第22話
文字数 3,278文字
泣いたせいだろうか。身体が怠くて食欲もなく、せっかくもらって帰った惣菜をそのままに、咲は早々にお風呂に入ると、髪を乾かすのもなおざりにして布団にもぐり込んだ。
毎晩、寝るまえに炬燵を部屋の隅に寄せて、なんとか布団を敷くスペースを確保するのだが、これが意外と面倒で。うっかり炬燵でうたたねすることもしばしばだったが、そんなことをしたら草太に叱り飛ばされる。だから、ずぼらな咲にしては珍しく、毎日がんばって炬燵の誘惑を振り払い、冷たい布団に身体を滑り込ませていた。
お風呂であたたまったばかりなのに、やけに寒気がする。敷いたばかりでまだ冷たいままの布団のなかで小さくなりながら、咲はがたがたと震えた。二枚重ねにした毛布を鼻まで引きあげて、横向きの体勢で膝を抱えて目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは草太の顔だ。おかみさんに殴られたという頬が痛々しかった。殴られたのは自業自得だといっていたが、昨夜のあのできごとは、咲の自覚がないせいだともいっていた。どういうことだろう。
わからないけれど、たぶん咲のせいなのだ。
それでも、いつものようにアパートまで送り届けてくれたし、ちゃんと口をきいてくれたから、怒ってはいないのだろう。
でも、なんだかよそよそしかった。今夜に限らず、最近の草太は、咲と目があうと、ふっと視線を逸らしてしまう。そうかと思うと、じっと見つめてきたりもする。
草太のことがわからない。
そんな咲自身も、草太をまえにするとなんだか緊張してしまい、うまく話せなくなることがある。怒鳴られたりおでこを弾かれたりほっぺたをひっぱられたり、そういうのがこわいというわけではないのに――いや、こわいときもあるけれど――、草太の視線を感じたり、ふとした拍子に身体に触れられたりすると、おおげさなほど過剰に反応してしまったりする。
そうすると、草太はなにかいいたげに口を開くが、結局は言葉の代わりにため息をつく。ぎくしゃくしてしまうのだ。
以前はそんなことはなかった。
おかしくなったのは、草太が咲のことを好きだと聞いてからだ。そばにいると、草太をへんに意識してしまってふつうにできない。きっと呆れられているだろう。
布団のなかで胎児のようにまるくなりながら、咲はぎゅっと唇を噛む。
どうしたらちゃんとできるのだろう。草太のことが好きなのに、いや、好きだから、うまくできない。草太がなにを考えているのか、なにが好きでなにが嫌いなのか、なんでもいいから知りたいと思う。
知りたいなら聞けばいい、と草太がいってくれたのだ。もっとたくさん話がしたい。もっと近くにいきたい。
『鹿島と付き合ってるんでしょ』
ふいに、木下の言葉が蘇る。
付き合っている、のだろうか。咲にはわからない。なにをもって付き合うというのか、その判断基準がわからない。お互いを好きだと伝えあって、休日は一緒に食事をして、ときどき、キスをする。
それは付き合っていることになるのか。
「ううぅ」
そんなことをぐるぐると考えていたせいか、頭が痛くなってきた。気のせいか、じわじわと発熱するような気配もある。今はもう考えるのをやめようと思っても、こんなときに限って、次から次へと不安材料がわいてくる。
同級生や先輩の女の子たちに囲まれて料理をする草太の姿を想像して、また胸のあたりがざわつく。草太のおかげで、料理部の女子部員が増えたと木下がいっていた。やはり女の子たちに人気があるのだ。
実際、咲の噂を聞きつけて、わざわざお店まで咲を値踏みしにきた少女たちのことを思い出す。学校に行けば、あんなふうにかわいい子なんてたくさんいるだろう。
バレンタインだって。咲以外からも、たくさんのチョコレートをもらったに違いない。
どんどん悪いほうに悪いほうに考えがいってしまい、咲の気分は塞ぐばかりで。
ぐずぐずと鼻をすすりながら、いつのまにか眠りに落ちていた。
