第4話:進学塾開始、佐光と重野の結婚

文字数 1,641文字

 だから我慢できなくなったら退職金をもらって、辞めたいなと言った。私、こう見えても、小さいときから親戚の人達からもらったお年玉をしっかり貯めて、貯めたお金を父に言って、日本株で運用しているのよと言った。その金額は、既に300万円を越えたと言った。その後も月に1回程度、4人の仲間と会って、楽しく話をし、1972年が終わり1973年を迎えた。

 そして1973年4月1日、藤岡隆三が、父から100万円を借りて貸事務所を借りて進学塾をやってみないかと言い、大屋も佐光も、その話にのって3人で進学塾を始めることにした。この話を重野陽子に電話で知らせると、是非、私にも参加させて下さいと言ったので、佐光が藤岡に聞くと、最初は、たいした給料を払えないが、それで良ければ、大歓迎だと言ってくれた。

 その話を重野陽子にすると大喜びした。数日後の藤岡隆三、佐光、大屋、重野の4人が集まって進学塾の話をし、数学を藤岡が、理科と社会を佐光が、国語、論文他を大屋、英語を重野が担当する事に決まった。その後、7月10日に重野が突然、佐光のアパートへ現れた。驚いて話を聞くと重野が、父に医療事務の仕事を辞めたいと言うと激怒された。

 その場で、出て行けと言われ、退職金が欲しいと言うと100万円渡すから、二度と、ここへ来るなといわれ、仕方なく佐光君のアパートに来たと語った。そのアパートを見て、これはひどい、私が、家賃払うから、もっと良いマンションに引っ越そうと言うので彼女に任せると言うと池袋から20分以内の場所を1日かけて探し回った。

 すると、東武東上線の和光市が環境も良いし、池袋まで16分行けることがわかり、この周辺を探し回ると、駅から徒歩10分、自転車で数分のマンションの2DKが家賃6万円で借りられることがわかり、直ぐに決め、佐光と重野が同棲を始めた。そして引っ越した事を藤岡隆三、大屋に伝えると、藤岡がうちも和光市だと教えてくれた。

 7月12日、藤岡が佐光、大屋、重野に明後日、進学塾の場所を探しにいくと連絡が入った。7月14日10時、池袋の東上線改札出口で待ち合わせ、近くの喫茶店に入り、話し合った。その時に、藤岡が日本株投資で資金作りをしたいので、土日だけの進学塾にしたいと言うと、特に異論がなく了解された。そして藤岡と大屋、佐光と重野の2人で3グループに分かれた。

 賃料、月10万円で、池袋から近い所で、最低50人以上入れる会議室を探そうと決まった。進学塾の場所探しは、午後17時で終了し、ここに、集合する事にした。3グループに分かれて、近くの不動産屋を訪問し始めた。しかし、家賃10万円では、なかなか良い物件が見つからなかった。やがて17時になり、集合して、喫茶店に入り状況を話し合いを始めた。

 結果として、3軒が希望条件に、該当し、駅から一番近い。最寄り駅から徒歩15分の6階の奥の部屋で土日限定で10万円が良いのではないかと決まり、全員で、出かけた。行ってみると北側でエレベータから一番遠い部屋で、長机と長椅子が無造作に置かれて、黒板があるだけの簡素な作りだった。これを見て、重野さんが、会議の時には、飲み物がないとダメねと言った。

 1クラス何人で、何時間授業するのと、藤岡に聞くと、最低10人以上できたら20人以上で授業時間は2時間単位で、授業は進学塾だから補習事業ではなく、質疑応答形式で、より実戦的な進学指導をしたいと言うとわかりましたと言った。授業の時には、基本的に全員に参加してもらい、全教科の質問に答え様と思っているというと、異論なく了解された。

 最後に大屋が、藤岡に採算取れるのかと聞くと、最初は、難しいと思うが、何としても多くの生徒を集めて早急に黒字化したいと笑いながら言った。ところで月謝はと、重野が聞くと、あ、そうだと藤岡が言うと、大笑いした。重野が5千円、佐光と大屋が4千円、藤岡が3千円と言った。俺が資金出すのだから3千円で行こうと言うと無理すんなよと言った。
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