16話

文字数 5,216文字

「……へっ?」

 ユノはポカンとした顔をしながら、周囲を何度も見回す。
 そうして、苔の生えた岩肌と、洞窟の入り口から見える空を何往復も見てから。

「フリーデンさん。これって一体……?」

「魔道具を使った空間転移だよ。最近開発した試作品だけどね」

 少し前まで一人暮らしをしていた時は、ともかく時間だけは余っていた。
 そんなだからか、魔法や魔道具でも開発して山奥の仙人ごっこでもしてみるか……なんて子供じみたことを思いついたのだ。
 そんなこんなであの空間転移魔法、もといそれを実現させたあの空間転移キューブとでも言うべき魔道具は、仙人ごっこの時に黒魔の一種である空間切断魔法を応用して編み出したオリジナルの魔道具だ。

 ただし……貴重な質のいい魔法石を立方体に加工してから魔法陣を手で掘るという手間がかかる割に、転移先は約二百メートル以内限定かつ座標をあらかじめセットしていないと転移できないという、とんでもなく効率の悪い物ではあるけれど。
 その上、並みの第三階梯(ドライクラス)を優に上回る魔力を消費したからか、魔力を使った反動で体中がチリチリと痛み出してきた。

 ──それでも、持っておいてよかった。
 元々は幻獣から逃げるために用意していたものだったけど……いやはや、備えあれば憂いなしとはよく言ったものだ。

 あれこれと考えていたら、しばらく固まってたユノはふいに「え、えええええ!?」と驚き出した。

「く、空間転移……!? あれって確か、手のひらサイズの小さな物くらいしか運べなかったような……。……というかフリーデンさんって実はやっぱり、とっても長生きしている大賢者様だったり……!?」

 何やらとんでもない方向に思考を飛躍させたらしいユノに、僕は顔の前で手を左右に振った。

「いやいや。別に、僕はそんな大それた人物じゃないから。それに、前の職場で魔法の研究をしてた部署があって、そこにいた友達から前に大元の理論とかを少し聞いてたんだよ」

 ──ただ、元々は「ドラゴンとか敵陣に突然空間転移させたら面白くね?」みたいな突拍子もない話から始まった研究だったみたいだけどね……。

 しかし今にして思えば、インビジブルの魔法も「女風呂覗きたくない?」みたいな話から始まったような……あれっ?
 もしかして魔王軍の魔導開発課って、割とろくでなしの集まりだった?

 ……とか何とか適当なことを考えてたら、再び僕の魔力感知が動きを捉えた。

「まぁ……こんなので撒ければ苦労しないか」

 魔力感知によって、ケツァルコアトルがこちらへと移動してくるのを察知する。
 これはまた、とんでもない追いかけっこになりそうだ。

「ユノ、もう一回掴まって!」

 僕の言葉から状況を察してくれたのか、ユノは再びひしっとしがみついてくれた。
 ユノは小柄な上に軽いので、僕としても抱えたまま走りやすい。

 僕らは洞窟から飛び出し、夜の森林の中を駆け出す。
 ケツァルコアトルが付近にいるせいか、そこは虫の鳴き声すら聞こえぬ、閑静な世界だった。

『ギャオオオオ!!!』

 夜の静寂を引き裂く咆哮に、ユノは体を固くした。

「どうしてこんなにもしつこいんでしょうか……!? ご飯なら他にもあるでしょうし、何よりこんな小さな卵を狙うだなんて!」

「それには理由があるんだよ。魔物や亜人は、魔法石や強い魔力を持つものを食べると力が増す……それは知っているね?」

 コボルトがハイコボルトに進化するとか、その手の有名な話のことだ。
 ユノは「それは……私にも言えることですから」と頷いた後。

「ま、まさか……!?」

「そのまさかだよ。ユノが持っているフェニックスの卵もまた、それ一つで竜が上位種になれるくらいには強い力を秘めてるようだね」

 流石は幻獣の卵と言うべきか。
 まるで魔法石の上位互換である宝玉並みの魔力をその殻の内側に保持していることが、僕にはすぐ分かった。
 ケツァルコアトルも更に強くなるために、フェニックスの卵を欲しているのだろう。
 それは弱肉強食の掟は自然界ではごく普通のことだし、その摂理は別に、僕達が関与することでもないのかもしれない。