目を覚まして、咲は異変に気付いた。身体がひどく熱くてだるい。頭がぼうっとする。
昨夜、カーテンを閉め忘れたまま寝てしまったらしく、ベランダへ繋がる窓の向こうはすでにあかるい。
何時だろう。
習慣で、起きるとまずは時間を確認するくせがついていた。枕元に転がった時計を手に取り、なんとか瞼を持ちあげて、針の位置を確認する。
咲は思わず時計を凝視した。見間違いではない。時計の針は11時まえを指している。遅刻だ。
勢いよく起きあがったとたん、目眩がしてあわてて手をついて身体を支える。頭がぐらぐらする。おまけに喉が痛くて、唾を飲み込むと違和感がある。
風邪の症状だ。泣きたくなった。遅刻することをお店に連絡したくても電話がない。ふらふらしながらなんとか布団を出ると、あまりの寒さに身体が震えだす。熱があるのに寒くてたまらない。咲は這うようにして台所に向かうと、顔を洗うためにのろのろと立ちあがった。
なんとか出かける用意を終えたときには、もう11時半を過ぎていた。
いつもより厚着をしているのに、ドアを開けて、咲は首を竦めた。風が冷たい。鍵をかけて階段へ向かっていると、大声で名前を呼ばれた。
「咲!」
びっくりして立ち尽くす咲のもとに、二段飛ばしであっというまに階段を駆けあがってきたのは草太だ。頬を腫らした草太は鬼のような顔をして咲の腕を掴む。怒られる、と思ってぎゅっと目をつむり、ごめんなさいと謝ろうとしたが声が出ない。
「…………っ、」
がんばって口を開くけれど、喉の痛みがひどくなるばかりで。
「おまえ、熱が」
真っ赤な顔をした咲の額と頬に触れた草太は、さらに眉間に皺を寄せて舌打ちした。
「くそ、」
聞き慣れたはずの草太の悪態に、咲はびくっと身を縮める。風邪を引いたうえに無断で遅刻したせいで、草太は怒っているに違いない。
通路でのやりとりがドア越しに聞こえたのか、咲の隣の部屋のドアが開いて、秋吉夫人が顔を覗かせた。
「どうしたの?」
振り向きかけてよろめいた咲を支えた草太は、そのまま荷物のように咲の身体を肩にかつぐ。突然のことに驚くが、抵抗できない。
「こいつ、熱でふらふらなんで、うちに連れて帰ります」
愛想のかけらもなくぶっきらぼうにいうと、草太は咲を抱えたまま階段を降りてお店のほうへと向かっていく。だが、草太が足を向けたのはお店ではなく家の出入り口のほうで、咲が降ろされたのは、以前、使わせてもらっていたあの和室だった。
彼は無言で咲のスニーカーを脱がせると、押し入れから布団を出しててきぱきと敷いていく。
「ちょっと待ってろ」
そういっていったん部屋を出たあと、しばらくして戻ってきた草太の手には、服と、お盆に載った水差しとグラスがあった。
一度、腰をおろしてしまうと、もう動きたくない。熱でぐったりする咲の上着に手を伸ばすと、草太は遠慮のない手つきで釦を外していく。重ね着をしていたもこもこのニットも脱がされ、いちばん下に着ていたハイネックのインナーと下着という姿になる。
草太はそのインナーに手をかけた。え、と思ったときにはすでに豪快に裾をめくられ、裸同然に剥かれていた。そのあとすぐに、今度はトレーナーを頭からかぶせられる。襟ぐりから頭を出しただけで、てるてる坊主のような格好になった咲のそのトレーナーのなかに、草太の手が入ってきた。手探りで背中を伝う冷たい指先の感触に、思わず身体が硬直する。正面から咲を抱き込むような体勢で、草太は咲の下着のホックを外すと、それをするりと腕から抜いて取り払った。
なにが起きているのか理解できず、熱のせいもあって呆然とする咲にかまわず、次はジーンズの釦を外され、腰を抱えられてひと息に脱がされる。大きくてだぶだぶのトレーナーのおかげで太腿まで隠れているので下着は見えないが、ありえない状況だった。
それでも羞恥を感じなかったのは、草太の表情と手つきが、有無をいわせぬ迫力に満ちていたからだ。
