呆気にとられたようすでぽかんと座ったままの木下を見て、草太は眉をしかめる。
「なんだよ」
「へっ、あ、いや、なんつーか、おまえってそういうキャラだったよなって思い出してた」
「ああ?」
「気のないヤツにはそっけないけど、気に入った相手にはやたらとかまうとことか」
「おまえはそっけなくされたいらしいな」
「なんでだよ! かまってよ! ていうか部活だったんだろ? なんかちょーだい」
 盛大な舌打ちが聞こえた。草太はバッグを開けてなかを漁ると、透明のビニール袋に入ったものを取り出して木下に投げた。それを受けとめて木下は口笛を吹く。
「やったーマフィンだー」
 彼のいうとおり、カップに入ったマフィンが三つ、きれいに並んでいた。木下は封を開けるとなかからひとつだけ手に取り、残りを草太に返そうとする。
「おれこれでいいよ。ほんとはさきちゃんに持って帰ってきたんだろ」
「え」
 話が見えないまま草太と木下を交互に眺めていた咲はきょとんとする。草太はちらりと咲を一瞥すると、袋を受け取らずにひらりと手を振った。
「いいから食え。こいつは今日はお預けだ」
「えー、なんか悪いなあ」
「食わねえなら返せ」
「食うよ! 食うけどさ!」
 ほっぺたを押さえたまま咲は尋ねた。
「草太くんって、なに部?」
「えっ、さきちゃん知らないの?」
 咲は小さくうなずく。知らない。
「料理部だよ。料理っていっても菓子ばっか作ってるみたいだけど」
「しかたねえだろ、女どもが菓子が作りたいってうるせえんだよ」
「料理部」
 たしかに、草太は料理を作るのが好きだといっていたし実際得意だけど。そういわれてみれば、草太からちょくちょく手作りのお菓子をもらって食べていた。あれは学校で作っていたのか。
「鹿島が入部してから一気に女子が増えたもんな。鹿島様々だって、いまだに先輩たちの語りぐさになってるよ」
 マフィンに張りついた紙のカップを剥がしながら木下がいう。
 女の子たちに囲まれて料理をする草太の姿が頭に浮かんで、咲は急に胸のあたりがざわつくのを感じた。
「バレンタインのときなんかすごかったよなー」
 バレンタイン、という言葉に咲は目を見開く。それを見て、木下はしまった、というようにしばし固まる。これからマフィンにかじりつこうとする寸前の格好で。金縛りにあったかのように硬直した彼の手からマフィンが消える。
 次の瞬間、それは咲の口に押しつけられた。
「ん、んぐ」
 鼻先を掠める甘い匂いにつられて反射的に口を開けると、柔らかな洋菓子が捩じ込まれる。目を白黒させながらも、咲は口のなかに押し込まれたマフィンをもぐもぐと咀嚼した。
 紅茶の葉が練り込まれているらしく、控えめな甘さのなかにもきりりとしたわずかな苦味がある。絶妙なバランスだった。
 おとなしく口を動かす咲を見下ろして、その口に強引に焼き菓子を捩じ込んだ張本人は微かに目を細める。
 次に、急激に冷ややかさを増した氷のような眼差しで木下を見遣る。睨まれた木下はとたんに顔を青くして、なにかを弁解しようと忙しなく口を動かすが言葉にならない。蛇に睨まれた蛙のようだ。
「おいしい」
 場違いなほど呑気な声が、張り詰めた空気をあっさりと弛緩させた。
 押し込まれた部分をすっかり胃に収めた咲は、目のまえの草太の手にある残りの半分をじっと見た。ねだったわけではないが、草太は無言のままその欠片を咲の口にふたたび押し込んだ。
 傍から見れば、餌付けをされているとしか思えない構図である。
 甘いお菓子を食べたことで、咲は自分が空腹だということに気付いた。だからほとんど無心でひたすらマフィンを消化していく。そうでなければ、無理やりとはいえ、こうして草太の手から直接食べさせてもらうなど、恥ずかしさのあまり卒倒しかねない。
 マフィンを掴んでいた草太の指まで噛んでしまった咲は、その固い感触に、はっと我に返る。
 口を離すことを思いつかず、指をくわえたままおそるおそる視線をあげると、驚いたような草太の顔があった。食い入るように咲を見つめている。
 とたんに、熱いものに触れたみたいに咲はぱっと口を離した。自分がなにをしていたのかを理解して耳まで赤くなる。
 食べものにつられて草太の指にまで噛みついてしまった。というかそれ以前に、あたりまえのように、自分の手を使わずに食べさせてもらっていた。
 そもそもなぜそんなことになったのか、羞恥のあまり激しく動揺している咲には考える余裕などない。
「…………くそ」
 舌打ち混じりに草太が小さく呻く。その声に、咲はびくっと身を竦めてとっさに目をつむるが、でこぴんは飛んでこなかった。
 ちらっと薄目を開けてようすを窺うと、草太は毒気を抜かれたようにため息をこぼして、咲ではなく木下のおでこをぴしゃりと叩いた。
「あだっ!」
 その衝撃でようやく金縛りが解けたみたいに、木下は情けない声を洩らして額を押さえる。
「余計なこというんじゃねえぞ」
 そう低く凄む草太に睨まれ、木下は必死にこくこくと何度もうなずく。それでひとまずは気がすんだらしく、草太はいくぶん口調を和らげてつづけた。
「手間かけさせたな。助かった」
「へ、あ、いや」
 尊大なものいいだが、草太が礼をいっているのだとわかって、木下はふるふると、今度は首を横に振る。
「帰るぞ」
 そういいながら、草太は咲の手から本が詰まったバッグを取りあげるとドアのほうへと歩き出す。
「え、あの、草太くん」
「なんだ」
 足を止めて肩越しに振り返る草太の不機嫌そうな顔を見て、咲は言葉を呑み込む。
「鹿島やさしー」
 すっかり調子を取り戻した木下がからかうと、とたんにぺしりと頭をはたかれた。
「いてぇなーもう、暴力反対!」
「うるせえ、さっさと歩け」
 なんだかんだいいながらじゃれあうように歩くふたりを眺めていた咲は、「置いて帰るぞ」という草太の声に、あわててあとを追いかけた。
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