第1話:佐光俊一誕生と妙な体験

文字数 1,713文字

 佐光家は、成田近郊の富里地区の穀倉地帯の小作農民の家だった。父の佐光俊一1922年5月17日生は、佐光家の長男で、成田の役所の農政課で働き、母・佐光照美1925年6月18日生も同じ職場で働いていた。共働きの時に祖父母が、幼い佐光俊充と妹の佐光秋子の面倒を見てくれた。共働きのため、ある程度、蓄えもあり、1965年には、カローラを持っていた。

 佐光俊充は1948年6月12日に成田に生まれ1964年に千葉県立佐倉高校に入学して、学年トップの成績で東大をめざし勉強し1967年2月の試験で東京大学経済学部に合格。しかし、吃音と言うハンデが、あった。妹の佐光秋子は1950年7月16日に生まれた。妹は、佐倉第二高校という女子高校に入学し1969年に卒業し地元の千葉銀行富里支店に勤めた。

 しかし佐光俊充が、東京大学に入ると当たり前のことだが日本中のエリートが集まっており成績も中程度になってしまい勉強と家庭教師の仕事でヘトヘトになり、競争社会であり全く隙を見せられない生活に慣れなくてストレスがたまってしまった。そんな時、ある大学生の音楽サークルに入り、佐光俊充は魅力的な女子大生、海藤敏江と知り合い、仲良くなった。

 男好きの海藤敏江に呼び出されては、都会のストレスの解消のため逢瀬を重ねて離れられなくなり大学の成績が落ち始め、まずい状況になった。そんな時、千葉県佐倉の増田タネというのおばさんが、近くに行商に来て、いくつかの野菜を買って、佐光が。成田出身だと言うと、懐かしそうに、偉いね、1人の生活してと、数分間、千葉の方言で話をして大きな慰めになった。

 佐光が、このまま、自堕落な生活をしていてはダメだと思い始めた。そして海藤敏江に月に1回しか会えないと言い、勉強と家庭教師に励んでいると、海藤敏江の方から別れると一方的に言われて別れた。毎週のように、その増田タネさんが佐光の家の通りで行商しに来てくれ、時間のあるときには、世間話をして、少しの野菜を買って、故郷の話を聞くのを楽しみにしていた。

 1968年、佐光が大学二年の時に、勉強に疲れて、机に突っ伏した時に、金縛りにあい、動けなくなった。すると、なぜか、以前来た、渋谷の待ちに、大勢の若者が集まって、異様な雰囲気であった。服装も全く違う派手な洋服を持ち、不思議な縦長の板のような物を眺めてる若者ばかりだった。そこで、若者に、それ何と聞くと、不思議そうな顔をされて、スマホと一言。

 しかし、良くわからないので、優しそうな女の子の集団に声をかけて、スマホって何で、どんな風に使うのと聞くと、「マジ・ダセー」と言われ、皆に、笑われ、田舎者で知らないんだというと、「ウソー・信じられない」と、言った。

 そして、スマホは、友達とメールしたりラインでやりとりしたり面白ゲームをしたりする物と言いメールとかゲームとか音楽を聴かせてもらった。それを見て、佐光が、すごい便利なんだねと言い、でも、なんで電話しないのと聞くと、「そんなダサいこと、マジ、ウゼーと言った」それどういう意味と聞くと、大笑いした。

「それは、本当にめんどう臭いなーと言う意味だよと教えてくれた」
 佐光が、不思議に思い、原理は、どうなってるのと聞いた。
「インターネット回線を使い、文字や画像、動画を送りあってる見たいと答えた」
「これで集合する場所や新製品を使った感想、相談を依頼する」

「仲間との連絡にチョーベンリと言った」
「それ以上、聞いても、まずいと思い、お礼を言って別れた」
「その後、メカに詳しそうな、若い男性に、スマホの原理を聞いた」
「それによると、電波を飛ばし文字、画像上データをやりとりしてる様だ」

「昔は、大きなパソコン、パーソナル・コンピューターだったと語った」
「しかし、最近の技術の進化で、これだけ小さな物になったと教えてくれた」
「そうかコンピューターの進化したものかと理解できた」
「次に、今日、なんで、こんなに多くの若者が集まってるのかと聞いた」

「マジ、知らねーのかと言い、大笑いされた。
「年に一度のハロウインに、最近、多くの若者集団が集まる」
「そして、1夜限りの無礼講のパーティーをするのさと笑った」
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