22話
文字数 3,800文字
アンタレスは首をカクカクと動かし、僕を上目遣い気味に見上げてきた。
……傷つけてしまっていたらしく、申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。
「あ、あの時でございます……。フリーデン様が勇者一味に向かい、本来なら第三位階 の魔法であるフラッシュパージを第五階梯 並みの威力で放った、あの時でございます……!」
「あぁ……! あの時か!」
思い出した。
最終決戦の最中、勇者一味の連携の前に二進も三進も行かなくなった僕は、彼らを牽制する目的で得意技のフラッシュパージを特大で放ったのだ。
恐らくそれで玉座の間が穴あきになったあの時、近くにいたアンタレスを縛っていた封印術式などが偶然壊れたのだろう。
聖剣を魔力で縛っていた勇者なら、魔剣 も同じように縛っていたとしても何もおかしくはない。
──そういえば。
あの勇者が手にしていた聖剣は、自由になったのだろうか。
アンネさんが僕の元の駆けつけた時には、もう影も形もなくなってたらしいけど……。
物思いにふけっていたら、アンタレスは豊満な胸を撫で下ろしながら一息ついた。
「お、覚えていてくださりましたか。てっきり完全に忘れ去られてしまっていたのかと、不安になっておりました……」
「は、はははは……」
……言えない。
今の今まで忘れていたどころか、そもそも勇者の施した封印を解いたこと自体知りませんでした、なんて。
アンタレスの様子を見ていたら、口が裂けても言えなかった。
「……さて。これまでのお話で、フリーデン様が新たな魔王に相応しい唯一無二のお方であるとご理解いただけたかと思います。それでは改めまして、今後の予定を……」
「ま、待って待って。その……とっても聞きにくいんだけどさ」
「はい、なんでしょうか?」
アンタレスは、もう見たまま上機嫌である。
最早僕が魔王になることを、実質的に快諾したものと思っているのだろう。
……期待を裏切ってしまうようで悪いけれど、それでもこればかりは聞く他ない。
「……やっぱり僕が魔王にならないっていう選択肢は、あるかい?」
そう聞くと、アンタレスは今度こそ石どころか氷漬けになってしまったように固まってしまった。
そして心なしか、その微笑みが引きつっているようにも見える。
「そ、その……私の聞き間違いかもしれませんので……。恐縮ですが今一度、フリーデン様が仰せになられたことをお聞かせ願いたく……」
「魔王にならないと……だめ? ……うわっ!?」
アンタレスは聖剣を携えた勇者並みの速度で、超至近距離まで詰め寄って来た。
今僕の目と鼻の先には、アンタレスの綺麗な顔がある。
ただし……思わず喉奥から悲鳴が漏れるくらいには迫力があった。
「フリーデン様、今一度お考え直しください。似たことを繰り返してしまうようですが、勇者を倒しこの世を救った英雄が魔王にならずして、他の誰に務まりましょうか? 私は魔王を選定する者として、貴方以上に魔王にふさわしい者はいないものと考えております」
アンタレスの熱弁に、思わず押し込まれかける。
でも、今回ばかりは首を縦には振ることはできない。
「ごめん。やっぱり僕には魔王は務まらないだろうし、僕も魔王になることを望まない。それに魔王様だって、こうして戦いから離れる道を選んだ僕が魔王の座を継ぐなんて知ったら……そんな中途半端は許さないって、きっとお怒りになる筈だ」
魔王 様はそういうお方だった。
そのキリッとした瞳を吊り上げ、僕に指を突きつけてくるその姿が今でも脳裏に浮かび上がる。
もしこれで僕が魔王になったなら、その立ち姿のまま
「自らの意思で去った道であろう。そうであるにも関わらず、他者に流されおめおめと戻ってくるなど言語道断! 貴様、それでも私に仕えていた兵士か! 意思を強く持ち、自らの道を征くがいい!」
と、どやされてしまうことだろう。
「それと、私情を言ってしまうようだけどさ。僕は今の生活がとても気に入っているんだ。できることなら、このまま静かに暮らしていたい」
ユノやバーンと一緒に。
世の喧騒から離れ、できることならこのまま緩やかに。
僕はそんな願いを込めながら、アンタレスを見つめる。
アンタレスもまた、僕を見つめ返してきた。
……そうして、いくらか経った頃。
