4話
文字数 2,932文字
「食事が口にあったようでよかったよ。傷口は……よし。塞がりつつあるし、大丈夫そうだね」
女の子の手足の様子を見てから、僕は自分の胸に手を当てる。
「名乗るのが遅れたね。初めまして、僕はフリーデン。ここに住んでいる者だ。君の名前も、聞いてもいいかな?」
女の子の前にしゃがみ込んで話しかけると、彼女は慌てて、ぺこりとお辞儀をした。
「た……助けてくれて、ありがとうございます。私は……ユノって言います」
「そっか、ユノって言うんだ。いい名前だね」
ユノは、古い魔法用の術語 では太陽を意味する言葉だった筈だ。
きっとユノの両親は、彼女に暖かな幸あれと思いこの名前を名付けたのだろう。
「はい。……私もこの名前、大好きです」
緊張しているのか、ユノは少し硬い言葉遣いだった。
それにどこかおどおどしているようだけど……それも当たり前か。
目が覚めたら、見知らぬ男が目の前にいたんだから。
「そんなに固くならないで欲しいかな。自然体で……っていうのは難しいだろうけど、もう少しリラックスしてもいいんだよ?」
ユノはこくりと頷き、それから何度か深呼吸をする。
──リラックスって……いや確かに、それもリラックスだけど……。
言ったことを素直にそのまま実行してしまうユノの素直さに苦笑しながら、話を続ける。
「それにしても、まさかこんな山奥で誰かを拾うことになるとは思ってもみなかったから、本当に驚いたよ。……もしよかったら、君がどこから来たのか、住んでいた場所を教えてくれないかい?」
するとユノは顔を伏せて、首を左右に振った。
「分からない……ってこと?」
「いえ、そういう訳では……」
再び首を、それも暗い表情で横に振ったユノを見て、僕は少し後悔した。
……それが思い出したくないことだと、ユノから漂う雰囲気が物語っていた。
「私の住んでいた場所は……人間達に、焼かれました。それで旅をしていたんです。でも、仲の良かった友達もお婆さんも、この前リーラス王国軍の残党に……。だからもう、私が帰る場所なんて……!」
毛布を握りしめるユノの手に、涙が落ちていく。
思わず、その小さな体を抱きしめた。
「……ごめん。嫌なことを思い出させてしまったね」
腕の中で震えるユノが、嗚咽を漏らす。
僕はその背中を、撫でることしかできなかった。
リーラス王国は現状、魔王軍残党と反乱を起こした人々によって壊滅状態にある。
けれど、勇者と同じく人間至上主義を掲げる一部の生き残りは、今も魔物や亜人族を狩り続けていると聞いたことがある。
ユノの話とこの噂を踏まえると……憶測だけど、多分こういうことじゃないだろうか。
彼女は元々この山の向こう側にある、オフラ大森林に住んでいたのだろう。
エルフが住む森は、この付近にはそこしかなかったから。
でも……オフラ大森林は数ヶ月前に、真っ先に勇者の弾圧で燃やされた筈だ。
それで生き残ったユノを含めたエルフ達は、きっと新天地を目指して移動をしていたのだろう。
しかし、その途中で生き残った王国軍と鉢合わせして……唯一生き残ったユノはこの山に逃げ込み、彷徨い続けた末に川に落ちて流された……と。
そう考えると、手足に擦り傷が多かったのは彷徨い続けるうちに負ってしまったものだったのか、と合点がいった。
暫くして涙を出し尽くしたらしいユノは、ゆっくりと泣き止んでいった。
「私、本当にフリーデンさんに助けてもらえてよかったです。もし、人間に拾われていたら……」
ユノは赤い目をこすりながら、そんなことを呟いた。
また、僕の方も、まさか自分の正体が普通の人間ではないとバレているとは思わなかったので、少々驚いてしまう。
──魔族特有の角も翼もないし、見た目は……間違いなく普通の人間なんだけども。
「……僕が人間じゃないって、分かるのかい?」
「はい。魔力の感じでなんとなく……ですけど。その、もしよければフリーデンさんの種族名を教えてはもらえませんか?」
ユノにそう聞かれて、少しだけ困ってしまった。
だって……僕は。
「はっきりとした種族名は……ないかな。何せ僕は、中途半端な半人半魔だから」
「半人、半魔……」
ユノは何故だか口をもごもごさせ、半人半魔と繰り返す。
……どうかしたのだろうか?
