第7話:釧路避寒の旅とアイヌ民話1

文字数 1,720文字

 20時前に出港し、翌7月29日の13時半に苫小牧港に到着した。その晩は千歳のホテルに入り1泊した。、翌7月30日の朝、車で東に向かい石勝線沿いに走り、昼頃に帯広に着いた。そして、十勝名物、豚丼の店に入り甘辛いタレの旨い豚丼をたらふくいただいた。一休みして、池田町に立ち寄りワイン工場を見学してワインを購入。

 更に、東へ向かい、夕方には、釧路に到着して、ホテルに戻り、釧路の魚の旨い店をホテルで教えてもらった。その後、奥さんと2人で夕食を食べに行き、ホテルに戻って来て、池田ワインをあけて、飲んで床についた。翌、7月31日は、摩周湖へ向かい車を飛ばして、摩周湖第一展望台からの湖の反対側の山を眺め、多くの写真を撮った。

 その後、更に先に進んで、摩周湖第三展望台へ行き摩周湖を眺めてみるとカムイアンヌプリの姿が真正面に見えて、その姿をはっきりと見ることができた。摩周湖第三展望台からじっくり景色を眺めているときに、近くにいた観光客が裏摩周湖展望台も面白いから行って見ると面白いと言われ、1時間程でつくからと言われた。

 そして、さっき見て来た摩周湖第一展望台近くの摩周湖レストハウスの御主人が摩周湖に伝わるいくつかの伝説を知っているから、食事して聞いて見ると気軽に教えてくれるよと言ってくれた。そこでまだ時間が早いので、国道391号線を北上して空いていたので飛ばして裏摩周湖展望台に行くとカムイアンヌプリの反対側から見られ、湖に突き出た大きな島の様にも見えた。

 また、駐車場からも多くの周りの北海道の山がいくつも見え壮観であり多くの写真を撮った。次に気になった摩周湖レストハウスに向かい、そこで昼食をして摩周湖にまつわるアイヌの伝説を聞こうと考えた。45分ほどで到着し、昼のランチ定食を頼んで、マスターに手が空いたら、摩周湖にまつわるアイヌの伝説を聞かせて欲しいと言うと了解しましたと言ってくれた。

 30分後、食事を終えて、食器も下げてもらった後、マスターが来て、摩周湖は神秘的な湖で数多くの言い伝えやこの景色の神秘性から創作民話、他の民話を少し変えたものや祭りを盛り上げるために宣伝効果を狙った話もあると言い、有名な昔話を3つ選んで話をすると言った。1つ目が「ポンヌプリと雄阿寒」と言う名前の民話。

 もともと雄阿寒岳と雌阿寒岳は夫婦の山であったが、雄阿寒には北見留辺蘂の裏にあるポンヌプリという妾山があった。あるとき魔神のニッネカムイが現れて山のくせに妾を持つとは生意気だと持っていた槍で雄阿寒を突き刺し、何の罪の無い雌阿寒の頭をも突きとばしてしまった。雌阿寒の噴火口はそのときの槍痕であるという。

 二つの山を痛めつけた魔神は続いてポンヌプリまで突き飛ばしたが、その槍先がそれて七曲がりに止まり、その槍跡は深い沢になってしまった。この魔神の暴虐に恐れたすポンヌプリは留辺蘂から逃げ出して屈斜路湖畔に移ってしまった。それが現在どの山か不明であるが、その山の一方から赤い水が流れている。これは山の涙であるという。

 そしてポンヌプリのあった跡は沼になっているということである。こうしたことがあって以来、阿寒の人が屈斜路湖上に出ると、必ず雨が降ると伝えられている。2つ目が「阿寒湖のマリモ伝説」、昔阿寒湖に菱の実(ペカンペ)があったが、阿寒湖の神様はそれを喜ばず邪魔をしていた。然しペカンペはなんとか神様の機嫌を取ろうと努力した。

 そして、「私たちは出来るだけ仲間を多くしたいと思いますから、どうかいつまでもこの湖においてください」とお願いしたところ、苦り切った神様は「お前達を湖に置くとどうも湖が汚くていけない。それにお前達がいると、お前達を取るために人間が多くなって、いっそう湖が乱れるから置くことは出来ない」とペカンペの願いは、にべもなく神様に断られてしまった。

 我慢をし続けてきたペカンペもこの神様の冷酷な言葉に憤然として、あたりにあった草をむしって丸めて湖に投げ入れここを去ってしまった。そのペカンペにむしられて投げ込まれた草が現在のマリモになったと言うのである。当時、アイヌはマリモを「トーサラウンペ」・湖の妖怪と言って恐れていたと言う。
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