第20話 外伝 その二 『ミドロ』
文字数 2,603文字
「・・もし川からミドロが出て来たら、オレが助けてやるからな」
サアラとヨウは、マンザからさんざん『タンデの河』での冒険譚を聞かされていた。
「うん」
「でも・・ミドロって、ホントにいるの」
「いるよ。父ちゃんがいつも言ってたもの。ミドロに喰われちまうぞって」
マンザの説明によると・・ミドロは元々は『タンデの島』に棲んでいた猛獣だったが横暴を極め、他の獣や鳥達を襲っては喰らうので、その獣や鳥達が一致団結して島からタンデの河に追い落としたのだと云う。
それで河に棲む水獣となり、今では全身鱗に覆われているが、元々、陸の獣だったので両手があるのだという。
それで普段は魚を獲って暮らしているが、時折、島で喰べていた獣の味が忘れられずに『タンデの河』を行き交う小舟を襲っては、乗っている人間を河の中に引きずり込んで喰らうのだという・・。
「そのミドロが最近、この辺りの渓谷にも来てるってゆうんだ」
「誰が・・」
そこを突っ込まれるとは思っていなかったマンザは、一瞬、頭を掻いた。
「じいちゃん」
なぜマンザの祖父ちゃんがそんな情報を掴んでいるのかは知らなかったが、二人はそれに関してはそれ以上の追及はしなかった。
「でもどうやって、あの霧を抜けるられるの」
「そうだよ。そんな悪いミドロだったら、リデンさまの霧に追い出されちゃうよ」
「バカだなァ、おまえら。ミドロは河の中に棲んでんだぞ。霧なんて関係ないんだよ」
「あ、そうか・・」
「そうね・・」
三人はよく森に行っては遊んでいた。木々は若葉に萌え、柔らかな若草が軽やかに弾ませる足は、いくら歩いても疲れることもない。至るところに湧く若水のせせらぎは乾いた喉を潤し、吹く風は温かい。
静かで厳しく叡知を育てる冬と、明るく開放的、活動的にして怠惰な夏の間のそんな季節の森は、果たして住む者達にも春のような気質を与えるのだろうか・・。
そんな森の中で、サアラが野苺を摘んだり森の小動物を手なずけたりしている間、ヨウとマンザは木登りをしたり、取っ組み合いをしていた。猛禽類のいない『春の森』は、子供たちにとっても小動物にとっても幸せな平和の森だった。
しかしマンザはもっと面白い事がしたかった。大人達から禁じられているあの洞窟の探検とか、筏を作って『リデンの森』まで渓流を下るとか・・。
そんなある日、三人は川の中程の岩場に、流れて来た丸太が引っかかって浮いているのを目にした。
それを見て、マンザが筏を作ることを提案した。一本では勿論無理だが、初めの一本として集めるのだと言う。時折、上流から流れて来ることがあるのだ。
「深いところがあるんじゃない・・」
子供達だけで渓谷の川に入るのは、大人達から禁じられていた。翠色の流れは美しいが、そのため見えない深みがあって非常に危険なのだ。
「だいじょぶだよ・・丸太が流れてないってことは、浅瀬に引っかかってるんだ」
そう言って、マンザは流れの中に入って行った。
確かに大丈夫らしい。が、その丸太を担いで立ち上がろうとしたマンザの片足が滑り、それから水中でもがくようにバシャバシャとやり始めた。
他の二人は、ふざけて溺れる振りをしているのかと思っていた。前から足の着く場所でそんなふうによく騙されていた。
「・・た・・助けて・・」
が、それにしては真に迫っている。そのうちやっぱり・・。
(・・溺れてる・・!)
と、気付いた二人は真っ青になった。
「マンザ・・!」
慌ててヨウが川に入り、手を伸ばして深みに嵌まってもがいているマンザの身体を掴んだ。しかし、自分より大柄なマンザが必死でもがいているのだ、ヨウまで引きずり込まれそうになる。まだやっと泳げるようになったばかりなのだ。
(・・く、苦しい・・)
ヨウがマンザの重みで引きずり込まれた。
「ヨウ・・!」
どうしたら・・と思っていたサアラはハッと気がついて、流れの途中でやや斜めになったまま止まっている丸太の片側を転がすように押した。ありったけの力でずらすと・・岩場と浅瀬に乗った丸太は、水中の橋のようになった。
「掴まって・・!」
そう叫んだ途端、浅瀬から足が滑りサアラも水中の深みに嵌まった。
(・・あ、足がつかない・・!)