 ──でも……こうして助けようとしているからには、やっぱり無事に孵って欲しい。

『グオオオオ!!!』

「……追いつかれそうだけど、間に合うかな」

 背後から迫る巨大な気配に、背中がピリピリとする。
 ただ、僕だって考えなしに逃げ回っている訳じゃない。
 自分が住んでる山なだけあって、地形はある程度把握してる。
 目的の場所まで、後少し……よし! 
 大きく跳躍し……そのまま崖下へと入り込む。

『グオオオオオ!』

 ケツァルコアトルも僕達を追って、崖の中へと入ってきた。
 その長く大木のように巨大な体が左右にそびえる崖に擦れて、岩肌がボロボロと削れていくのを横目で確認する。

 ──前に見た時にはもしかしたらって思ったけど、やっぱりこの崖は相当古い花崗岩でできているだけあって、かなり崩れやすいみたいだ。
 それに自然に存在する魔力の影響も、だいぶ受けてるか。

 花崗岩、それはマグマが冷え固まってできた岩だ。
 この近くにさっきまで僕らがいた旧火口があったし、こう言う岩の地形があったとしても何ら不思議じゃない。
 そして花崗岩は、風化するとかなり脆くなるという性質も持つ。
 永い時間風雨に晒されている上、魔力による侵食が深くにまで届いていると思われるこの崖は……つまるところ。

 ──今の僕が使うことができる程度の魔法でも……簡単に崩せる!

「猛き赤よ! 灰燼に帰せ、フラッシュパージ!!」

 短縮した詠唱と共に魔力を解放して、手のひらに第三階梯の魔法陣を展開する。
 そのまま半回転し、背後に迫るケツァルコアトルの両脇に向け、爆炎球の破壊魔法を二発炸裂させる!

『ゴオオオオ!?』

 ケツァルコアトルも自身に迫る危機に気がついたのか、上空へと逃れようとする。
 でも……その上から岩雪崩が降りかかる方が数瞬早い!

『ゴォォォォォォ!!!』

 ケツァルコアトルは咆哮を上げながら、崩れていく崖の下敷きとなった。
 巻き上がった砂煙から逃れるべく、僕らは崩落した箇所から少し距離を取る。

「……上手くいったね!」

 僕は狙い通りにいった達成感に浸っていたが、ユノは妙に声のトーンを落としていた。

「確かに上手くいきましたけど、まさか崖を崩して生き埋めなんて……。フリーデンさん、意外と酷いことしますね……」

「い、いやいや!? そうも言ってられない状況だったし、許して欲しいかなって……! ……っ!?」

「ふぁっ!?」

 突如として岩が飛んできて、ユノを抱えたまま思わず飛び退く。

『グルルウ……!』

 崩落でできた小山の一角が崩れ、その中から金の瞳を持った大蛇が顔を出した。

「まだ動けるなんて……!」

「どうやら……仕留めきれていなかったみたいだね」

『グオオオオオオ!!!』

 怒りの咆哮と共に、ケツァルコアトルは岩の中から抜け出そうともがく。
 流石は竜種だ。
 あれだけの質量に押しつぶされかけながら、まだこんなにも元気だとは。
 この調子ではこのまま逃げても、ケツァルコアトルはまた僕らを追いかけて来るだろう。
 そうなれば、朝になってこの山がまた魔物が嫌う魔力を帯びるまで、僕らは逃げ続けなければならない。

 でも、流石にそれは現実的じゃない。
 ……こうなったら、強引に封じ込めるか!

「ユノ、下がって!」

「わかりました!」

 少し無茶をするけど、こうなったら出し惜しみなどしていられない。
 それに岩で動きをある程度止めてる今しか、大掛かりな魔法を直接かけるチャンスはない!

 ユノを下ろしてから、僕は即座に詠唱を始めた。

「静かなる黄よ! バインド!」

 第三階梯(ドライクラス)の地属性魔法によって、ケツァルコアトルの周囲にある岩を纏めて粘土のように状態変化させ、ロープ状にして雁字搦めにする。
 同時に……右手に魔法陣を重ね、新たな魔法を発現させる!

「清き青よ! フリーズ!」

 第二階梯の魔法で生成された氷が、ケツァルコアトルの体の至る箇所を氷漬けにしていく。
 バインドもフリーズも、当然それ単体では竜を止めることはできない。
 それでも、魔力を特大に込めて重ね合わせれば……朝までは保つ!

