第9話:外貨で安定投資とハワイクルーズを計画

文字数 1,710文字

 この頃は、ネットバブル崩壊で日本株の下げ足が速く、それを見てると株式投資の怖さが身にしみた。そんな時、まず、元本われはないと信じられていたMMFが2000年に三洋投信が元本割れを起こした。そして郵便局の金利も、ほぼ0%で現金保有しか選択肢がなかった。そのため、世の中の景気が正常に戻るまで、銀行の普通預金に預けるしかなかった。

 やがて2001年を迎えたがはエンロン事件の余波をうけて米国MMFも日興アセットのファンドなど5本が元本割れとなった。こんな時、佐光俊充の東大経済学部時代、仲良くしていMB銀行に勤める重松健三に資産運用のの方法について相談したいと言い、2001年3月10日日曜日、上野駅近くの喫茶店で待ち合わせた。

 久しぶりだったので喫茶店で雑談した後、重松が、重要な話を、ここでするのは嫌だろうからと言い、カラオケ屋へ場所を替えた。そして佐光が塾を数人で経営して生活費を稼いでいたが、ヤフー株を買って、5億円あまりの金を持っていると言うと驚いていた。だから金を増やすと言うよりも守る運用、堅い運用がしたいと話した。

 今どうしてると聞かれ銀行の普通預金に置いてるというと、それしかないだろうなと納得した。どの位の年金が必要かと聞かれ2人で1年に600万円位と答えると、そんなに難しくないと笑った。もちろん、相談の乗ってくれた重松の銀行に佐光と内縁の妻の約6億円の口座を新しく作ることを約束した。

 まず6億あれば、2億円を増やす投資に回し、それ以外は普通預金で良いだろうと言った。具体的な投資の方法はと佐光が重松に聞くと、為替取引が比較的安全だろうと言った。そんな重苦しい、世界情勢の中、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起きた。アメリカの世界貿易センタービルが崩壊する姿を見て、佐光と重野は、お先真っ暗になった。

 しかし、それは2人に限った事ではなく、日本、世界の多くの人々を恐怖のどん底に落とした。そんな中、佐光と重野は借家の中で必要な食料を買って生活し、読書したりテレビを見たりして過ごした。そんな9月20日朝9時に重松健三から連絡があり豪ドルを1億円ずつ買うと良いと連絡が入り佐光がこの意見に同意しMB銀行で片道1円の手数料で買ってもらった。

 1豪ドル56.45円で177万豪ドルずつ2人で354万豪ドルを買えたと連絡が入った。その後、たまに橫浜の海を散歩するので出かけたりする位だった。やがて2001年が終わり2002年を迎え、更なる大事件も起こらず、世の中、明るさを取り戻した。この頃になると、2人とも退屈になり、近くのスポーツジムに通うようになった。

 佐光夫妻が、東大でのエリートと知ると、一緒に海外旅行誘われるようになった。そのうち、シティバンクゴールドカードで、デラックス海外旅行がカード支払いで6%引きとマイレージがたまる事に気づいた。2002年4月10日、奥さんがハワイ4泊6日のデラックス旅行1人20万円を5家族10人で出かけ総額200万円で割引が12万円入る事がわかった。

 ドルカードを利用し米国で米ドルで、他人の買い物を支払い5%の手数料で日本円で支払った。為替が面倒で奥様方に、好評で、お土産、ツアー、ゴルフでバンバン使うので1人当たり10万円以上使い100万円以上で5万円が入った。そう言う事で、概ね、1人分の旅行代が捻出できた。その後、仲間のうち、5家族がラスベガスが好きで、毎年行くのをを知った。

 そこで、10月12日、一緒に5泊7日の30万円のデラックスホテル・ツアーで行き、キャンブル代金もドルカードを利用した。すると10人で合計800万円以上も使い40万円以上が入った。そうして2002年が終わり2003年を迎えた。今年はハワイクルーズに行きたいが、英語を話せる人がいなくて、困ってると、佐光陽子さんがスポーツジムで言われた。

 そこで、佐光さんの旦那さんに聞いて下さらないと言われた。その話を聞いた佐光俊充がいくらくらいが良いのか聞いてと奥さんに伝えた。翌週、ジムの仲間がロッカーで、ハワイクルーズなら、11泊12日くらいで60万円位が、理想ねと言った。
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