第16話:ハワイクルーズの精算とアラスカ旅行計画

文字数 1,623文字

 翌朝7時に全員、ホテルのロビーに集合し、時間通りにい大型ワゴン車2台に乗り込んで、ホテルを後にして8時にホノルル空港のANA登場口へ行き、手続きを取り、10時半の成田行きの飛行機に乗り、ホノルルを飛び立った。帰りの所要時間は約8時間、佐光夫妻は疲れが出て、爆睡し、食事の時に起きただけで、後は、寝ていた。

 2003年4月18日10時半に成田空港に到着し、スカイライナーで上野へ向かい、12時頃に佐光夫妻は上野のマンションに帰って来た。家に帰ってきて、まだ、時差が残っていて、翌日の夕方まで、体調が今ひとつだった。しかし4月19日の晩に、ドルクレジットカードの支払い領収書を紙に貼り付けて、コピーを6つ用意して、4月21日にの精算に備えた。

 やがて4月21日となり、夕方ジムの近くの中華料理屋に6家族12名で全員集合した。食事の前に米ドルのクレジットカードのコピーとエクセルの明細書のコピーを佐光が6組の仲間に渡した。そして、みんなが精算してドル円は120円で計算してもらえれば結構ですと佐光が言った。それぞれ電卓を用意して計算し、佐光は千円札40枚を用意した。

 そして幹事の佐藤さんが、千円以下は四捨五入で良いねと言うと佐光がOKですというと、それで決まった。クルーズ料金は交通公社の料金、20万円で支払い、その他、オプショナルツアーの料金全員でオプショナルツアー5300ドル、ワゴンタクシー代が3000ドルホテルの食事代などを含めて1000ドルで合計9300ドルとなった。

 111万6千円と5組のクルーズ代金100万円、飛行機代100万円で311万6千円。大きいお金は、入金してもらって結構ですと言い手帳を切って借用書として金額を確認し合った。20分で精算が終わり夕食会が始まった。そして写真を見せ合ったり、旅行の思い出話をした。
佐藤さんが今回で一番思い出の残ったのは、シアトルのトムとスカーレット夫妻だと言った。

 佐光さんのお陰で、気軽に話ができて良かったと言い、次は、夏にシアトルに行き、トムとスカーレット夫妻に、再開し、シアトル、バンクーバーを旅行し、アラスカクルーズを楽しもうと話し合った。来年の夏も、是非、アラスカクルーズを計画して欲しいと佐藤さんが、佐光に依頼すると了解と答えた。そして22時に解散となり、みんな、自宅へ帰った。

 数日後、佐光の口座に約束通りの金額で入金された。精算が終了しすると佐光が奥さんに、この計算で行くと夫婦のクルーズの総料金が半分で済んだと笑いながら言った。すると奥さんが、気苦労も多かったし、通訳の仕事、クルーズ船の乗り方など、いろいろやったからご褒美よと言った。やがて5月、6月の梅雨、梅雨が明けると夏になった。

 しかし、2004年の夏は、とんでもなく暑く、外出を避けて、エアコンの下で生活日々が続いた。藤岡と大屋はハワイとシアトル、カナダのバンクーバーで日本人相手の土産物屋を始めたとメールが送られてきた。こっちに来るときには、是非、立ち寄ってくれと書いてあった。夏6月から9月にシアトル、カナダで、10月から5月が冬はハワイで商売をするようだ。

 そして9月下旬になり、やっと猛暑も去った。来年2004年夏にアラスカクルーズへ行く時、ちょっと早めにシアトル、バンクーバーで藤岡と大屋に会おうと佐光夫妻が考えた。やがて12月を迎えて、2004年を迎えた。2月から米国のクルーズサイトを捜してみるとシアトル出発でシアトルに戻ってくるアラスカクルーズは、ノルウェイジャンが就航していた。

 以前ハワイクルーズで利用したノルウェイジャン・クルーズを経験していたので2004年8月12日から8月19日のコースを考えてスポーツジムの仲間に連絡すると了解してくれたが、クルーズ参加希望者が3グループ増えて合計9グループになると佐藤さんから言われ、これが限界なので増やさないで欲しいと、佐光が、佐藤さんにお願いした。
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