『グオォォ……!?』

 完全に動きを封じられたケツァルコアトルはジタバタと悪あがきをするが……いくら竜種でも一度受けたが最後、この縛りは簡単に解けない!
 魔力もかなりつぎ込んだし、これで一安心……っ!!

 気を緩めた途端、全身を駆け抜ける鈍痛に呻きかける。
 僕はユノに悟られないよう、深呼吸をして痛みを引かせるよう努める。
 そうして、ものの十秒ほどで痛みは治まってくれたものの。
 僕の心中は、正直穏やかとは言えなかった。

 ──流石に、無理をしすぎたか。
 ……これは本格的に、魔法以外の自衛策を考えないとまずい。

 剣のような武器を使えば、流石にここまで消耗することはないだろう。
 ……竜にただの剣が通じるかはさておき、先日の襲撃者みたいな手合いなら十分な筈だ。

 今後自作で何か作りつつ、今度またローラロシンに行った時に何か武器になるものを買おうと心に決める。
 そして、離れていたユノがこちらに駆けて来た。

「流石はフリーデンさん、魔法の同時使用までできるんですね……! エルフでも同じことをできる人は少ないですよ!」

 僕ははしゃぐユノの無事を確認してから、ふぅ、と一息ついた。
 さて、ユノも僕も無事ということで。

「それじゃあ、帰ろうか」

「そうしましょう! 私、少しお腹が減っちゃいました……」

 右手を差し出すと、ユノは左手で優しく握り返してくれた。
 その後、僕らはもがくケツァルコアトルを尻目に、そのまま家に直行したのだった。

 それと……これは蛇足かもしれないけれど。
 お腹を抑えて空腹を表すユノの仕草は、何とも可愛らしくて結構和まされた僕であった。

 ***

 家に着いた僕達は、お風呂で汗を流してから、暖かく美味しい夕食にありついていた。
 ちなみに、今晩の献立は魚のポワレに、パンと畑で採れたコーンのスープだ。

「……そういえばですけど、この卵は今度また……あの旧火口に返しちゃうんですか?」

 ユノはとある拍子に机に敷かれたハンカチの上に置いてある卵を見ながら、恐る恐るといった面持ちで尋ねてきた。

「うん、僕は返してしまってもいいと思っているよ。卵にとっては唯一脅威になると思われるケツァルコアトルも、今晩でいなくなるだろうし。でも……ユノは返したくない?」

 ユノはこくりと頷いた。

「……はい。私……できることなら、あの旧火口に卵を返したくないです。フェニックスの雛を、この目で見てみたいって気持ちも勿論ありますけど、それ以上に……」

 ユノは小さく微笑みながら、慈愛に満ちた表情を浮かべて卵を両手で包み込む。

「もう危ない目に遭わないで、フリーデンさんのいる安全なこの家で、無事に孵って欲しいと思います。ですから……」

 表情を一転させて不安気にしながら、ユノは胸に卵を抱えた。

「この家に住まわせるのは、ダメ……ですか? 私がちゃんとお世話をしますから」

 それを聞いた僕は「うーむ、どうしたものかな……」と、少しだけ考え込んでしまう。
 別に鳥が嫌いとか、そういうことではない。
 ただ単に「成り行きとは言え、(フェニックス)の卵を巣から持ち去るような行為をした上、巣に返さないのは些か問題があるのでは……?」と思っただけだ。

 ──でも……よく考えなくても親はどこかに飛び去ったし、この場合……大丈夫、かな?

 それに「卵を旧火口から持ち出したことで、親に逆襲されたりしないよな……?」と、一抹の不安はあったものの……結局僕は「貴重なフェニックスの卵を保護したと考えればいいか」という結論に至った。

 ついでにこの家は少し広いから、同居人……同居鳥()が増えても問題ないし。
 それをユノに伝えると、彼女は飛び跳ねんばかりに喜んだ。

「ありがとうございます! ……よかったね。フリーデンさんもいるから、この家にいればもう安全だよ」

 嬉しそうなユノを見て和んでいたら……ふと「火口……か。そう言えば、何か忘れているような……」という思いが脳裏を掠めた。

 ……あ、そうだ。
 ナップザック、旧火口に置きっ放しだった。
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