13話

文字数 2,944文字

 僕達が住んでいる人里離れたこの山は、実を言うと少しどころか結構不思議な生態系を築き上げている。

 というのも、魔物が一切住んでいないのだ。
 それもスライムのような明確な意思を持たない下級の魔物すら、である。
 どうも土が合わないのか、それとも魔力の流れが特殊だからか……ともかく魔物達はこの山を嫌い、住んではいない。
 ちなみに僕がこの山に家を建てた理由も、こういう静かな環境だったからに他ならない。

 また、ここまでの説明を誰かが聞いていたとして、その人の勘が良ければきっとあることを考えるのではないだろうか。
 たとえば……「魔物がいない山……そんな普通の獣しか住まないような山に、幻獣なんか現れるのか」なんていう、至極まっとうな疑問を。
 現にさっき、ユノにも似たようなことを聞かれたのだけども。
 それについては……意外と現れそうではあるんだよね、というのが僕の答えだ。

「この黒蝕の日に限っては、だけども」

「……どういうことですか?」

 山頂へと向かう中、ユノが不思議そうに聞いてきたので、空を指差して説明をする。

「ほら、空を見てみて。月が隠れて、皆既月食が起こっているでしょ?」

 黒蝕の日は、日食の次に必ず月食が来る。
 太陽も月も黒に蝕まれる……それが黒蝕の日という名前の由来だ。

「……本当ですね。ちゃんと月明かりがあるから、全く気が付きませんでした。本当に不思議な日です……」

 ユノの言う通り、この黒蝕の日は、日食や月食が起きてもほとんど暗くならない。
 僕が日食を見た途端に今日が黒蝕の日だと分かったのは、そういう理由があったのだ。
 それと、もう一つ理由がある。

「確かに暗くならないってところも不思議だけど、黒蝕の日の不思議ところはそこだけじゃないよ。太陽と月が黒く『裏返る』のと同時に、この世界を包み込んでいる魔力も『裏返る』ことが多分、この日最大の不思議なところかな」

 この情報は古い文献で知った知識だけれど、今なら肌でそれが分かる。
 即ち、この山を包む大気中の魔力の質もまた裏返り、いつもとは逆になっていることが感じられるのだ。

「『裏返る』……『裏返る』……」

 ユノはそう、反芻するように呟きながら首を傾げた。
 僕はユノに、補足で説明をする。

「そう、『裏返る』んだ。だから今、この山の魔力は普段とは真逆に、びっくりするくらいに魔物を惹きつけやすい性質を持っている。という訳で今晩に限って言えば、この山には幻獣が現れてもおかしくはないって……僕はそんなふうに感じているよ」

 ──だからこそ、本当に幻獣と出くわしてもいいように……これはいつでも出せるようにしておかないと。
 僕はポケットの中にあるものを、軽く握りしめる。
 水筒や山登りに必要なものは、背中のナップザックの中に入っているけど……その場からの離脱に使うものは、自由に使えるようポケットの中に入れてある。

 でもまぁ、先の心配をするのは後にして、今は。

「山頂まで後少し、もうひと頑張りかな」

 ユノは虫取り網を上げながら「おー!」と元気に答えてくれた。

 ***

 先ほどから暫くして、僕らは遂にこの山の頂上である旧火口にやって来た。
 もう火山活動は遠い昔に停止したらしく、大きな火口に砂や岩が詰まっている……そんな場所だ。

「もし幻獣が現れるとするなら、この場所だね」

 昼間に予想した通り、今この場所に溢れている魔力は正真正銘、魔物ホイホイとでも言えるほどに濃密になっていた。
 間違いなくこの山の中で、最も魔力が強まっている場所だ。
 もし目撃情報があったあの幻獣がこの山で現れるとするなら、間違いなくここになるだろう。

「深いですね……」

「落ちないように気をつけよう」

 旧火口を覗き込みながら固唾を呑むユノの手を引いて、ゆっくりとその中に降りていく。
 急傾斜は砂で滑りやすくて少し難儀したけど、どうにか無事に降りることができた。

「ユノ、そこの岩陰に腰掛けて待とう。こう意味もなく堂々と姿を晒していても、幻獣だって寄り付かないからね」

「分かりました!」

 僕とユノは背負っていたナップザックを降ろし、手頃な岩陰に座り込んでから水筒の水を飲んで一息つく。
 家からここまで結構な距離があったけど、文句の一つも言わずにユノもよくついて来てくれた。
 この子はどちらかというと、気骨がある方かもしれない。

「フリーデンさん。山のてっぺんなだけあって、ここは空が近いですね」

 僕もユノにつられて見上げれば、そこには満天の星海が広がっていた。
 街の灯りもないから、空に煌めく星々が本当に美しく見える。
 そしてそのお陰で、星座もかなり見えやすくなっていた。

「あれは確か、昇竜座……だったかな?」

 ふと口をついて出た言葉に、ユノの耳がぴこぴこと反応した。

「昇竜座、っていう星座があるんですか?」

 聞き返してきたユノに、空を指して星々を繋いで見せる。

「竜の頭にあたるのは、北西にあるあの星の集まり。胴体はあそこにある星の四角形で、大きな翼はそのすぐ横の、星々が丸く集まってるところだよ」

「おぉ……! 確かに竜に見えてきました! 他には、どんな星座があるんですか?」

 ユノは嬉々としながら、次々に僕へと質問をしてくる。僕もまた彼女の強い好奇心に応えるべく、知りうる限りのことを教えていく。
 そうして暫く、ユノと星座についての話をしていた時……僕の魔力感知に、何かが引っかかった。

 ──大体五キロ先か……まっすぐこっちに飛んで来ているみたいだ。
 そしてこの特徴的な並みの魔物とは比べものにならない、圧倒的なまでの異彩と存在感を放つ魔力……。

 ただそこに在るだけで、空間すらも自身の存在感で塗り替えんばかりのそれは、恐らく。

「……幻獣、かな」

 前に遭遇した幻獣と酷似した魔力の気配を感じ、ゆっくりと立ち上がる。

「……フリーデンさん? 今、幻獣って……!」

「ここに向かって、凄い魔力を持った何かが飛んで来る。多分……幻獣じゃないかと思う」

 そう伝えると、ユノは「幻獣に会えるんだ……!」と嬉しそうにした。

「でもユノ。僕達はあくまで幻獣の観察に来ているっていうことを、絶対に忘れないようにね。だから不用意に刺激しないこと。……いいね?」

「はい!」

 ユノ。いい返事だけど……虫取り網を構えるのはやめようね。
 幻獣を怒らせたら、本当にとんでもないことになるから……!

「……っと、そろそろかな。ユノ、あっちの方からくるよ」

 南の空を指すと、ユノもそちらへと顔を向ける。
 この山から見て南は、海がある方角だ。ということはこの気配の主は、海を渡ってここまでやって来つつあるということになる。
 海を渡って飛来する魔物となれば……これはいよいよ飛行能力に長けた幻獣か、とんでもない竜種の二択になってきた。

 となればひとまず……安全を考えて、あの魔法を使ってみようかな。
 僕は体に負担がかからない程度に魔力を解放し、魔法陣を展開した。
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