靴下まで脱がせると、咲の服を剥く作業は終わったらしく、今度はまるでお姫さまを抱きあげるようにして布団へと運ばれた。
毎晩、寝るまえに炬燵を部屋の隅に寄せて、なんとか布団を敷くスペースを確保するのだが、これが意外と面倒で。うっかり炬燵でうたたねすることもしばしばだったが、そんなことをしたら草太に叱り飛ばされる。だから、ずぼらな咲にしては珍しく、毎日がんばって炬燵の誘惑を振り払い、冷たい布団に身体を滑り込ませていた。
お風呂であたたまったばかりなのに、やけに寒気がする。敷いたばかりでまだ冷たいままの布団のなかで小さくなりながら、咲はがたがたと震えた。二枚重ねにした毛布を鼻まで引きあげて、横向きの体勢で膝を抱えて目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは草太の顔だ。おかみさんに殴られたという頬が痛々しかった。殴られたのは自業自得だといっていたが、昨夜のあのできごとは、咲の自覚がないせいだともいっていた。どういうことだろう。
わからないけれど、たぶん咲のせいなのだ。
それでも、いつものようにアパートまで送り届けてくれたし、ちゃんと口をきいてくれたから、怒ってはいないのだろう。
でも、なんだかよそよそしかった。今夜に限らず、最近の草太は、咲と目があうと、ふっと視線を逸らしてしまう。そうかと思うと、じっと見つめてきたりもする。
草太のことがわからない。
そんな咲自身も、草太をまえにするとなんだか緊張してしまい、うまく話せなくなることがある。怒鳴られたりおでこを弾かれたりほっぺたをひっぱられたり、そういうのがこわいというわけではないのに――いや、こわいときもあるけれど――、草太の視線を感じたり、ふとした拍子に身体に触れられたりすると、おおげさなほど過剰に反応してしまったりする。
そうすると、草太はなにかいいたげに口を開くが、結局は言葉の代わりにため息をつく。ぎくしゃくしてしまうのだ。
以前はそんなことはなかった。
おかしくなったのは、草太が咲のことを好きだと聞いてからだ。そばにいると、草太をへんに意識してしまってふつうにできない。きっと呆れられているだろう。
布団のなかで胎児のようにまるくなりながら、咲はぎゅっと唇を噛む。
どうしたらちゃんとできるのだろう。草太のことが好きなのに、いや、好きだから、うまくできない。草太がなにを考えているのか、なにが好きでなにが嫌いなのか、なんでもいいから知りたいと思う。
知りたいなら聞けばいい、と草太がいってくれたのだ。もっとたくさん話がしたい。もっと近くにいきたい。
『鹿島と付き合ってるんでしょ』
ふいに、木下の言葉が蘇る。
付き合っている、のだろうか。咲にはわからない。なにをもって付き合うというのか、その判断基準がわからない。お互いを好きだと伝えあって、休日は一緒に食事をして、ときどき、キスをする。
それは付き合っていることになるのか。
「ううぅ」
そんなことをぐるぐると考えていたせいか、頭が痛くなってきた。気のせいか、じわじわと発熱するような気配もある。今はもう考えるのをやめようと思っても、こんなときに限って、次から次へと不安材料がわいてくる。
同級生や先輩の女の子たちに囲まれて料理をする草太の姿を想像して、また胸のあたりがざわつく。草太のおかげで、料理部の女子部員が増えたと木下がいっていた。やはり女の子たちに人気があるのだ。
実際、咲の噂を聞きつけて、わざわざお店まで咲を値踏みしにきた少女たちのことを思い出す。学校に行けば、あんなふうにかわいい子なんてたくさんいるだろう。
バレンタインだって。咲以外からも、たくさんのチョコレートをもらったに違いない。
どんどん悪いほうに悪いほうに考えがいってしまい、咲の気分は塞ぐばかりで。
ぐずぐずと鼻をすすりながら、いつのまにか眠りに落ちていた。
目を覚まして、咲は異変に気付いた。身体がひどく熱くてだるい。頭がぼうっとする。
