1話
文字数 3,475文字
「ば、馬鹿な……どう、して……」
今にも倒壊しそうなほどに破壊された、リーラス王国城、玉座の間。
勇者一味と半人半魔の激闘によって、華美だったその場所はところどころに大穴が空き、そこから外の人々と魔物の声が、大小様々に聞こえてくる。
どうやら外の魔王軍残党は、王宮付近にまで攻め入ることができているようだった。
端正な作りをしていた絨毯は戦いの余波で引きちぎられ、むき出しとなった床の上には勇者の仲間達が倒れ伏していた。
皆 、自らの持つ武器を完全に破壊された上……急所を一撃で貫かれていた。
そうして今……フリーデンの鋼鉄にも勝る強度を持つ右翼が、勇者の心臓を貫いていた。
勇者は信じられないといったふうに、血に濡れた瞳で自身の胸を見つめていた。
「神官が倒れた今、貴方を治癒する者はもういない。……終わりだ、勇者!」
フリーデンの声で我に返った勇者は「くっくっくっ……」と、口の端から血を垂れ流しながらフリーデンをあざ笑う。
「……何がおかしい」
「ああ、おかしいともさ。だってな、そう言うお前の方だって……もう終わりだろう!」
勇者はフリーデンの凄惨な姿を見つめ、最後の悪あがきと言わんばかりに喚く。
確かに勇者の言う通りフリーデンは……有り体に言えば、もう死んでいてもおかしくないくらいにボロボロだった。
全身を覆っていた結晶の鎧は、もう右腕と右翼しか残っていない。
左腕は切り飛ばされ、胴には左肩から右脇腹へとかけて深く刻まれた一筋の刀傷が付いており、加えて複数箇所に大穴が空いている。
足も何度も魔法で撃ち抜かれたおり、どうしてしっかりと立っていられるのかが不思議な状態だ。
何より……彼の胸にもまた、深々と聖剣が突き立っていた。
だが、自分の状態を再度確認してもフリーデンの声は冷静そのものであった。
「そうだ。貴方の言う通り、僕の命ももうじき尽きるだろう。……けれど」
フリーデンは自らの体が冷たくなっていくのを感じながら、最後の力を振り絞って、右翼を勇者の体から引き抜く。
「貴方を倒すことができた今……僕のなすべきことは、終わっている」
「……そうかよ。偽善に満ちた、英雄気取りが」
その胸からおびただしい量の血を吹き出しながら、勇者は最後まで恨み言を吐いて倒れ……そのまま静かになった。
「終わった……」
勇者が事切れたのを確認した途端、フリーデンもまた膝から崩れ落ちる。
この最終決戦に向け、仲間達から幾重にも付与 してもらっていた白魔などの強化 が、自らの命と共に体から抜け落ちていく寂寥感を感じていながらも……彼の表情は清々しく、澄んだものであった。
──すまない皆、僕は先に逝くよ。
……魔王様。
僕もこれから、御身の元へ……。
自らと勇者の血の海に倒れこんだフリーデンは、意識を失っていく。
だが……彼が永劫の眠りにつこうとした、その少し手前。
──貴方は、絶対に死なせません。
それは死にゆく間際の幻聴だったのか。
どこかからか優しげな声が聞こえて……胸元が、軽くなった気がした。
かくして……この広い世界から、魔王も勇者も消え去った。
***
体中が熱い。
自分自身が溶けた鉛になってしまったような、そんな錯覚すら覚える。
「うっ……」
「やっとお目覚めか」
意識が朦朧とする中、ぼんやりと目を開けると無骨な岩肌の天井が視界に入った。
どうやらここはどこかの地下室で、僕は寝かされているらしい。
傷があるのか痛む体の感覚に呻きながら、首だけを回して声の主へと振り向くと、そこには見知った顔があった。
清流のように青い髪と、緑玉色の瞳の美しい女性がこちらを覗き込んでいる。
はっきりしない意識の中、どうにか彼女のことを思い出す。
そう、この人は僕の上司の魔王軍幹部、生き残った四天王の一人……。
「アンネ、さん。僕は、一体……」
起き上がろうとする僕を、アンネさんは手で制した。