「ユノ?」
「……! ごめんなさい、ちょっと考え事をしていたんです」
ユノは、慌てて我に帰った。
目覚めたばかりだし、ぼーっとしてしまっても仕方がないか。
目覚めたばかりのユノにこれ以上負担をかけてもよくないなと感じた僕は、ゆっくりと立ち上がる。
「僕は少し洗い物をしてくるから、ユノはゆっくりしていて。今日は一日、横になっていた方がいいよ」
ユノを静かに横にして、毛布をかける。
その後彼女が使った食器を、お盆ごと手に取る。
そうして立ち去ろうとした僕を見て、ユノはどこか不安そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫だよ、ずっと家の中にいるから。何かあったら遠慮なく言ってね」
「……分かりました、ありがとうございます。それでは、おやすみなさい」
「うん、おやすみなさい」
僕は静かにドアを開け、部屋を後にした。
***
フリーデンさんは部屋を出て行く間際、一度私の方に微笑みかけてくれた。
それを見ただけで、何故か私は心の底からほっと安心できた。
「服、貸してくれたんですね……」
今更気がついたのだけど、私が今着ている服はダボダボで大きくて……フリーデンさんの匂いがするものだった。
「……それにしても、あの人の魔力……」
私はそのいい匂いのする服に、何となく鼻を近づけながら、彼について思いを巡らせる。
体内に持つ魔力の量そのものは、何故だかさほど多くはない気がする。
けれど……その質は、言い表すならとても澄んでいて、綺麗なものだった。
故郷にあった神樹のように透き通ったフリーデンさんの魔力は、近くにいるだけで私を安心させてくれた。
また、それは多分……彼が只者ではないことを、示しているのだと思った。
「半人半魔で、あれだけ魔力の質が綺麗ってことは……」
大人達が前に、勇者が倒されたと言って騒がしくなっていた時期があった。
その時は皆、もう逃げ隠れする必要はないと言いながら小躍りするほどに喜んでいた。
それに、その勇者を倒した英雄は……半人半魔だと、大人達が話していた。
元々は魔王領で人々や魔物を助けていて、その後は生き残った魔王軍四天王と共に残党軍の中心となって、単身で勇者一味のもとへ辿り着き……討伐を果たした人物であるらしい。
「もしかしたら……フリーデンさんが……」
世の中で「赫々極砕の英雄」と呼ばれているらしい英雄かもしれない、と思った時にはもう、するりと意識が落ちていった。
どうにも、この重たい睡魔には抗えそうになかった。
──でも、そんな英雄がこんなところにいて、私なんかを拾ってくれる訳……ないよね。
女の子の手足の様子を見てから、僕は自分の胸に手を当てる。
「名乗るのが遅れたね。初めまして、僕はフリーデン。ここに住んでいる者だ。君の名前も、聞いてもいいかな?」
女の子の前にしゃがみ込んで話しかけると、彼女は慌てて、ぺこりとお辞儀をした。
「た……助けてくれて、ありがとうございます。私は……ユノって言います」
「そっか、ユノって言うんだ。いい名前だね」
ユノは、古い魔法用の
きっとユノの両親は、彼女に暖かな幸あれと思いこの名前を名付けたのだろう。
「はい。……私もこの名前、大好きです」
緊張しているのか、ユノは少し硬い言葉遣いだった。
それにどこかおどおどしているようだけど……それも当たり前か。
目が覚めたら、見知らぬ男が目の前にいたんだから。
「そんなに固くならないで欲しいかな。自然体で……っていうのは難しいだろうけど、もう少しリラックスしてもいいんだよ?」
ユノはこくりと頷き、それから何度か深呼吸をする。
──リラックスって……いや確かに、それもリラックスだけど……。
言ったことを素直にそのまま実行してしまうユノの素直さに苦笑しながら、話を続ける。
「それにしても、まさかこんな山奥で誰かを拾うことになるとは思ってもみなかったから、本当に驚いたよ。……もしよかったら、君がどこから来たのか、住んでいた場所を教えてくれないかい?」
するとユノは顔を伏せて、首を左右に振った。
「分からない……ってこと?」
「いえ、そういう訳では……」
再び首を、それも暗い表情で横に振ったユノを見て、僕は少し後悔した。
……それが思い出したくないことだと、ユノから漂う雰囲気が物語っていた。
「私の住んでいた場所は……人間達に、焼かれました。それで旅をしていたんです。でも、仲の良かった友達もお婆さんも、この前リーラス王国軍の残党に……。だからもう、私が帰る場所なんて……!」
毛布を握りしめるユノの手に、涙が落ちていく。
思わず、その小さな体を抱きしめた。
「……ごめん。嫌なことを思い出させてしまったね」