サアラはまだ泳げない。
もがき焦っていたマンザの片手はその時、近くの岩場を掴んだ。それでやっと冷静になったのか、そのまま浮力で浮き上がると・・水中から顔を出し息を吹き返した。
引きずり込まれたヨウも、マンザの力が抜けると浮上した。
マンザは片腕で丸太を掴み、片腕で流されそうになっているサアラを掴んで引っ張り上げようとした。解放されたヨウも丸太を掴み、サアラを掴んだ。
サアラは二人にしがみつくと、顔を出し大きく息を吹いた。
サアラが必死でずらした丸太は三人の重みをしっかりと受け止め、流れの力に抵抗して三人が流されるのをシッカリと守っていた。
岸辺に上がると、三人はそのまま仰向けに寝ころびグッタリとしていた。
・・思わず涙が伝った。
「ああ・・死ぬかと思った・・」
見上げた夏の青空を背景に、頭上の大きな栗の木の枝葉が木漏れ日で透けて明るい緑の天蓋を作っていた。三人は暫くの間、無言でその天蓋を見つめていた。
その間にも渡る風が濡れた服を乾かしていく・・。
「ごめん、ごめんな・・でも・・母ちゃんには言わないで・・」
「言わない・・」
二人は同時に言った。母親に心配かけたくないマンザの気持ちは良く分かっていた。そして皆、他の誰にも言わなかった。
その日、三人は死にとても近いところにいた・・そして、それは三人の共通の秘密になった。
「また何かやりあってますね・・」
「はは・・」
サアラの年老いた養父母は、その日も何やら言い合っている三人の様子を戸口の長椅子に座り目を細めて眺めていた。
「またア・・マンザ・・!」
サアラとヨウは、ちょっと呆れるように笑った。
「だがら、ミドロの仕業だって言ってんだろ・・!」
「泳げないんだよ・・マンザ」
「そうよ、泳げないのよ」
二人はそう言って、お互いの目を合わすと肩をすくめてクスクス笑いになる。
命の危険に晒された経験を秘めておくのは大変だった。そこで笑うことにした。
そして、二才年上の少年の力の象徴だった緑の鱗を持った不気味な存在は、時を経るに連れ・・三人の中で、やや滑稽な生き物に変わっていった・・。
サアラとヨウは、マンザからさんざん『タンデの河』での冒険譚を聞かされていた。
「うん」
「でも・・ミドロって、ホントにいるの」
「いるよ。父ちゃんがいつも言ってたもの。ミドロに喰われちまうぞって」
マンザの説明によると・・ミドロは元々は『タンデの島』に棲んでいた猛獣だったが横暴を極め、他の獣や鳥達を襲っては喰らうので、その獣や鳥達が一致団結して島からタンデの河に追い落としたのだと云う。
それで河に棲む水獣となり、今では全身鱗に覆われているが、元々、陸の獣だったので両手があるのだという。
それで普段は魚を獲って暮らしているが、時折、島で喰べていた獣の味が忘れられずに『タンデの河』を行き交う小舟を襲っては、乗っている人間を河の中に引きずり込んで喰らうのだという・・。
「そのミドロが最近、この辺りの渓谷にも来てるってゆうんだ」
「誰が・・」
そこを突っ込まれるとは思っていなかったマンザは、一瞬、頭を掻いた。
「じいちゃん」
なぜマンザの祖父ちゃんがそんな情報を掴んでいるのかは知らなかったが、二人はそれに関してはそれ以上の追及はしなかった。
「でもどうやって、あの霧を抜けるられるの」
「そうだよ。そんな悪いミドロだったら、リデンさまの霧に追い出されちゃうよ」
「バカだなァ、おまえら。ミドロは河の中に棲んでんだぞ。霧なんて関係ないんだよ」
「あ、そうか・・」
「そうね・・」
三人はよく森に行っては遊んでいた。木々は若葉に萌え、柔らかな若草が軽やかに弾ませる足は、いくら歩いても疲れることもない。至るところに湧く若水のせせらぎは乾いた喉を潤し、吹く風は温かい。
静かで厳しく叡知を育てる冬と、明るく開放的、活動的にして怠惰な夏の間のそんな季節の森は、果たして住む者達にも春のような気質を与えるのだろうか・・。
そんな森の中で、サアラが野苺を摘んだり森の小動物を手なずけたりしている間、ヨウとマンザは木登りをしたり、取っ組み合いをしていた。猛禽類のいない『春の森』は、子供たちにとっても小動物にとっても幸せな平和の森だった。
しかしマンザはもっと面白い事がしたかった。大人達から禁じられているあの洞窟の探検とか、筏を作って『リデンの森』まで渓流を下るとか・・。
そんなある日、三人は川の中程の岩場に、流れて来た丸太が引っかかって浮いているのを目にした。
それを見て、マンザが筏を作ることを提案した。一本では勿論無理だが、初めの一本として集めるのだと言う。時折、上流から流れて来ることがあるのだ。
「深いところがあるんじゃない・・」
子供達だけで渓谷の川に入るのは、大人達から禁じられていた。翠色の流れは美しいが、そのため見えない深みがあって非常に危険なのだ。
「だいじょぶだよ・・丸太が流れてないってことは、浅瀬に引っかかってるんだ」
そう言って、マンザは流れの中に入って行った。
確かに大丈夫らしい。が、その丸太を担いで立ち上がろうとしたマンザの片足が滑り、それから水中でもがくようにバシャバシャとやり始めた。
他の二人は、ふざけて溺れる振りをしているのかと思っていた。前から足の着く場所でそんなふうによく騙されていた。
「・・た・・助けて・・」
が、それにしては真に迫っている。そのうちやっぱり・・。
(・・溺れてる・・!)