「……承知致しました」
アンタレスは静かにそう告げた。
「ありがとう。ただ、僕がこう言うのもおかしいけど……正直、もっと食い下がってこられると思って少しヒヤヒヤしたよ」
正直、ずるずると「魔王になれ」「ならない」の問答が繰り返されるものだと思っていたので、安心したと言えば安心したのだけども。
「いえ、そのようなことは。私には魔王……もとい、正確には私自身が魔王と認めた方に、お仕えする義務もございますから」
「それって、つまり」
アンタレスは一つ頷いた。
「フリーデン様の仰せになることは、おおよそのことに関しては私にとっては絶対です。……とはいえ少しばかり助言を、特に魔王になっていただきたい旨は今後とも継続して口にするかと思いますが……ともかく、絶対なのです。ですから、フリーデン様が今までの生活を続けていきたいと言われるのであれば、私はそれに従う他ありません」
それじゃあアンタレスなりに、僕がこのままここで暮らしていくことを許してくれたのか。
よかったよかった……って今、聞き捨てならない一言が聞こえたような……。
「……今後とも継続して?」
アンタレスは確かに、その言葉を言っていた。
彼女は「当然です」と返事をした。
「私は魔剣。フリーデン様にお仕えし、御身を守護する者でもあります。……大丈夫です。基本的には剣の姿で、待機しておりますから。ですから……普段は部屋の隅にでも……」
……どんどん片言になっていくアンタレスに「どうかしたの?」と声を掛けそうになる。
しかしその前に、ここでアンタレスの様子をよく見てみよう。
妙に暗い顔で、それも憂鬱そうだ。
よく見れば目尻にも、薄っすらと雫が溜まっている。
何より……全身から醸し出されている、そのどんよりとした雰囲気。
……多分、そういうことだろう。
「大丈夫だよ、自由に出歩いていていいから。それに部屋もまだ余っているし、部屋の隅にアンタレスを置くような真似もしないからさ」
それより、自分で言っていて気分が下がってしまうくらい剣の姿でいることが嫌なら、自由にすればいいのに……。
そんな趣旨のことを聞いてみたところ、アンタレスは「そ、そんなことは……」と抵抗を見せた。
全く、遠慮することないのに。
「本音を言ってごらん。それに、僕の言うことは絶対なんでしょ?」
「う、うぅ……それでは……」と、アンタレスは何とも言いにくそうに言葉を続けた。
「私はこれまで、剣の姿で数百年を魔王城にて過ごして参りました。その時は剣の姿でいることが当たり前で、そこに不満などを感じることはございませんでした。しかしながらこうして久方ぶりに、かつて精霊であった時のように自由に出歩いてみれば……この足を地につけていたいと思うようになってしまったのです。……おかしなことを言ってしまい、大変申し訳ございません。私は所詮剣。それなのに、物が意見するなど……」
アンタレスは無理矢理な感じに笑った。
ただ、僕は「物が意見する」なんてことを聞いたせいか、かつて倒した勇者の顔が脳裏に浮かび上がっていた。
──別にそうやって誰かが縛る必要も、自分で気にする必要もないのに。
そもそも剣であるという以前に、アンタレスもあの聖剣も意思を持った、元精霊なのに。
「……アンタレス」
「はい……」
「僕の家にいる時は、剣の姿でいるのは禁止ね」
アンタレスは「し、しかし」と何かを言おうとしたので「待った」と手で制する。
「ゆったりとした山奥の暮らしに、正直剣はあまり必要ないからね。それに必要なのはどちらかといえば土を耕す鍬や薪を割る斧で、強いて言うならそれをこなす人手も欲しいかな。……分かったね?」
そう言って笑いかけると、アンタレスは目を丸くした後、小さく吹き出した。
「どうかした?」
「いえ、何も。ですが……魔剣 に魔王選定と剣以外の機能を求めた方は、この数百年間でフリーデン様が初めてです」
そうして、アンタレスは軽く跪いてから。
「御尊命、お伺い致しました。これより先、どうぞよろしくお願い致します」
「こちらこそ、これからよろしく。それと……こう、あんまり畏まらなくてもいいからね」
アンタレスは「?」と、顔を上げて首を傾げた。
礼儀正しいアンタレスからすれば、僕が言ったことは少しおかしなことだったのかもしれない。
……でもですね。