昨夜、カーテンを閉め忘れたまま寝てしまったらしく、ベランダへ繋がる窓の向こうはすでにあかるい。
何時だろう。
習慣で、起きるとまずは時間を確認するくせがついていた。枕元に転がった時計を手に取り、なんとか瞼を持ちあげて、針の位置を確認する。
咲は思わず時計を凝視した。見間違いではない。時計の針は11時まえを指している。遅刻だ。
勢いよく起きあがったとたん、目眩がしてあわてて手をついて身体を支える。頭がぐらぐらする。おまけに喉が痛くて、唾を飲み込むと違和感がある。
風邪の症状だ。泣きたくなった。遅刻することをお店に連絡したくても電話がない。ふらふらしながらなんとか布団を出ると、あまりの寒さに身体が震えだす。熱があるのに寒くてたまらない。咲は這うようにして台所に向かうと、顔を洗うためにのろのろと立ちあがった。
なんとか出かける用意を終えたときには、もう11時半を過ぎていた。
いつもより厚着をしているのに、ドアを開けて、咲は首を竦めた。風が冷たい。鍵をかけて階段へ向かっていると、大声で名前を呼ばれた。
「咲!」
びっくりして立ち尽くす咲のもとに、二段飛ばしであっというまに階段を駆けあがってきたのは草太だ。頬を腫らした草太は鬼のような顔をして咲の腕を掴む。怒られる、と思ってぎゅっと目をつむり、ごめんなさいと謝ろうとしたが声が出ない。
「…………っ、」
がんばって口を開くけれど、喉の痛みがひどくなるばかりで。
「おまえ、熱が」
真っ赤な顔をした咲の額と頬に触れた草太は、さらに眉間に皺を寄せて舌打ちした。
「くそ、」
聞き慣れたはずの草太の悪態に、咲はびくっと身を縮める。風邪を引いたうえに無断で遅刻したせいで、草太は怒っているに違いない。
通路でのやりとりがドア越しに聞こえたのか、咲の隣の部屋のドアが開いて、秋吉夫人が顔を覗かせた。
「どうしたの?」
振り向きかけてよろめいた咲を支えた草太は、そのまま荷物のように咲の身体を肩にかつぐ。突然のことに驚くが、抵抗できない。
「こいつ、熱でふらふらなんで、うちに連れて帰ります」
愛想のかけらもなくぶっきらぼうにいうと、草太は咲を抱えたまま階段を降りてお店のほうへと向かっていく。だが、草太が足を向けたのはお店ではなく家の出入り口のほうで、咲が降ろされたのは、以前、使わせてもらっていたあの和室だった。
彼は無言で咲のスニーカーを脱がせると、押し入れから布団を出しててきぱきと敷いていく。
「ちょっと待ってろ」
そういっていったん部屋を出たあと、しばらくして戻ってきた草太の手には、服と、お盆に載った水差しとグラスがあった。
一度、腰をおろしてしまうと、もう動きたくない。熱でぐったりする咲の上着に手を伸ばすと、草太は遠慮のない手つきで釦を外していく。重ね着をしていたもこもこのニットも脱がされ、いちばん下に着ていたハイネックのインナーと下着という姿になる。
草太はそのインナーに手をかけた。え、と思ったときにはすでに豪快に裾をめくられ、裸同然に剥かれていた。そのあとすぐに、今度はトレーナーを頭からかぶせられる。襟ぐりから頭を出しただけで、てるてる坊主のような格好になった咲のそのトレーナーのなかに、草太の手が入ってきた。手探りで背中を伝う冷たい指先の感触に、思わず身体が硬直する。正面から咲を抱き込むような体勢で、草太は咲の下着のホックを外すと、それをするりと腕から抜いて取り払った。
なにが起きているのか理解できず、熱のせいもあって呆然とする咲にかまわず、次はジーンズの釦を外され、腰を抱えられてひと息に脱がされる。大きくてだぶだぶのトレーナーのおかげで太腿まで隠れているので下着は見えないが、ありえない状況だった。
それでも羞恥を感じなかったのは、草太の表情と手つきが、有無をいわせぬ迫力に満ちていたからだ。
靴下まで脱がせると、咲の服を剥く作業は終わったらしく、今度はまるでお姫さまを抱きあげるようにして布団へと運ばれた。