第36話    外伝 その九 『ケイガンの印』①

文字数 2,012文字

 ある日、幼いケイガンの相手をして遊んでいたペルの胸元から、いつも身に付けている二枚の銀の飾りが外に飛び出した。
 
 一度その強い力が放たれて以後、その小さな平板の霊力は沈黙し、今では単に首に架けた鎖の装飾に過ぎない。
 
 それを尽かさず目にしたケイガンは、ひどく気に入ったのか一向に掴んで放さない。
 そんなケイガンを小さな弟のように可愛がっていたぺルはつい戯れにか、或いはその〝銀の飾り〟そのものがそう言わせたのか・・言った。

「・・そんなに気に入ったのなら、ケイガン。いつかあなたがあなたのお父さま、カンのようなりっぱな士官になったら、そのごほうびとして、この銀のかざりの一枚をあなたに上げるわ」
「・・ほんと?」

 果たして三才の幼児がどれ程その意味合いを理解したのか判らないが、ケイガンは顔を輝かせてそう言うと、素直に銀の飾りを放した。


 やがて十五才になったケイガンが『元服の儀』を迎え、その初々しい面差しに凛々しい出で立ちでミタン王ぺルの御前に現れた時、その昔の約束を思い出したペルは、二枚の銀の飾りの一枚をそのお祝いとして差し出した。

「・・ケイガン、これは二枚で一対のもの。その一つはこのミタンの国を預かる私が持ち、もう一つをあなたに預けます。これから勇者への道に乗り出すあなたが、幾多の戦いに於いても、必ずこの美しいミタンの地に戻って来られるように・・」


 ケイガンはその後しばらくして、父親と共に初陣の戦へと出立した。

 幼い頃からその父の薫陶を受け、若いながらその剣の腕前は抜きん出ていた。またそう云った評判に違わぬ若武者振りでもあった。
 が、ケイガンは初めての実戦に怯んだ。
 しかしすぐに、〝戦場においては、臆する事が一番の敵だ・・〟と云う父親の言葉を思い出した。

 その戦闘の中へ割って入ると、突然、辺りの音が遠のいた。
 初陣の恐怖が感覚をマヒさせたのか、恍惚とした無意識の世界へと導いた。剣を振り上げ敵の兵士の上にかざした。
 後は自動的とも云える剣さばきで驚くような奮闘ぶりを示した。

 それが敵兵達の目には、初々しい顔立ちに似合わぬ相当な位の戦士であると映ったのか、以後の戦いに於いて、その若武者の首を挙げようとする者が絶えることはなかった。

 
 そして数年後、その若武者は戦いの中で消息を絶ち、以後、ミタンの地へと戻ることはなかった。

 初陣から数年を経た或る出陣の折り、その若き戦士がその父の教えである・・〝しかしまた、時には・・蛮勇はやって進む勇気よりも、退く勇気の方が大切だ・・〟と、云うことを思い出した時には既に遅く、周囲をグルリと敵に囲まれていた。


 ぺルはその胸に残された一枚の銀の飾りを手に涙した・・悔恨の思いと共に。曾てカンが、この銀の飾りをぺルに贈った時に言った言葉・・。

〝・・この意匠には霊力が宿っております・・衣の内に隠していつも身に着けてらして下さい・・〟
 
 二つに分けてしまった事で、ぺル自らがその〝霊力〟を破棄し、前途ある若者をも失わせてしまったのかと・・。


 その時から何年の時を経ただろう・・敵に捉えられたケイガンは、その若さゆえか殺されることは免れ、シュメリアへ連れて来られて奴隷として鎖に繋がれた。
 
 最終的にここに辿り着くまで幾つかの場所で重労働に就かされたので、今いる所がシュメリアのどの辺りなのか分からない。ただ山岳地帯のミタンからは、そうとう離れていることは確かだ。

 そこは大きな河の近くで、その堤の上に城壁のような大きな建物がある。そこから大量の水を汲み上げ、水路を使ってシュメリアの各地に送るために終日機械を踏んでいた。
 ケイガンはその全体重を掛けて板を踏みしめ、水を汲み上げる。

 この仕事に就いて既に二年近くになる。それまでは水路作りの現場にいた。これまでの仕事に比べれば比較的楽だったが、朝起きて日が暮れるまでその足で板を踏む・・そんな単調な毎日がずっと続いている。
 
 その間、何度か脱走を企てたため他の仲間とは離され、話し相手といえば年老いた母親と住む番人の男だけだった。

「・・これで何とか国が全部が干上がっちまうのを止めてるって話だ・・」

 番人の方も然程話し相手がいない。何でも話してくれた。
 両足に鎖が嵌められているケイガンに同情して番人は言う。

「もう逃げることなんか考えんなよ。不自由になるばっかりだぞ」
「不自由・・」
「まあ・・おまえさんの身の上で、不自由ってのもなんだがな」


 堤の上に広いテラスのような通路があり、その通路を挟んで仕事場と寝るための小さな小屋があった。
  
 しばらく前から陽が沈む頃になると、その通路の上の石積みの高い窓から外を眺めている女の姿があった。以前、何度か同じような姿を見たことがある。
 が、暫くその姿もないので、何処かに行ってしまったのだろうと思っていた・・。

 下から見上げるだけだったが、頭からヴェールを被ったその姿は目を引いた。
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