──魔王軍でも基本的にはヒラの兵士だったからか、畏まって話をされてしまうとこう、少しばかりむず痒いというか……。
いやはや、こういうところは我ながら小心者思考かもしれない、と内心で苦笑した僕であった。
……傷つけてしまっていたらしく、申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。
「あ、あの時でございます……。フリーデン様が勇者一味に向かい、本来なら
「あぁ……! あの時か!」
思い出した。
最終決戦の最中、勇者一味の連携の前に二進も三進も行かなくなった僕は、彼らを牽制する目的で得意技のフラッシュパージを特大で放ったのだ。
恐らくそれで玉座の間が穴あきになったあの時、近くにいたアンタレスを縛っていた封印術式などが偶然壊れたのだろう。
聖剣を魔力で縛っていた勇者なら、
──そういえば。
あの勇者が手にしていた聖剣は、自由になったのだろうか。
アンネさんが僕の元の駆けつけた時には、もう影も形もなくなってたらしいけど……。
物思いにふけっていたら、アンタレスは豊満な胸を撫で下ろしながら一息ついた。
「お、覚えていてくださりましたか。てっきり完全に忘れ去られてしまっていたのかと、不安になっておりました……」
「は、はははは……」
……言えない。
今の今まで忘れていたどころか、そもそも勇者の施した封印を解いたこと自体知りませんでした、なんて。
アンタレスの様子を見ていたら、口が裂けても言えなかった。
「……さて。これまでのお話で、フリーデン様が新たな魔王に相応しい唯一無二のお方であるとご理解いただけたかと思います。それでは改めまして、今後の予定を……」
「ま、待って待って。その……とっても聞きにくいんだけどさ」
「はい、なんでしょうか?」
アンタレスは、もう見たまま上機嫌である。
最早僕が魔王になることを、実質的に快諾したものと思っているのだろう。
……期待を裏切ってしまうようで悪いけれど、それでもこればかりは聞く他ない。
「……やっぱり僕が魔王にならないっていう選択肢は、あるかい?」
そう聞くと、アンタレスは今度こそ石どころか氷漬けになってしまったように固まってしまった。
そして心なしか、その微笑みが引きつっているようにも見える。
「そ、その……私の聞き間違いかもしれませんので……。恐縮ですが今一度、フリーデン様が仰せになられたことをお聞かせ願いたく……」
「魔王にならないと……だめ? ……うわっ!?」
アンタレスは聖剣を携えた勇者並みの速度で、超至近距離まで詰め寄って来た。
今僕の目と鼻の先には、アンタレスの綺麗な顔がある。
ただし……思わず喉奥から悲鳴が漏れるくらいには迫力があった。
「フリーデン様、今一度お考え直しください。似たことを繰り返してしまうようですが、勇者を倒しこの世を救った英雄が魔王にならずして、他の誰に務まりましょうか? 私は魔王を選定する者として、貴方以上に魔王にふさわしい者はいないものと考えております」
アンタレスの熱弁に、思わず押し込まれかける。
でも、今回ばかりは首を縦には振ることはできない。
「ごめん。やっぱり僕には魔王は務まらないだろうし、僕も魔王になることを望まない。それに魔王様だって、こうして戦いから離れる道を選んだ僕が魔王の座を継ぐなんて知ったら……そんな中途半端は許さないって、きっとお怒りになる筈だ」
そのキリッとした瞳を吊り上げ、僕に指を突きつけてくるその姿が今でも脳裏に浮かび上がる。
もしこれで僕が魔王になったなら、その立ち姿のまま
「自らの意思で去った道であろう。そうであるにも関わらず、他者に流されおめおめと戻ってくるなど言語道断! 貴様、それでも私に仕えていた兵士か! 意思を強く持ち、自らの道を征くがいい!」
と、どやされてしまうことだろう。
「それと、私情を言ってしまうようだけどさ。僕は今の生活がとても気に入っているんだ。できることなら、このまま静かに暮らしていたい」
ユノやバーンと一緒に。
世の喧騒から離れ、できることならこのまま緩やかに。
僕はそんな願いを込めながら、アンタレスを見つめる。
アンタレスもまた、僕を見つめ返してきた。
……そうして、いくらか経った頃。
「……承知致しました」
アンタレスは静かにそう告げた。
