第10話

文字数 1,469文字

 朝、ラジオで聴いた天気予報では、夜には雪になると伝えていた。
 空を覆い隠す雲の切れ間からときおり光が射すが、凍てつくような寒さは変わらない。
 日曜日の午後。
 店のまえの通りを行き交う人びとは厚手のコートを着て前屈みになり、足早に先を急いでいた。
 咲も今日はエプロンの下に幾重にも重ね着をして懐炉も忍ばせている。
 昼のピークが過ぎて客足もまばらな時間帯になり、咲は休憩をもらって賄いのコロッケを揚げていた。
「いらっしゃい、坊や、お使いかい」
 咲に代わってショーケースのまえに立ったおかみさんの声を聞いて、咲はなんの気なしに振り向いた。
 黒い頭がちらっと覗くだけで、小さなお客さんの姿は見えない。首を傾げたとき、ショーケースに並べられた惣菜の向こう、ガラス越しに目が合った。暖かそうなマフラーを巻いた、小学生くらいの男の子。
 咲は目を見開いて、その子どもと見つめあった。
「聖夜?」
 信じられないものをまえにしてつぶやく咲を、おかみさんが振り返る。
「咲ちゃん、知り合いか」
「弟、です」
 おかみさんが驚いた顔をして咲と小さな弟を交互に見つめる。咲は呆然としていたが、はっとしてあわててショーケースに駆け寄った。
「聖夜、どうしたの? なにかあったの? ひとりできたの?」
 矢継ぎ早にそう問いかけるが、聖夜は黙ってじっと咲を見あげるだけだ。
 大きくなった、と思う。
 最後に見たのはまだ幼稚園児だったころで、今はもう小学生になっているはずだ。
 弟といっても、彼が生まれてからというもの、近付かないようにと母親から牽制されていたので、食事のときに顔を合わせるくらいで、ほとんど接することはなかった。だから姉らしいこともできず、弟としてかわいがってあげることもできなかった。
 聖夜も、母親からいい聞かされていたのだろう、咲に関心を向けてくることはなかった。
 それなのに。
 咲は狼狽しながらもあたりを見まわす。この幼い弟がひとりで外出するとは思えない。そんなことを、あの過保護な母親が許すはずがない。しかし、あたりにそれらしき人物は見あたらない。
 聖夜に視線を戻すと、彼は微動だにせずただじっと咲を見つめている。
 背後でタイマーが鳴って、咲の代わりにおかみさんがコロッケを救出してくれた。
「坊や、コロッケ食べるかい」
 よく通るおかみさんの声に、聖夜は少し考えるように眉を寄せたあと、重々しくうなずいた。ショーケース越しに動く頭が見えたのだろう、おかみさんは新しく取り出したコロッケをふたつ、油のなかに投入すると、揚げたてのコロッケを紙でできた専用の袋に入れて咲に手渡す。
「表じゃ寒いだろう。休憩室に入れてやりな。咲ちゃんの昼はできたら持っていってやるから」
「おかみさん、ありがとうございます」
 なにも聞かずにそういってくれたおかみさんに、咲は頭をさげる。裏口から外へ出て表にまわり、聖夜に近付く。聖夜は外出用にきちんと厚着をしていた。
「聖夜、なかに入ろう。ここじゃ寒いでしょう」
 けれども、聖夜は首を振ってそれを拒む。かたくなな表情をする彼に無理強いはできない。
「ここでいいの?」
 咲の問いに小さくうなずく。店のまえには木製のベンチが置かれている。そこに聖夜を座らせて、熱々のコロッケを手渡した。咲も隣に腰かけて、手にしたコロッケをまじまじと観察する弟を眺める。
「熱いから気を付けてね。火傷しないように」
 聖夜はちらっと咲を見あげると、おそるおそるというふうにコロッケにかじりついた。
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