「おっと、片腕の再生も済んでいないしまだ動かない方がいいぞ。お前の体は強引に限界を超えて強化されていた反動で、動くどころか魔法の行使が難しいほどに衰弱している。それにお前、前にあれだけ注意したのに魔族化した状態で聖剣にも何度か斬られただろう。聖剣の『魔を砕く』力で体中の魔力が崩されているぞ。……この分では、戦線復帰はできないだろうな。元のように戦える日が来るにしても、えらく先の話になることだろう」
「……!」
顔をしかめて話したアンネさんの言葉で、これまでの全てを思い出す。
……そうだった、僕は確か勇者と相打ちになって……。
「他の……皆は?」
「まずは自分の心配をしろ、と言いたいところだが、まあいい。質問には答えよう」
そうして、アンネさんは一から十までを語ってくれた。
勇者が倒れたことでリーラス王国軍の士気は一気に低下し、魔王残党軍が彼らを押し切って辛くも勝利を納めたこと。
いち早くアンネさんが倒れていた僕の元に駆けつけ、回復系統の四天王の権能を使って僕を救ってくれたこと。
そしてここは、アンネさんの隠れ家であるということ。
「それでこれからどうする、フリーデン。今皆の元へ出て行けばお前は英雄待遇だろう。文字通り、身を犠牲にして世界を救った英雄だしな。だが、お前はそういうのを好く柄でもないだろう?」
「全くですね」
自分の今後について、少し考えてみる。
アンネさんの言う通り、この分では前線で戦い続けるのは難しいだろう。
激しい動きも魔法の行使も、これからはある程度制限される羽目になることだろう。
とは言え、胸に聖剣が刺さった状態で生きていただけ儲けものだ。
僕は本来なら、あそこで死んでいてもおかしくはなかったのだから。
それに勇者を倒して静かになったこの世界で、まだ魔王残党軍として戦い続ける意味はあまりないと感じる。
訳あって魔王軍に入ったものの、僕自身は闘争を好むとか、そんなことはないからだ。
……となれば、だ。
「アンネさん。これからのことについて……笑わずに聞いて欲しいんですけど、いいですか?」
「ああ。どうせお前はまた魔王軍兵士らしからぬことを言うことが目に見えてるし、思い切り笑い飛ばしてやるさ」
いたずらっ子みたいな笑みを浮かべたアンネさんに、僕は苦笑しながら自分の思いを告げる。
「僕は……これからの人生を使って、昔描いた願いを叶えたく思います」
***
カーテンの隙間から差し込んできたらしい光が、瞼を照らしてくる。
眩しい……そう思ってカーテンを引っ張るが、なんとなく目が覚めてしまっていた。
薄い毛布を退けて、適当に畳んで枕の横に置く。
カーテンをしっかりと開け、全身に朝日を浴びる。
窓から見える湖の水面は、今日も朝日を照り返して燦燦と輝いていた。
その上を、水鳥達が悠々と泳いでいく。
柔らかな産毛を纏った雛鳥達も親鳥の後をついて行くように泳いでいて、とても可愛らしい。
ふと、水面をぴしゃりと跳ねた魚を見て、今日の朝食は焼き魚にしようと決める。
まずは冷水で顔を洗ってから歯を磨き、完全に目を覚ます。
それから姿見に映った自分の頭を見ながら、軽く髪の毛のハネを直す。
こうして姿見を見ていると、切り飛ばされた左腕が治って本当によかったと毎朝のように思う。
片腕だけでは、櫛を持ちながらもう片方の手に水をつけてハネを直す、なんてことはできないのだ。
再生能力は人並み以上な半人半魔の体に感謝だ。
一通り髪の毛を直した後、白色の半袖と藍色の長ズボンというラフな服に着替え、軒先に立てかけてあった釣竿とビクを持って湖へと向かう。
湖の辺 りには、鹿の親子も水を飲みにきていた。
「やあ、おはよう」
子鹿がこちらを見て小さく鳴いて、どうも僕に挨拶を返してくれたのかな、なんて思えて微笑ましくなる。
こんな感じにこの僕、フリーデンが療養も兼ねて静かな山奥に移り住み……第二の人生とも言える生活を始めてから、三ヶ月が経とうとしていた。
