第21話:成田に両親と自分の家を建てよう

文字数 1,748文字

 そして、佐光が、旅行の費用が足らなかったので、後日、日本に帰って、詳細を書いて渡しますので、宜しくお願いしますと言って夜22時に、最後の晩餐会が終了。佐光は藤岡と大屋と握手して、またメールやスカイプで連絡するからと言った。そして今回もトムとスカーレットが我々の半ば18人と、握手して別れを惜しんだ。

 そして、翌日8月19日、9時に出発と伝えて、晩餐会が終了し佐光夫妻に部屋に戻って床についた。翌朝9時に3台のワゴンタクシーでシアトル空港へ10時に着いて、日本航空の登場口で手続きを取り12時半にシアトルを飛び立ち、8月21日、16時に成田空港に到着し、解散となった。佐光が、佐藤夫妻電話して2004年8月26日に精算をしたいと連絡。

 そこで、ジムの近くのレストランに午後17時から集合して欲しいと言うと、メンバーに連絡すると言ってくれた。8月26日に16人が集まり、都合で2人欠席となったが、夫婦のどちらかが来ていた。クルーズ費用が25万円、往復の飛行機代20万円、現地の移動費用1人5万円、宿泊5泊分10万円で総合計60万円と予算を立てた。

 しかし、食事代が別に20万円とバンクーバーからシアトルの飛行機代25万円、観光費9万円の合計54万円、1人当たり3万円が足らなくなったと話した。その話をし終わって、それでは、不足分の1人3万円、夫婦で6万円の追加費用を佐光さんの口座に入金して下さいと佐藤さんが言うと異論はなく了解された。

 その後、食事して、ワインやビールが入り、新しく今回、参加した高柳夫妻が、さすがにSTスポーツクラブはハイソサエティのメンバーが多く、豪華な旅行ですねと言い、僕なんか、インターネットで格安のクルーズを探して参加しますので1人50万円を越える旅行は、初めてだと言った。その時、佐光は、特に気にもとめていなかった。

 しかし、帰り際に、高柳茂雄さんが、佐光に、上手にやってますねと、笑いながら言ったのには、完全に腹が立って、何だ、その言い方はと声をあらげた。わかった、君がそう言うなら、僕は、この会を辞めると言い、冗談じゃないよと興奮した。佐藤さんが、高柳君を呼んで、君は礼儀作法を知らないねと言って、我々のメンバーから辞めてもらうと言った。

 すると、じゃー追加料金も払わなくて良いんだと笑いながら言うので、佐藤さんも馬鹿者と怒鳴った。佐光も高柳に払わなくても構わないが、僕も、この会を辞めると言ってしまった。そして収拾が付かなくなった。佐光が奥さんにスポーツジムも辞めようと言ってレストラン支払いをして、足早に出て言った。

 その後、高柳さんの以外のメンバーからの入金が終わり、佐光は、佐藤さんの家に行って、長い間お世話になりましたが、旅行のメンバーとスポーツジムのメンバーを一身上の都合により、辞めさせていただきますと言った。佐藤さんが君には、色々世話になっていながら、こんな事で迷惑かけて、申し訳ないと言ったが、あなたのせいではありません。

 佐藤さんには、いろいろ気を使っていただき、本当に楽しい2回のクルーズ旅行でしたと言い、それではごめんと、頭を下げて、佐藤宅を後にした。その後、佐光は、奥さんの陽子さんに、彼らと僕たちの住む世界が違い、金銭感覚も違うので、やはり付き合いきれないと言うと仕方ないわと言ってくれた。

2004年9月に入りスポーツジムを辞めて自転車で散歩する位になり、なんだか都心に住んでる意味が、あるのかと思い始め2004年10月6日、成田の実家へ電話すると母の佐光照美が、うれしそうに久しぶりだねと言われたとき、佐光は自分が両親に随分、不義理していたと言うことに気がついた。ごめん、いろいろ忙しくてと言ったが仕方ない若いのだからと言った。

 そっちはどうですかと聞くと、変わりなく、野良仕事を無理しないように、やってると言い、近所の老人達も亡くなって寂しくなったと答えた。その話を聞いている時に、なぜか、涙がこぼれてきた、今度、近いうちに行くよと言って、電話を切った。

 そして佐光俊充が、俺は、やっぱり成田に帰って、両親と一緒に生活すべきだった。背伸びして、都会のエリートの仲間に入った気になっていたのは、単に、のぼせ上がっていたのだと、悟った。
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