第30話:個性的塾生の入塾1

文字数 1,662文字

 それを聞いた佐光陽子は、一緒にお茶しながら、良かったわね、やっと自分の進むべき見えたと言うと涙ぐんだ。それを見て、陽子さんが、泣いてる場合じゃないのよ、東京芸大に入って絵で一等賞を取るために頑張りなさいと激励すると、涙は来て、キリッとした顔になった。これで決心がついたと言い佐光英才塾をやめて絵の先生に来てもらい絵の道を突き進むわと発言。

「陽子は、これが私達の仕事だと思い、やったと叫びたい気持ちになった」
 それから半年たった頃、土光幸子さんが、両親同伴で成田の佐光の家に来て、お陰様で、今回、娘が、大きな絵画の賞をいただいたと菓子折を持ってやってきた。やがて、2011年も本格的な冬になり、2012年を迎えた。

 そして2012年入試の塾生がラストスパートにさしかかった頃、染谷君子は順調に筑波大付属駒場中学校でも優秀な成績であり、筑波大付属駒場高校へも間違いなく進学できると聞かされていた。そして、その通り筑波大付属駒場高校への進学が決まった。弟の次郎君も筑波大付属駒場中学校のクラスでもベスト3を維持し順調に勉強を続けていた。

 2012年も佐光英才塾で敗北していった塾生が18人いて思い通りの中学、高校に合格できたので卒業していった塾生が21人いた。新規入塾生が40人入り、一気に新しい顔が増えた。この年、今迄にいないタイプの塾生が入ってきた。それは宗像走一君、17歳、ジュニアユース・サッカーの選手。彼は、自分の才能がどこまであるか試したいと彼の両親に懇願した。

 サッカークラブの練習と佐光英才塾の両方をやると言う。この逸材には。佐光俊充も注目し、自分で教える事にした。数回の授業で、彼の人並み外れた集中力と回転の良さに舌を巻いた。いままで多くの塾生を見て来たが、その中でも指折りの逸材だった。特に思考能力の高さ柔軟性は目を見張るものがあった。そこで授業をした時、なぜ、そんなに忙しい生活をするのと聞いた。

 なんで、佐光英才塾に来てるのかと聞くと、笑いなが、ちょっとオーバーだと言われるかも知れないが、僕は、中田英俊みたいに賢いサッカー選手になり自分の選手を上手く動かしてサッカーのゲームを支配したい。そのためには、素早く、正確な判断力、確実な実行力、ゲームの展開を予想する優秀な頭が必要だと考えたのでこの英才塾に入ったと言った。

 別に東大に入ろうとか、海外の名門大学に入りたいという訳でなく、サッカーのゲームメーカーになりたい。全てはサッカーのためですと言い切った。これには、さすがの佐光俊充も驚いた。年をとってサッカーの現役を引退したらと聞くと、そうなったら今まで培ったサッカーでの人脈を上手にまとめて、使いこなす技術を使い、困っている問題を解決していきたいと話した。

そう、世界で、今困っている問題。例えば公害問題、貧困問題、台風、海の水が増えて陸地が減ってる問題などを世界中の富裕層大企業の若いリーダーを束ねて解決して行きたいと言った。そりゃー、すごい、応援するよと佐光夫妻がうれしそうに言った。それを聞いて宗像走一は、やはり佐光英才塾に入って良かったと言い早稲田大学経済学部に合格して佐光進学塾を卒業。

 2012年6月1日、早朝、MB銀行の重松さんから電話で豪ドル円が下落してるので76円で買うと良いと言われ76円で526万豪ドルを39800万円で買い残金が57800万円となった。そして今年から3ヶ月に1回ずつ、自分の夢というテーマで塾生に作文を書いてもらう事にした。すると奇想天外な作文や優等生の作文が寄せられた。

 ただ単に、有名大学に入りたいとか、自分への挑戦とかの作文が多かった。宗像走一は、今、世界が直面してる問題を書き出してきた。そうしてるうちに2012年も夏休みが終わると宗像走一君はサッカージュニアユースの合宿で真っ黒に日焼けして出席した。その後、秋になり、ついて行けない塾生が12名脱落していった。やがて12月になり、足早に去り、2013年を迎えた。宗像走一君は早稲田大学受験して合格した。
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