第22話:故郷、成田に帰ろう1

文字数 1,730文字

 その話を奥さんに話すと、確かに背伸びしてたのかも知れないと同意。成田に帰って、違った何かをしていこうと話した。すると、奥さんが何をするとの聞くと、自分達のためだけでなくて、他の人に良い影響を与える事をすべきだと言い、でも、私達にできるのは、せいぜい家庭教師位よと奥さんが言うと、そうだ成田で優秀な若いエリートを育成していこうと言った。

 そうね、その方が、子供もいない、私としては、楽しいかも知れないと笑いながら言った。そうしよう、成田の実家へ行って、あいてる土地を探して、家を建てて、離れで勉強を教える塾を始めようと言った。悪寒は十分にあるから。それで行こうと言うと、奥さんも、その方が楽に生きられるかも知れないと賛成してくれた。

 そして10月12日、朝10時に上野を出て京成特急で成田に11時に着いて久しぶりに親に会うと、父と母が、やっとわかったか、と言うと、涙を流して喜んでくれた。その後、両親が、隣の佐光友和さんが亡くなり、奥さんの啓子さんも3年目に亡くなった。子供達は、東京とロサンゼルスにいるが帰って来ず、亡くなる前、佐光俊一さんに後を託すと言った事を話した。

 息子さんと娘さんは、葬式に来なかったのと聞くと、来なかったと良い、私が、葬儀を取り仕切ってやったと言った。そう言う人もいるんだと佐光俊充も驚いた。だから、私が、佐光友和さんの家に入り、お前が、ここに済んだら良いと言った。ここは敷地どの位あると聞くと、350坪、いや、納屋、昔の牛小屋を入れると500坪になるかなと言った。

 ちなみに佐光友和さんの家はと聞くと、うちの半分くらいで250坪程度だろうと言った。そして、地元に工務店、建築業の知り合いはいないかと聞くと、昔なじみの小泉工務店の小泉太郎がいるが、自分だけでは商売にならないので、どっかの木造住宅の会社のフランチャイズの傘下に入って、注文があると、千葉県内で家を建ててると言った。

 その人を紹介してと言うと、直ぐに電話かけてくれた。電話で、概要を聞くと、木造在来工法で120平米から180平米の規格住宅を格安で販売してると言い、成田にモデル住宅を建てて、そこの事務所にしてるから、一度来てみたら良いと言った。そして佐光俊充が、来週中に上野のマンションを引き払って、こっち引っ越してくると言うと、わかったと言った。

 お前が、ここに住んで、俺が、佐光友和さんの家に住むと言った。その後10月17日、引っ越し屋に4トン・トラックの満載の荷物を積んで佐光夫妻が自分の車で成田の父の家に引っ越して来た。1日で荷物を運び込み、引越を終えた。10月19日、父の友人の小泉工務店の小泉太郎さんに電話を入れて、佐光夫妻が甲泉工務店を訪問した。

 そこが180平米の小泉工務店の一番、豪華で大きいモデル住宅になっていた。そこで、住宅のパンフレット見せてもらうと、180平米4LDKが1500万円、120平米が1200万円だと話した。そこで佐光が今モデル住宅を売ってもらうわけにはいきませんかと聞くと、別に売っても良いかと言った。もちろん、移築だから、価格は勉強するよといった。

 次に、180平米で間仕切りを少なくして教室みたいに使える家は、もっと安く作れますよねと聞くと、そう、部材も減るしやすく出来ると言った。それを聞いて、このモデル住宅をそのまま移築して、もう1軒180平米の家をテラスハウスの様にくっつけて建てる。それとは別に、別の土地に120平米のモデル住宅を建てるとして、いくらでできますかと聞いた。
 
 ちょっと待って、直ぐには出せない。誰が建てるのだと聞くと佐光俊一の長男の私、佐光俊充が建てて支払いますと言った。それなら、できるだけ勉強する。幾らになるか、2-3日中に連絡すると言った。この話を実家に帰って佐光俊充が父に言うと、お前、そんなに金あるのかと
聞くので、株投資で成功して数億円あると言うと驚いた。

 そりゃ、ありがたい話だが、絶対に無理するなと両親が言うので、大丈夫と答えた。10月25日、小泉太郎さんが父の佐光俊一の所へ来て、図面とパンフレットを持って来た。佐光俊一の所を整地して、今のモデル住宅を移築してもらうようにお願いした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み