腕の中で震えるユノが、嗚咽を漏らす。
僕はその背中を、撫でることしかできなかった。
リーラス王国は現状、魔王軍残党と反乱を起こした人々によって壊滅状態にある。
けれど、勇者と同じく人間至上主義を掲げる一部の生き残りは、今も魔物や亜人族を狩り続けていると聞いたことがある。
ユノの話とこの噂を踏まえると……憶測だけど、多分こういうことじゃないだろうか。
彼女は元々この山の向こう側にある、オフラ大森林に住んでいたのだろう。
エルフが住む森は、この付近にはそこしかなかったから。
でも……オフラ大森林は数ヶ月前に、真っ先に勇者の弾圧で燃やされた筈だ。
それで生き残ったユノを含めたエルフ達は、きっと新天地を目指して移動をしていたのだろう。
しかし、その途中で生き残った王国軍と鉢合わせして……唯一生き残ったユノはこの山に逃げ込み、彷徨い続けた末に川に落ちて流された……と。
そう考えると、手足に擦り傷が多かったのは彷徨い続けるうちに負ってしまったものだったのか、と合点がいった。
暫くして涙を出し尽くしたらしいユノは、ゆっくりと泣き止んでいった。
「私、本当にフリーデンさんに助けてもらえてよかったです。もし、人間に拾われていたら……」
ユノは赤い目をこすりながら、そんなことを呟いた。
また、僕の方も、まさか自分の正体が普通の人間ではないとバレているとは思わなかったので、少々驚いてしまう。
──魔族特有の角も翼もないし、見た目は……間違いなく普通の人間なんだけども。
「……僕が人間じゃないって、分かるのかい?」
「はい。魔力の感じでなんとなく……ですけど。その、もしよければフリーデンさんの種族名を教えてはもらえませんか?」
ユノにそう聞かれて、少しだけ困ってしまった。
だって……僕は。
「はっきりとした種族名は……ないかな。何せ僕は、中途半端な半人半魔だから」
「半人、半魔……」
ユノは何故だか口をもごもごさせ、半人半魔と繰り返す。
……どうかしたのだろうか?
「ユノ?」
「……! ごめんなさい、ちょっと考え事をしていたんです」
ユノは、慌てて我に帰った。
目覚めたばかりだし、ぼーっとしてしまっても仕方がないか。
目覚めたばかりのユノにこれ以上負担をかけてもよくないなと感じた僕は、ゆっくりと立ち上がる。
「僕は少し洗い物をしてくるから、ユノはゆっくりしていて。今日は一日、横になっていた方がいいよ」
ユノを静かに横にして、毛布をかける。
その後彼女が使った食器を、お盆ごと手に取る。
そうして立ち去ろうとした僕を見て、ユノはどこか不安そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫だよ、ずっと家の中にいるから。何かあったら遠慮なく言ってね」
「……分かりました、ありがとうございます。それでは、おやすみなさい」
「うん、おやすみなさい」
僕は静かにドアを開け、部屋を後にした。
***
フリーデンさんは部屋を出て行く間際、一度私の方に微笑みかけてくれた。
それを見ただけで、何故か私は心の底からほっと安心できた。
「服、貸してくれたんですね……」
今更気がついたのだけど、私が今着ている服はダボダボで大きくて……フリーデンさんの匂いがするものだった。
「……それにしても、あの人の魔力……」
私はそのいい匂いのする服に、何となく鼻を近づけながら、彼について思いを巡らせる。
体内に持つ魔力の量そのものは、何故だかさほど多くはない気がする。
けれど……その質は、言い表すならとても澄んでいて、綺麗なものだった。
故郷にあった神樹のように透き通ったフリーデンさんの魔力は、近くにいるだけで私を安心させてくれた。
また、それは多分……彼が只者ではないことを、示しているのだと思った。
「半人半魔で、あれだけ魔力の質が綺麗ってことは……」
大人達が前に、勇者が倒されたと言って騒がしくなっていた時期があった。
その時は皆、もう逃げ隠れする必要はないと言いながら小躍りするほどに喜んでいた。
それに、その勇者を倒した英雄は……半人半魔だと、大人達が話していた。
元々は魔王領で人々や魔物を助けていて、その後は生き残った魔王軍四天王と共に残党軍の中心となって、単身で勇者一味のもとへ辿り着き……討伐を果たした人物であるらしい。
「もしかしたら……フリーデンさんが……」
世の中で「赫々極砕の英雄」と呼ばれているらしい英雄かもしれない、と思った時にはもう、するりと意識が落ちていった。
どうにも、この重たい睡魔には抗えそうになかった。
──でも、そんな英雄がこんなところにいて、私なんかを拾ってくれる訳……ないよね。