アンネさんに言った、僕が昔描いた願い。
それは……こうして仕事や喧騒から離れ、静かに自由に生きることだ。
……魔王軍兵士らしからぬことと笑われても、これが僕の、心からの願いだった。
今にも倒壊しそうなほどに破壊された、リーラス王国城、玉座の間。
勇者一味と半人半魔の激闘によって、華美だったその場所はところどころに大穴が空き、そこから外の人々と魔物の声が、大小様々に聞こえてくる。
どうやら外の魔王軍残党は、王宮付近にまで攻め入ることができているようだった。
端正な作りをしていた絨毯は戦いの余波で引きちぎられ、むき出しとなった床の上には勇者の仲間達が倒れ伏していた。
そうして今……フリーデンの鋼鉄にも勝る強度を持つ右翼が、勇者の心臓を貫いていた。
勇者は信じられないといったふうに、血に濡れた瞳で自身の胸を見つめていた。
「神官が倒れた今、貴方を治癒する者はもういない。……終わりだ、勇者!」
フリーデンの声で我に返った勇者は「くっくっくっ……」と、口の端から血を垂れ流しながらフリーデンをあざ笑う。
「……何がおかしい」
「ああ、おかしいともさ。だってな、そう言うお前の方だって……もう終わりだろう!」
勇者はフリーデンの凄惨な姿を見つめ、最後の悪あがきと言わんばかりに喚く。
確かに勇者の言う通りフリーデンは……有り体に言えば、もう死んでいてもおかしくないくらいにボロボロだった。
全身を覆っていた結晶の鎧は、もう右腕と右翼しか残っていない。
左腕は切り飛ばされ、胴には左肩から右脇腹へとかけて深く刻まれた一筋の刀傷が付いており、加えて複数箇所に大穴が空いている。
足も何度も魔法で撃ち抜かれたおり、どうしてしっかりと立っていられるのかが不思議な状態だ。
何より……彼の胸にもまた、深々と聖剣が突き立っていた。
だが、自分の状態を再度確認してもフリーデンの声は冷静そのものであった。
「そうだ。貴方の言う通り、僕の命ももうじき尽きるだろう。……けれど」
フリーデンは自らの体が冷たくなっていくのを感じながら、最後の力を振り絞って、右翼を勇者の体から引き抜く。
「貴方を倒すことができた今……僕のなすべきことは、終わっている」
「……そうかよ。偽善に満ちた、英雄気取りが」
その胸からおびただしい量の血を吹き出しながら、勇者は最後まで恨み言を吐いて倒れ……そのまま静かになった。
「終わった……」
勇者が事切れたのを確認した途端、フリーデンもまた膝から崩れ落ちる。
この最終決戦に向け、仲間達から幾重にも
──すまない皆、僕は先に逝くよ。
……魔王様。
僕もこれから、御身の元へ……。
自らと勇者の血の海に倒れこんだフリーデンは、意識を失っていく。
だが……彼が永劫の眠りにつこうとした、その少し手前。
──貴方は、絶対に死なせません。
それは死にゆく間際の幻聴だったのか。
どこかからか優しげな声が聞こえて……胸元が、軽くなった気がした。
かくして……この広い世界から、魔王も勇者も消え去った。
***
体中が熱い。
自分自身が溶けた鉛になってしまったような、そんな錯覚すら覚える。
「うっ……」
「やっとお目覚めか」
意識が朦朧とする中、ぼんやりと目を開けると無骨な岩肌の天井が視界に入った。
どうやらここはどこかの地下室で、僕は寝かされているらしい。
傷があるのか痛む体の感覚に呻きながら、首だけを回して声の主へと振り向くと、そこには見知った顔があった。
清流のように青い髪と、緑玉色の瞳の美しい女性がこちらを覗き込んでいる。
はっきりしない意識の中、どうにか彼女のことを思い出す。
そう、この人は僕の上司の魔王軍幹部、生き残った四天王の一人……。
「アンネ、さん。僕は、一体……」
起き上がろうとする僕を、アンネさんは手で制した。