「ありがとう。ただ、僕がこう言うのもおかしいけど……正直、もっと食い下がってこられると思って少しヒヤヒヤしたよ」
正直、ずるずると「魔王になれ」「ならない」の問答が繰り返されるものだと思っていたので、安心したと言えば安心したのだけども。
「いえ、そのようなことは。私には魔王……もとい、正確には私自身が魔王と認めた方に、お仕えする義務もございますから」
「それって、つまり」
アンタレスは一つ頷いた。
「フリーデン様の仰せになることは、おおよそのことに関しては私にとっては絶対です。……とはいえ少しばかり助言を、特に魔王になっていただきたい旨は今後とも継続して口にするかと思いますが……ともかく、絶対なのです。ですから、フリーデン様が今までの生活を続けていきたいと言われるのであれば、私はそれに従う他ありません」
それじゃあアンタレスなりに、僕がこのままここで暮らしていくことを許してくれたのか。
よかったよかった……って今、聞き捨てならない一言が聞こえたような……。
「……今後とも継続して?」
アンタレスは確かに、その言葉を言っていた。
彼女は「当然です」と返事をした。
「私は魔剣。フリーデン様にお仕えし、御身を守護する者でもあります。……大丈夫です。基本的には剣の姿で、待機しておりますから。ですから……普段は部屋の隅にでも……」
……どんどん片言になっていくアンタレスに「どうかしたの?」と声を掛けそうになる。
しかしその前に、ここでアンタレスの様子をよく見てみよう。
妙に暗い顔で、それも憂鬱そうだ。
よく見れば目尻にも、薄っすらと雫が溜まっている。
何より……全身から醸し出されている、そのどんよりとした雰囲気。
……多分、そういうことだろう。
「大丈夫だよ、自由に出歩いていていいから。それに部屋もまだ余っているし、部屋の隅にアンタレスを置くような真似もしないからさ」
それより、自分で言っていて気分が下がってしまうくらい剣の姿でいることが嫌なら、自由にすればいいのに……。
そんな趣旨のことを聞いてみたところ、アンタレスは「そ、そんなことは……」と抵抗を見せた。
全く、遠慮することないのに。
「本音を言ってごらん。それに、僕の言うことは絶対なんでしょ?」
「う、うぅ……それでは……」と、アンタレスは何とも言いにくそうに言葉を続けた。
「私はこれまで、剣の姿で数百年を魔王城にて過ごして参りました。その時は剣の姿でいることが当たり前で、そこに不満などを感じることはございませんでした。しかしながらこうして久方ぶりに、かつて精霊であった時のように自由に出歩いてみれば……この足を地につけていたいと思うようになってしまったのです。……おかしなことを言ってしまい、大変申し訳ございません。私は所詮剣。それなのに、物が意見するなど……」
アンタレスは無理矢理な感じに笑った。
ただ、僕は「物が意見する」なんてことを聞いたせいか、かつて倒した勇者の顔が脳裏に浮かび上がっていた。
──別にそうやって誰かが縛る必要も、自分で気にする必要もないのに。
そもそも剣であるという以前に、アンタレスもあの聖剣も意思を持った、元精霊なのに。
「……アンタレス」
「はい……」
「僕の家にいる時は、剣の姿でいるのは禁止ね」
アンタレスは「し、しかし」と何かを言おうとしたので「待った」と手で制する。
「ゆったりとした山奥の暮らしに、正直剣はあまり必要ないからね。それに必要なのはどちらかといえば土を耕す鍬や薪を割る斧で、強いて言うならそれをこなす人手も欲しいかな。……分かったね?」
そう言って笑いかけると、アンタレスは目を丸くした後、小さく吹き出した。
「どうかした?」
「いえ、何も。ですが……
そうして、アンタレスは軽く跪いてから。
「御尊命、お伺い致しました。これより先、どうぞよろしくお願い致します」
「こちらこそ、これからよろしく。それと……こう、あんまり畏まらなくてもいいからね」
アンタレスは「?」と、顔を上げて首を傾げた。
礼儀正しいアンタレスからすれば、僕が言ったことは少しおかしなことだったのかもしれない。
……でもですね。
──魔王軍でも基本的にはヒラの兵士だったからか、畏まって話をされてしまうとこう、少しばかりむず痒いというか……。
いやはや、こういうところは我ながら小心者思考かもしれない、と内心で苦笑した僕であった。