と、気付いた二人は真っ青になった。
「マンザ・・!」
慌ててヨウが川に入り、手を伸ばして深みに嵌まってもがいているマンザの身体を掴んだ。しかし、自分より大柄なマンザが必死でもがいているのだ、ヨウまで引きずり込まれそうになる。まだやっと泳げるようになったばかりなのだ。
(・・く、苦しい・・)
ヨウがマンザの重みで引きずり込まれた。
「ヨウ・・!」
どうしたら・・と思っていたサアラはハッと気がついて、流れの途中でやや斜めになったまま止まっている丸太の片側を転がすように押した。ありったけの力でずらすと・・岩場と浅瀬に乗った丸太は、水中の橋のようになった。
「掴まって・・!」
そう叫んだ途端、浅瀬から足が滑りサアラも水中の深みに嵌まった。
(・・あ、足がつかない・・!)
サアラはまだ泳げない。
もがき焦っていたマンザの片手はその時、近くの岩場を掴んだ。それでやっと冷静になったのか、そのまま浮力で浮き上がると・・水中から顔を出し息を吹き返した。
引きずり込まれたヨウも、マンザの力が抜けると浮上した。
マンザは片腕で丸太を掴み、片腕で流されそうになっているサアラを掴んで引っ張り上げようとした。解放されたヨウも丸太を掴み、サアラを掴んだ。
サアラは二人にしがみつくと、顔を出し大きく息を吹いた。
サアラが必死でずらした丸太は三人の重みをしっかりと受け止め、流れの力に抵抗して三人が流されるのをシッカリと守っていた。
岸辺に上がると、三人はそのまま仰向けに寝ころびグッタリとしていた。
・・思わず涙が伝った。
「ああ・・死ぬかと思った・・」
見上げた夏の青空を背景に、頭上の大きな栗の木の枝葉が木漏れ日で透けて明るい緑の天蓋を作っていた。三人は暫くの間、無言でその天蓋を見つめていた。
その間にも渡る風が濡れた服を乾かしていく・・。
「ごめん、ごめんな・・でも・・母ちゃんには言わないで・・」
「言わない・・」
二人は同時に言った。母親に心配かけたくないマンザの気持ちは良く分かっていた。そして皆、他の誰にも言わなかった。
その日、三人は死にとても近いところにいた・・そして、それは三人の共通の秘密になった。
「また何かやりあってますね・・」
「はは・・」
サアラの年老いた養父母は、その日も何やら言い合っている三人の様子を戸口の長椅子に座り目を細めて眺めていた。
「またア・・マンザ・・!」
サアラとヨウは、ちょっと呆れるように笑った。
「だがら、ミドロの仕業だって言ってんだろ・・!」
「泳げないんだよ・・マンザ」
「そうよ、泳げないのよ」
二人はそう言って、お互いの目を合わすと肩をすくめてクスクス笑いになる。
命の危険に晒された経験を秘めておくのは大変だった。そこで笑うことにした。
そして、二才年上の少年の力の象徴だった緑の鱗を持った不気味な存在は、時を経るに連れ・・三人の中で、やや滑稽な生き物に変わっていった・・。