「おっと、片腕の再生も済んでいないしまだ動かない方がいいぞ。お前の体は強引に限界を超えて強化されていた反動で、動くどころか魔法の行使が難しいほどに衰弱している。それにお前、前にあれだけ注意したのに魔族化した状態で聖剣にも何度か斬られただろう。聖剣の『魔を砕く』力で体中の魔力が崩されているぞ。……この分では、戦線復帰はできないだろうな。元のように戦える日が来るにしても、えらく先の話になることだろう」
「……!」
顔をしかめて話したアンネさんの言葉で、これまでの全てを思い出す。
……そうだった、僕は確か勇者と相打ちになって……。
「他の……皆は?」
「まずは自分の心配をしろ、と言いたいところだが、まあいい。質問には答えよう」
そうして、アンネさんは一から十までを語ってくれた。
勇者が倒れたことでリーラス王国軍の士気は一気に低下し、魔王残党軍が彼らを押し切って辛くも勝利を納めたこと。
いち早くアンネさんが倒れていた僕の元に駆けつけ、回復系統の四天王の権能を使って僕を救ってくれたこと。
そしてここは、アンネさんの隠れ家であるということ。
「それでこれからどうする、フリーデン。今皆の元へ出て行けばお前は英雄待遇だろう。文字通り、身を犠牲にして世界を救った英雄だしな。だが、お前はそういうのを好く柄でもないだろう?」
「全くですね」
自分の今後について、少し考えてみる。
アンネさんの言う通り、この分では前線で戦い続けるのは難しいだろう。
激しい動きも魔法の行使も、これからはある程度制限される羽目になることだろう。
とは言え、胸に聖剣が刺さった状態で生きていただけ儲けものだ。
僕は本来なら、あそこで死んでいてもおかしくはなかったのだから。
それに勇者を倒して静かになったこの世界で、まだ魔王残党軍として戦い続ける意味はあまりないと感じる。
訳あって魔王軍に入ったものの、僕自身は闘争を好むとか、そんなことはないからだ。
……となれば、だ。
「アンネさん。これからのことについて……笑わずに聞いて欲しいんですけど、いいですか?」
「ああ。どうせお前はまた魔王軍兵士らしからぬことを言うことが目に見えてるし、思い切り笑い飛ばしてやるさ」
いたずらっ子みたいな笑みを浮かべたアンネさんに、僕は苦笑しながら自分の思いを告げる。
「僕は……これからの人生を使って、昔描いた願いを叶えたく思います」
***
カーテンの隙間から差し込んできたらしい光が、瞼を照らしてくる。
眩しい……そう思ってカーテンを引っ張るが、なんとなく目が覚めてしまっていた。
薄い毛布を退けて、適当に畳んで枕の横に置く。
カーテンをしっかりと開け、全身に朝日を浴びる。
窓から見える湖の水面は、今日も朝日を照り返して燦燦と輝いていた。
その上を、水鳥達が悠々と泳いでいく。
柔らかな産毛を纏った雛鳥達も親鳥の後をついて行くように泳いでいて、とても可愛らしい。
ふと、水面をぴしゃりと跳ねた魚を見て、今日の朝食は焼き魚にしようと決める。
まずは冷水で顔を洗ってから歯を磨き、完全に目を覚ます。
それから姿見に映った自分の頭を見ながら、軽く髪の毛のハネを直す。
こうして姿見を見ていると、切り飛ばされた左腕が治って本当によかったと毎朝のように思う。
片腕だけでは、櫛を持ちながらもう片方の手に水をつけてハネを直す、なんてことはできないのだ。
再生能力は人並み以上な半人半魔の体に感謝だ。
一通り髪の毛を直した後、白色の半袖と藍色の長ズボンというラフな服に着替え、軒先に立てかけてあった釣竿とビクを持って湖へと向かう。
湖の
「やあ、おはよう」
子鹿がこちらを見て小さく鳴いて、どうも僕に挨拶を返してくれたのかな、なんて思えて微笑ましくなる。
こんな感じにこの僕、フリーデンが療養も兼ねて静かな山奥に移り住み……第二の人生とも言える生活を始めてから、三ヶ月が経とうとしていた。
アンネさんに言った、僕が昔描いた願い。
それは……こうして仕事や喧騒から離れ、静かに自由に生きることだ。
……魔王軍兵士らしからぬことと笑われても、これが僕の、心からの願いだった。