第34話:染谷兄弟が医学部、土光さんが芸大に合格

文字数 1,734文字

 そして夏休みに入り、終わる頃には成績が伸びた子、伸びなかった子に別れた。そして秋になり、猿田剛介も来年高校受験となり、サッカー部を退部して勉強に専念していた。やがて2016年を迎えた。その後、染谷次郎が東大医学部を受験し不合格だったと連絡があり、数日後、慶応大学医学部に合格したと連絡が、本人から入った。

 東大受験の時に姉ちゃんに負けまいと舞い上がったが、慶応大学、受験の時、無心で集中できたと言った。東大に不合格だったのでの合格パーティは辞退しますので、予め言っておきますと言って照れ笑いした。しかし2016年4月2日に染谷君子と次郎の2人が佐光の家に、菓子折を持ってきて、長い間、本当にお世話になりありがとうございましたとお礼を言った。

 それを聞いていた、佐光陽子が、たまらず、あの小さな子供たちが、こんなに、たくましくなってと言うと後は言葉にならず涙した。泣きながら2人を抱きしめ本当の良く頑張ったと言った。帰り際、染谷君子が、亡き両親の代わりになって、助けてくれ、この、ご恩は一生忘れないというと佐光俊充もハンカチで流れる涙を拭いた。

 両親が、亡くなって離れがあいてるから夏休みでも泊まりにおいでと佐光陽子が言った。その時は宜しくと、弟の次郎が言って手を振って帰って行った。その頃、猿田剛一は成田近郊では最優秀校の佐倉高校に合格。また、以前、佐光陽子が佐倉のDIC川村美術館へ連れて行った土光幸子さんからの電話で東京芸大に現役合格を果たしたと電話で聞いた。

 電話口で、土光幸子さんが、私はあなたに、救われたと聞くやいなや、佐光陽子は、うれし涙にくれた。もし将来、私が展覧会を開く時には一番に先に、招待状を送りますから御主人と一緒に来て下さいと言ってくれた。そして両親の家があいたので、そっちで2人で生活を始めた。

 2016年6月24日、早朝、MB銀行の重松さんから電話が入り豪ドル円が下落してるので76円で買うと良いと言われ1000万豪ドル76000万円で購入し、残金が33411万円となった。2016年も塾生の入れ替わり多く72名が退塾し73名が入塾してきた。そして夏となり最近の受験校を5年前を比較し合格者数も比較してみた。

 すると受験校のレベルダウンが大きい事がわかり、また合格者数が減り、不合格者数が大幅に増えて、比例して退塾者数が増えていることが一目瞭然として、佐光夫妻は、がく然とした。やはり我慢する塾生が減り、駄目そうだと、直ぐ、あきらめている事が統計からもはっきりして佐光英才塾、創設当時の理念から遠くかけ離れていると感じた。

 これじゃ、単に金儲けのためにやってる、普通の進学塾と変わらないではないかと考えると急にやる気が失せた。そうこうしてるうちに秋が過ぎ、2017年を迎えた。そして多くの塾生の合格と不合格の連絡が入った。その後、2017年も塾生の入れ替わりが激しく88人が退塾して86人が入塾してきた。

 この現実を見て、佐光俊充が奥さんの陽子さんに、こんなに入れ替わりが激しいと、じっくり優秀な人材を育てると言うわけには行かなくなると言い、やる気が失せたと言い、今年いっぱいで佐光英才塾をたたもうと言ったので、言われることは持ってもですが、本当にそれで良いのですかと聞くと、良いと言うと、陽子さんもわかりました、そうしましょうと言った。

 しかし、佐光英才塾での収益は大きく、約1億円の蓄えができた。陽子さんが、その後、何するのかと佐光俊充に聞くと10億円以上の金ができ塾を卒業して社会人になった、優秀な塾生も増えてきたので、彼らと、日本のため、世界のために何か新しいプロジェクトでも考えようと言った。2017年7月27日、早朝、MB銀行の重松さんから電話が入った。

 そして豪ドル円が上昇してるので88円で売ると良いと言われ1000万豪ドル売却し、残金が11931万円となった。それ以外に1億円の預金があるので、総資産が約13億円となった。

 やがて、秋、冬が過ぎ、2018年を迎えると塾の先生方6人を呼んで、今年いっぱいで、佐光英才塾を閉めると宣言した。その後、佐光英才塾を2018年3月30日をもって閉鎖すると関係者全員に封書で送った。
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