第30話    外伝 その七 『繭玉の森』①

文字数 2,071文字

 そしてもう一人のシュラ王の息子、『月の神殿』から姿を消したデュラは、一部の噂では・・孤独なさすらい人を受け入れるという『リデンの森』を目指したが、皮肉にもシュメリアに連れ去られて『精霊の森』の女王は不在のため、門戸を閉ざされてしまっていた・・と謂う。

 
 が、実際にはまだ精霊の女王が森を去る以前から『リデンの森』の端で、曾てコウの世話をした老樵のもとで暮らすようになっていた。老樵は森の門番のような役目も兼ねていて、そのため小屋は森の入口付近にある。
 
 王位継承権のあるシュメリアの王子が『リデンの森』に匿われていることが公に知れたら、森の平和にどんな影響があるか知れない。しかし老樵は孫のようなデュラの身の上を知ってか知らずか何も聞かず、森で生活して行くのに必要なあらゆる手立てを教えてくれた。

 その間、周辺の森では不審な出来事が起こり始めていたが、まだこの不可侵の森の聖域では静かな生活が続いていた。それはデュラにとって煩悶することもない落ち着いた日々だった。

 
 『禁断の塔』の戦いが勃発した年、老樵はその出来事を知ることなく、この世に別れを告げた。
 それをきっかけにデュラは『繭玉の森』と呼ばれる美しい森の奥に自分の小屋を建て、ひとりで暮らし始めた。元の小屋には、新たな門番役を兼ねて樵の夫婦が住み着いた。


 やがてミタンを初め近隣の森林国家はどこも、『魔月』と結託したシュメリア軍の引き起こした戦争に巻き込まれていった。
 聖域たる『精霊の森』でもそれは例外ではなく、美しい若葉の『春の森』が無残にも焼き尽くされ、青春の最中でその命を散らしていた。
 森の人々の哀しみと怒りは消えず、黒焦げの木々が覆う曾ての美しい森を目にする度に憤怒の気持ちが沸き起こった。それまでの『精霊の森』の中に漂うことは極めて稀な感情だった。
 
 しかし若いデュラはその間、森の住人達さえ殆ど訪れることのない深い緑の繭玉の中で、そんな外の世界に背を向けひっそりと暮らしていた。


 デュラは物心ついた頃からひとりだった。父王は愛妃の残した唯一の息子にまったく無関心で、殆ど言葉を交わしたことさえなかった。
 おまけに、嫡子なら誕生の時から多くの者が侍るはずだがそれもなく、乳母と年老いた世話係が数人ついているだけだった。
 
 次の王位継承者に対するそんな扱いは、宮廷の者達に不審を抱かせた。
 シュラ王と王妃のマイヤは熱烈に愛し合っていたのは誰の目にも明らかで、その寵妃が命と引き換えに残した小さな命はさぞや愛おしかろう・・と思いきや、王はまだ余りにもお若いのだろうか。

「反対に・・」
「・・愛する妃を奪った者として、厭うておられるのか・・?」
 と、噂していた。

 
 その後『月の神殿』での幽閉を経て、そんなデュラが初めて決然と自分の意志を表明し、それまでの生活に別れを告げてやって来たこの『精霊の森』。
 生来の繊細さに加え、神殿での生活で更に虚無的な傾向に傾いた少年に、シュラ王の嫡子としての世俗的な野心はなかった。
 
 しかし美しく成長した孤独な樵の若者を、好奇心に満ちた森の精霊の娘達が放っておくはずはなかった。デュラが森にやって来た時から精霊達は彼を見守っていた。
 実際のところ森の住民達は皆、精霊達に見守られていた。


 そして、森の女王リデンがシュメリアへと赴いたことを樵の夫婦から聞かされた頃からだった。デュラが樵の仕事から一人住まいの小屋に戻ると、時折、小屋の中がきれいに片付けられている。時には彼の無聊を慰めるように、壺の中にきれいな花が活けられている。

 最初の頃は、留守中にこの小屋を見つけた誰かが、無断で休ませてもらったお礼に掃除をしていったのだろうと思っていた。しかしそういった出来事が何度もあるので、デュラはちょっと怪訝に思うようになった。
 
 小屋のある辺りはどこからも隔絶していて、樵の夫婦が訪ねて来る時にはいつも泊まり掛けだった。二人は、清んだ水の流れる小さな渓流と深い緑の大きな繭玉の中にあるようなこの場所を『リデンの館』周辺を除いては、森で一番美しい場所だと言って羨んだ。
 しかしそう何度も足を運べる距離ではないと言って残念がっていた。


 ある日、森の入口付近まで出て来たデュラは、久し振りに門番小屋を訪ねた。
 喜んだ夫婦と『繭玉の森』の話題で盛り上がった。そしてデュラが小屋で起こっていることを話すと、夫婦の顔に笑みが浮かんだ。

「そりゃ、デラ、お前さん、だいぶ気に入られているようだな」
「え・・ほんと・・」

 デュラは樵仲間からはデラと呼ばれていた。不思議そうな表情の若者に、夫婦は森の精霊に仕える娘達の話をしてくれた。
 
 それは森の精霊が人間の男達や或いは人間の親を持つ半精霊達と契り生まれた娘達で、普段人々に姿を見せることは殆どない。
 そんな娘達が姿を現すのは気に入った若者の前だけだという。
 娘達は皆、とても楽しくて好奇心旺盛な悪戯好き。そして何よりも目を見張るほど美しいのだという。

「・・もうそろそろ、お前さんの前にも姿を現すんじゃないのかい」
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