第2話:妙な体験と上昇株と吃音のハンデ

文字数 1,608文字

 しかし、警察官が、大勢いて、まるで安保反対の闘争のようだった。周りでは、若い男女が抱き合っている姿が、多く見られて、浮かれている様子。ハロウインて何と聞くと自分で調べて見なさいと言われ去って行った。そのうち、大きな警察車両の上に乗った警察官が、マイク片手に止まってはいけないとか、早くスクランブル交差点を渡りなさいとか指示し始めた。

 何か、異常な感じがしたので、集団から、離れて、逃げるようにしているうちに、意識が戻り、おもむろに頭を上げると、いつもの1ルームの安アパートの部屋に戻った。そして、いつも日々が始まり、大学へ行き、ゼミの講義を聴いて、空いてる時間に家庭教師をする生活。さらに、週に2回、東大の文化サークルの投資研究会に参加した。

 そこでは、バーチャルで、日本株投資をして収益を競い合った仲間と日本株投資の研究を話をしていた。研究会を終えた後、大学の近くの居酒屋で打ち上げし、その中でも重野陽子さんと、次第に仲良くなっていった。彼女の家は、東京都内でマンションを建てて、父と兄が皮膚科と眼科の医者をしていて、姉1人が薬剤師をしていた。

 アルバイトとして、医療事務の仕事をして、将来は、このビルの医療事務をやって欲しいと言われていた。やがて、1968年9月になり、少しずつ、涼しくなってきた。この日も勉強と家庭教師の疲れで、机に突っ伏していると、金縛りにあった。半袖姿でみぞれ交じりの日本橋を歩いていると、お兄さん、そんな、寒々しい格好でどうしたのと聞かれた。

 そこで、道を尋ねると品の良さそうな三越から出て来た、おばさんが、声をかけて、それにしてもみすぼらしい格好ねと言った。あなた、どこの学生と聞くので、東京大学の苦学生ですと言うと、なる程ねと言い、ちょっとついてきなさいと言われ、ついていくと、三越で素敵なジャンパーを買ってくれた。その厚意に対して、本当に、ありがとうございますと言った。

 一生懸命勉強して、日本のために頑張ってねと言って、笑顔で去って行った。その後、何気なく、東京証券取引所へ行くと、殺気だった異様な雰囲気の中、ヤフーが1株、1億6790万円の史上最高値を更新したと大きな声で話しているのが聞こえた。前回の金縛りの時も会ったことを全て、メモしていたので、今回も手帳にヤフー株、1株、1億6790万円と書きこんだ。

 あたりを見回すと、2000年2月22日、朝9時だった。そして、東京証券取引所に入り、見学の集団とくっついて、行くと、ソニーも33250円の最高値を更新したと言った。ソフトバンクも今日181000円と、昨日の186000円が最高値だなと話した。ヤフーが後場に入って急激に下げてきたので、ここらが売り時だなと話していた。

 この話を歩きながらメモしていると、何かにつまずいて、床に転げたと思ったら、目覚めて、机から身体を起こした。すると、親切なおばさんからもらった、ジャンパーを着たまま戻って来た。しかし、現在では、こんな派手なジャンパーはないので、タンスに直ぐしまった。その後、1969年を迎えた。佐光俊充は、人と話すのが苦手で、少し吃音もあり、悩んでいた。

 また、頭の回転が速いが、人に説明するし、理解してもらえないと面倒臭くなり、何回も説明するのが嫌になるのだった。そのために、大学でも友人が少なく、大学の時代の友人は、同じ吃音に悩む、藤岡隆三と、説明が苦手な大屋泰治の3人だけだった。やがて1970年を迎えた。卒業論文の作成が始まり、夜遅くまで勉強する日々が続いた。

 そして、あっという間に1971年となり、入社試験を2社、受験して、MB銀行から採用の内定をもらった。そして、1971年3月に東京大学経済学部を卒業して、MB銀行日本橋支店に入行した。研修の2ケ月が終わり、窓口業務をはじめると、吃音の問題で、業務変更となり、営業部に回され、毎日、外勤をさせられた。
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